映画を観る前に知っておきたいこと

【超高速!参勤交代 リターンズ】あの湯長谷藩一行の参勤交代と映画が同時に帰ってくる!

超高速!参勤交代 リターンズ

金なし!人なし!時間なし!おまけに帰る城もなし!?

2014年に幕府から突然の参勤交代を命じられた弱小貧乏藩の奮闘を描きスマッシュヒットを記録した『超高速!参勤交代』の続編。監督の本木克英をはじめ、主演の佐々木蔵之介、深田恭子、伊原剛志ら主要キャストも続投している。

前作で見事江戸への参勤を成し遂げた湯長谷藩(ゆながやはん)だったが、そもそも参勤交代とは、〈参勤〉だけでなく、藩に帰る〈交代〉まで終えてこそ完結するもの。湯長谷藩の参勤交代は、まだ終わっていなかった……

さらに高速!さらにピンチ!あの湯長谷藩一行の参勤交代と映画が同時に帰ってくる!


予告

あらすじ

享保20年(1735年)、8代将軍・徳川吉宗の世。石高1万5千石の弱小貧乏藩であった湯長谷藩の藩主・内藤政醇(佐々木蔵之介)は、江戸幕府老中・松平信祝の陰謀によりたった4日で参勤せよと無理難題を押し付けられた。しかし金も人も時間もない中、超高速で走り抜け奇想天外な作戦で見事参勤を果たした。これにより信祝の陰謀は阻止されたかに思われたが……

超高速!参勤交代 リターンズ

©「超高速!参勤交代 リターンズ」製作委員会

ホッとしたのも束の間。今度は湯長谷藩に向けて江戸を出発した政醇と家臣たち。参勤で路銀を使い果たした彼らは、各自の得意技を活かし銭稼ぎをすることに。ようやくある程度の銭をかき集めた一同は牛久宿で政醇とお咲(深田恭子)の祝言を開くが、宴の最中に江戸家老・瀬川が慌てて駆け込んできた。

なんと湯長谷で一揆が発生したという。二日以内に一揆を治めなければ藩のお取り潰しは免れない。一行はさらに倍の速さで帰るはめに。

すでに老中・信祝の恐ろしい逆襲が始まっていた……


映画を観る前に知っておきたいこと

まずは、映画の予習として前作『超高速!参勤交代』(14)の予告とあらすじを紹介しておきたいと思います。ただ前作も観たくなった人に配慮して、映画の後半のあらすじはクリックすると表示されるようになっています。最後まで読み進んだ場合は完全にネタバレしてしまいます。

最後に実際の内藤政醇と湯長谷藩について紹介しています。

『超高速!参勤交代』予告

https://youtu.be/RngrAI-263I

『超高速!参勤交代』あらすじ

享保20年(1735年)、8代将軍・徳川吉宗の世。石高1万5千石の弱小貧乏藩であった湯長谷藩の藩主・内藤政醇は、1年間の江戸勤めを終えようやく帰国した。

それから間もなく、帰国を果たしたばかりの政醇のもとに江戸幕府老中・松平信祝から命が届けられた。それは「5日のうちに再び参勤交代せよ」という無理難題であった。信祝は湯長谷藩が所有する金山に目をつけ、湯長谷藩の取り潰しを画策していたのだ。

もともと石高1万5千石の弱小貧乏藩である湯長谷藩は、4年前の飢饉の影響で財政は逼迫していた。参勤の費用を捻出できないと踏んだ家臣たちからは「幕府に直訴する」「賄賂を贈って許しを乞う」などの対策が提案されたが、政醇は家臣と領民を守るために、あえて理不尽な参勤を受け入れるのだった。

超高速!参勤交代 

© 公式サイト

家臣一のキレ者である家老・相馬兼嗣は、少人数で山中を走り抜け、幕府の役人の監視のある宿場のみ日雇い中間を揃えて大名行列に見せかけるという奇想天外な作戦を考えた。その日の夜、政醇と相馬のもとに一匹狼の忍び・雲隠段蔵が現れた。政醇は段蔵の「自分を山中の道案内人として雇ってくれ」という申し出を快諾し、一行に加えることに。

翌日、藩主・政醇以下の湯長谷藩一行総勢8人は、いよいよ江戸に向けて出発した。一方、政醇が参勤することを知った信祝は湯長谷藩一行を亡き者にしようと、配下の忍び衆を刺客として差し向けていた。

Click! ※あらすじ後半(ネタバレ)

実際の内藤政醇と湯長谷藩

湯長谷藩は江戸時代前期に磐城国(いわきのくに※現在の福島県いわき市)に実在した藩である。1622年に磐城平藩(7万石)の藩主・内藤政長が次男の政亮に1万石を分与したことで磐城平藩の支藩として立藩された。

前作『超高速!参勤交代』で湯長谷藩一行のピンチを救った内藤政樹の行列は本家の磐城平藩である。

劇中で描かれている通り、湯長谷藩は1万石台の弱小貧乏藩で、譜代大名の内藤氏(一時期遠山氏を称した)が14代に渡って藩を治めた。

映画の主人公、佐々木蔵之介演じる内藤政醇(ないとうまさあつ)は湯長谷藩の第4代藩主に当たる。「忠孝・倹約・扶助」を旨とする藩法を定めたことでも知られ、それは映画の政醇のキャラクターと一致する。物語の6年後の1735年に31歳で亡くなっている。

映画ではコメディ時代劇として湯長谷藩を守る内藤政醇の奮闘が描かれているが、実際の湯長谷藩も1871年(明治4年)の廃藩置県まで存続した。

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