1950~60年代。米ソ冷戦下で起こった“あわや戦争”と世界を緊張で包み込んだ実際の事件を基に、両国のスパイ交換交渉の中心人物ジェームズ・B・ドンバン弁護士の苦悩と勇気を描いたサスペンスドラマ。
スティーブン・スピルバーグをはじめ、主演のトム・ハンクス、脚本のジョエル&イーサン・コーエン、音楽はあの『スターウォーズシリーズ』のジョン・ウィリアムズ・・・は体調不良で残念ながら降板となり、交代でトーマス・ニューマンなど、アカデミー賞の常連受賞者が集まった。
本年度オスカー最有力候補として大きく話題になっている。(トーマス・ニューマンは6回ノミネートされているが受賞経験なし)
- 製作:2015年,アメリカ
- 日本公開:2016年1月8日
- 上映時間:142分
- 原題:『Bridge of Spies』
Contents
- 1 予告
- 2 あらすじ
- 3
映画を見る前に知っておきたいこと
- 3.1 恐ろしい男スティーブン・スピルバーグ
- 3.2 史実「U-2撃墜事件」
予告
あらすじ
米ソが冷戦で緊張状態にある最中の1950~60年代。
弁護士ジェームズ・ドノバンは保険の分野で腕を振るい、実直にキャリアを積み上げていた。
ある時、アメリカが捉えたソ連のスパイの弁護を引き受けた事をきっかけに、そのスパイとソ連に捉えられたアメリカ人パイロットとの交換交渉という大役を任されることになる。
米ソ全面戦争の様相も見え隠れする緊張状態の中、世界の平和は、よき夫であり、よき父であり、そしてよき市民であるいち弁護士の男に託されたのだった―。
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映画を見る前に知っておきたいこと
恐ろしい男スティーブン・スピルバーグ
さて、「あのスピルバーグが」監督するということで話題の本作。でも「名前は知ってるけど実はどんな映画を撮っているのか知らない」という人は意外と多い。
そこで、まずはスティーブン・スピルバーグがどれだけスゴイのかを分かりやすく解説しよう。と言っても、彼の場合は特別何を語る必要もなく、スピルバーグ監督作品を羅列するだけで恐ろしい男であることが分かって頂けると思う。
- 『ジョーズ(75)』
- 『未知との遭遇(77)』
- 『レイダース/失われたアーク《聖櫃》(81)(インディ・ジョーンズシリーズ1作目)』
- 『E.T.(82)』
- 『ジュラシック・パーク(93)』
- 『シンドラーのリスト(93)』
- 『プライベートライアン(98)』
ここに挙げたのはほんの一部に過ぎないが、映画史に残る両手でも数え切れないほど撮ってきた監督である。
今では、彼が監督する作品は「あのスピルバーグが」という言葉が冠詞になってしまう程の凄まじいネームバリューに加え、監督作品だけで合計興行収入は4000億円以上、プロデュース作品を含めると1兆円をゆうに超える名実ともに世界的なヒットメーカーである。
2001年には英国王室から騎士爵、2015年には大統領自由勲章を授与するなど、世界的にその名誉を認められている。
史実「U-2撃墜事件」
スピルバーグがどれだけすごいのかが分かったところで映画の話に入ろうか。この映画の最大のポイントは、やはり実話であるというところだ。
飽くまで基に描いたフィクションだとはいえ「史実はどうだったのか」が気になる人は多いだろう。
敵国のスパイを弁護するということ
“敵国のスパイを弁護する”ということはどういうことなのか。戦争をしない日本人にはいまいちリアリティを感じにくい部分である。
現代においてイメージしやすい言葉で表現するとすれば、“日本人を殺害したISISのメンバーの弁護をする”と思うと分かりやすいだろうか。冷戦は既に過去のことではあるものの、一歩間違えれば戦争になっていた緊張状態というのはつまりそういうことだと思う。
当人の苦悩やその背景など考えも及ばない群衆からは感情のままに蔑視されるし、過激な手段を用いる輩に暴力的な抗議を受けることもある。特にアメリカは銃の国でもあることだし。
主人公ジェームズ・B・ドノバンのおかれている状況をイメージして頂けただろうか。
彼が弁護した男はKGB大佐のルドルフ・アベル。本名:ウィリアム・フィッシャー、コードネーム「マーク」と呼ばれていた男だ。アメリカの核開発状況を調査する非合法諜報員として暗躍した。
wikipediaではルドルフ・アベルの名で掲載されている。wikipedia「ルドルフ・アベル」
結果として弁護は成功し、ルドルフはドノバンの奮闘の甲斐あって死刑から禁固30年に減刑された。
U-2撃墜事件
裁判も終わってあとはほとぼりが冷めるまで待つだけ、という状況の中で起こったのがソ連がアメリカの偵察機を墜落せしめた「U-2撃墜事件」である。
ソ連側に囚われたパイロットの名はフランシス・ゲーリー・パワーズ。この事が発覚した当初、アメリカ政府は「民間機が自分で墜ちた」と嘘八百の声明を発表したが、パワードが洗いざらい全部見事に喋ってしまって米偵察機によるソ連の偵察が世界に明るみになり、アメリカの国際的な立場は一気に危うくなる。
時のアメリカ大統領は声明を一転させ、こう発言している。
「ソ連に先制・奇襲攻撃されないために、偵察を行うのはアメリカの安全保障にとって当然のことだ。パールハーバーは二度とご免だ」
ドワイト・D・アイゼンハワー
この逆に気持ちの良いぐらいの開き直りっぷりはさすが欧米人というべきか、「非を認めると死ぬ」政治の世界では当たり前のことだとしても、凄まじい胆力である。
なぜスパイ交換をする必要があったのか
しかし、何を言ったところでアメリカの立場が良くなるはずもなく、苦肉の策として「そんなこと言ってお前もやってたじゃん!!」と相子に持ち込もうと練られたのがスパイの交換策だった・・・とも考えられる。
理由は、捕らわれたパイロット・パワードは自殺用の毒薬を所持していたにもかかわらず使用しなかったこと、機密情報の証拠隠滅を怠ったことなどから、当時の世論はパワードに対して批判的であったことなどがあげられる。
洗いざらい全部しゃべってしまったパワード自身に戦略的な価値はなかったことを考えても、このスパイ交換はアメリカ側の国際的な体面を保つ狙いが大きかったのではないか。
事実、この事件はソ連政府により「反米プロパガンダ」に大きく利用されていたという。
などなど、もろもろと裏が見え隠れしているとはいえ、アメリカの立場を悪くするようなことを世界的な地位のある監督がホイホイと映画で描けるはずもないので、やはり物語は人命救済の正義にフォーカスされるだろうと思っている。
交渉役としてのジェームズ・B・ドノバンの起用は、KGBスパイの弁護を引き受け減刑させていたことに加えて、元OSS(戦略諜報局、CIAの前身のひとつ)顧問弁護士でもあった経歴を買われてのことでもあったと思われる。
そして彼の活躍もあり予定通り交換は行われ、パワード、フィッシャー共に無事に母国に帰国することになった。
パワードが帰国した後に開かれた上院軍事委員会では、「パワードは何も秘密を漏らしていない」という自白したという情報とは食い違った結論を出しているし、アメリカ政府の嘘の声明や大統領の開き直りっぷりを見ても、両国の天秤に誠実さなんて乗る余地もなかったことは確かだろう。
アメリカ政府によるスパイ交換交渉が人命を尊んだ正義に則ってのことなのか、それとも反米プロパガンダに対するアンサーなのかも今となっては闇の中。『ブリッジ・オブ・スパイ』は、そんな人の命すらも駆け引きの材料として使われる“戦場”のど真ん中にいた知られざる男の物語である。