映画を観る前に知っておきたいこと

或る終焉
解説/愛深き故に人が背負う業

投稿日:2016年4月28日 更新日:

或る終焉

孤独な魂が寄り添う ──
親密なる最期のとき

寄り添うように終末期患者のケアをする看護師。その献身的な看護も及ばず、一人の患者は安楽死を望み始める。

長編わずか2作目の前作『父の秘密』(12)でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリを獲得したメキシコの新鋭ミシェル・フランコが、終末期患者と看護師の在るべき心の距離感を観る者に問いかける。その難題を一切緊張感が途切れることなく表現した脚本には、2015年カンヌ国際映画祭の脚本賞が贈られた。

主人公の看護師デヴィッドを演じたのは『海の上のピアニスト』(98)でも主演を務めたティム・ロス。彼の演技によって、デヴィッドの患者に対する深い愛情とその裏に隠された歪さまでが浮かび上がる。


予告

あらすじ

終末期患者を受け持つ看護師デヴィッド(ティム・ロス)。息子の死を機に、別れた妻や娘とも疎遠になった彼には、患者の在宅看護とジムでエクササイズに励む以外の生活はなかった。そんな孤独を抱える彼の看護は常に献身的で、確実に患者との親密な関係を築いていく。しかし、その踏み込み過ぎた彼の看護が良く思われないこともあった。

或る終焉

© Lucía Films–Videocine–Stromboli Films–Vamonos Films–2015

脳卒中で身体に麻痺が残る老人ジョン(マイケル・クリストファー)の世話をしていた時のこと。タブレットでわいせつ動画を見るジョンに気づいたデヴィッドだったが、彼はそれを咎めなかった。しかし、自暴自棄になっていたジョンに対する彼なりの気遣いが裏目に出る。ジョンの家族がセクハラでデヴィッドを訴えると騒ぎ立てたのだ。

或る終焉

© Lucía Films–Videocine–Stromboli Films–Vamonos Films–2015

仕事を失ったデヴィッドは、末期がんで苦しむ患者マーサ(ロビン・バートレット)の看護を請け負うことに。化学治療のため毎週病院に通う彼女は、改善されない病状と副作用に苦しんでいた。そんなある日、デヴィッドは彼女から安楽死の幇助を頼まれる。息子の死に関わる暗い過去と患者への深い想い。その狭間で苦悩するデヴィッドは、マーサの願いに対し壮絶な決断を下す……


解説

監督のミシェル・フランコは、祖母が脳卒中で半身不随になってしまった時の経験が脚本を書くきっかけになったと語る。その時、祖母と女性看護師が親密な関係を築いているのを見た彼は、本当の意味で祖母の世話をしていたのは家族や親戚でもなく、彼女の方だと感じたという。

ほんの数ヶ月の看護であっても患者と深く結びつき、最期には死と喪失を受け止めながら、また次の患者のもとへ向かう。フランコは、この看護師という特殊な仕事がもたらす“慢性的な鬱病(chronic depression)”を主人公デヴィッドの中に投写する。

そして、前作『父の秘密』同様、ほとんど全編に渡って用いられた固定カメラからのショット。この一般的な撮影方法もここまで執拗だと、日常の中に紛れ込ませたかのような視点の連続が、観る者を第三者として強制的に映画の中に引き込んでいく。

“慢性的な鬱病”を抱えるデヴィッドを観る者が客観的に見つめるという構図。これによって、フランコは僕たちに対して大きな問いかけを行う。

愛深き故に人が背負う業

或る終焉

© Lucía Films–Videocine–Stromboli Films–Vamonos Films–2015

映画はデヴィッドの看護現場と私生活を交互に映しながら進む。仕事以外の彼のルーチンといえば、ジムでエクササイズに励むだけである。まるで罪人であるかのように自らを律したデヴィッドの日常は、唯一のジム通いさえも、体力を伴う看護のためにやっているように見える。

患者が亡くなれば、デヴィッドは家族と同じように喪に服す一方で、遺族と悲しみを分かち合うことはしない。かと思えば、知り合ったばかりの赤の他人には、今し方亡くなった患者のことを20年来の妻を失ったかのように話す。そこに、死を目前にした患者としか親密な関係を築けないデヴィッドの歪さが浮かび上がる。

デヴィッドの日常に若干の変化が生じるのは、別れた妻や娘が暮らす街でマーサの看護を始めてからだ。看護現場とジムを行き来するだけだったデヴィッドの生活の間に挟まれる娘や元妻との時間。その中で、デヴィッドが息子の安楽死に関わった過去が徐々に明らかとなっていく。

デヴィッドにとって、娘との再会は息子の死と向き合うことを意味していた。映画の冒頭で描かれる、車中から娘の様子をじっと伺うデヴィッドの不穏な行動は、息子の死と向き合うことへのためらいや畏れ。そして、少し異常ともとれる終末期患者への想いの深さは、息子に対する彼の贖罪だったのだ。

そんなデヴィッドが再びマーサの安楽死に手を貸すか苦悩する裏で、彼の日常にもう一つの些細な変化が描かれる。決して仕事としては割が良くないマーサの看護を引き受けたデヴィッドは、ジム通いを止めて外でのランニングが新たな日課となる。自らの生活を圧迫することも厭わないデヴィッドの優しさ。そこに生じた日常の些細な変化が、悲劇的な結末を招き寄せてしまう。

マーサの看護を引き受けたが故にデヴィッドを襲った事故。まさに運命とも言うべき唐突な幕切れ。フランコは、そこに優しさという言葉だけでは決して片付けられない、安楽死に手を貸すことの業の深さを描き出す。そして、客観的な視点を与えられた僕たちは、この結末が不条理なのか必然なのかを己に問うことになる。

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