映画を観る前に知っておきたいこと

【海難1890】日本とトルコの「国交」を超えた友情の歴史

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海難1890

日本とトルコの友好の礎と言われていても、両国でもあまり認知されていない1890年の「エルトゥールル号遭難事件」と1985年の「テヘラン邦人救出劇」を日本の外務省とトルコ政府の全面協力を得て映画化したヒューマンドラマ。

監督は『利休にたずねよ』でモントリオール世界映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞した田中光敏。

『家路』『罪の余白』の内野聖陽がエルトゥールル号遭難事件偏の主演を演じているほか、第85回キネマ旬報ベスト・テン新人女優賞、第66回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞、第37回日本アカデミー賞新人俳優賞など、数々の新人賞を受賞した注目の新人女優、忽那汐里が二つの時代をまたいで一人二役でヒロインを演じている。


  • 製作:2015年,日本・トルコ合作
  • 日本公開:2015年12月5日

予告

あらすじ

1890年、エルトゥールル号遭難事件

田村とハル

明治中期、和歌山県紀伊大島のとある村に、田村(内野聖陽)という医師がいた。貧しい者でも分け隔てなく、親身になって診察する姿に村人は信頼を寄せていた。海難1890彼の助手を務めるハル(忽那汐里)という女性。彼女はかつて許婚を海難事故で亡くした過去があり、そのショックで今も口がきけない。

ムスタファとベギール

1889年、オスマン帝国のエルトゥールル号が、首都イスタンブールから日本へ向けて出向した。昨年、イスタンブールを訪れた明治天皇への謁見のための航海だ。

親善使節団を乗せた船には、船には名家の出であり海軍機関大尉のムスタファ(ケナン・エジェ)も乗り込んでいた。部下から多大な信頼を寄せる操機長のベキール(アリジャン・ユジェソイ)が機関室を仕切っている。

長い航海の中で苦楽を共にした二人はお互いを認め合い、階級を超えた友情で結ばれていく。

エルトゥールル号座礁

翌年6月、親善使節団は無事天皇に謁見。スルタンの親書を渡し、同年9月には使命を終えて帰路に着くエルトゥールル号。しかし、和歌山県樫野崎沖にて台風に遭遇してしまう。

荒れ狂う海の中、台風を抜けるだけの推進力を唯一の頼りにエルトゥールル号は前進する。その結果、機関室に負担がかかりすぎ、船は座礁し水蒸気爆発を起こす。

大島村に轟音が響きわたる。

音を聞いて集まった村人が見たのは、海岸に流れ着いたたくさんの死体と船の残骸だった。海難1890海に投げ出され、漂流する生存者を助けるべく、漁師の信太郎(大東駿介)が先陣を切った。彼の背中を追い、村人達は総出で救出活動を行う。

田村とハルの救護所には、たくさんのけが人が運ばれた。ムスタファも、意識を失い海中に沈もうとしていたところを信太郎に助けられたが、既に呼吸は止まっていた。

その姿に亡くした許婚の亡骸を重ね、茫然自失に陥るハルだったが、田村に激を飛ばされ、懸命にムスタファを蘇生するのだった。

息を吹き返したムスタファを含め、生き残った乗組員は69名と判明。犠牲者は500人を数える大惨事となった。その中には、操機長のベキールも含まれていた・・・。

村長の佐藤(笹野高史)は、亡くなった全ての人を丁重に弔ってやりたいと言い出し、村人達はわずかな蓄えも全て提供して、生存者を看病した。

ムスタファは意識を取り戻したものの、自分が生き残ったことに罪悪感を感じて苦悩する日々を過ごしていた。ハルはそんな彼を言葉が分からないなりに支えようと励まし続けた。海難1890応急手当を終えた生存者は順番に島から移送されていったが、ムスタファは遺留品の回収と行方不明者の確認のために島に残ることにした。

自分の体を省みず不眠不休で治療に当たってくれた田村、意識不明だった自分を蘇生させてくれたハル、危険を承知で海中から助け出してくれた漁師たち。

死者に対して礼を尽くそうとする村人や、漂着した遺留品を母国の遺族に届けようと磨いてくれている女と子供の姿は、ムスタファをはじめとするトルコの人々の心に深い感謝を湛えるのだった。海難1890

1985年、テヘラン邦人救出劇

時は流れ、1985年のイラン。イラン・イラク戦争の停戦合意が破棄され、首都テヘランは戦火に只中に置かれていた。

トルコ大使館の職員ムラト(ケナン・エジェ)と日本人学校の教師・春海(忽那汐里)は、避難先で出会い、協力してけが人の手当てに奔走していた。

戦況は膠着し、サダム・フセインは「48時間後にイラン上空を飛行するすべての飛行機を無差別攻撃する」と宣言。民間人の避難に一国の猶予もない状況となってしまう。

日本大使・野村(永島敏行)は急いで外務省に救援機の要請を出すが、日本にはイランへの就航便がないため迅速な対応が出来ずにいた。一方で、他の国々では続々と救援機が到着し、自国民を乗せてテヘランから脱出していく。

日本大使館を訪れた春海は、野村から日本人だけが取り残されていく現状に何も打つ手がないと絶望を突きつけられる。

いよいよトルコの救援機が最後の搭乗になる。そのことを知った春海は、トルコの救援機に日本人も乗れるように頼めないかと野村に進言するのだった。

トルコの救援機追加派遣

要請を受けたトルコのオザル首相は、トルコの国民を危険にさらすという周囲の反対を押し切って、日本人のための救援機の追加派遣を決断した。海難1890この報せは脱出を諦めていた日本人に一筋の光明をもたらした。春海は、既にテヘラン脱出を諦めていた日本人技術者・木村(宅間孝行)の家へ知らせに走る。

街は脱出を試みるたくさんの人で混乱していた。kainan-story6木村の家族を連れて空港へ戻る道中で、春海はムラトと再開し合流した。

やっとの思いで空港へ到着したものの、空港には救援機を待つトルコ人で溢れていた。それぞれが我先にとカウンターに詰め寄り、チケットを求めている。

その状況に飛行機に乗ることを諦めかけた日本人たちだったが、その状況を見たムラトが、カウンターに群がるトルコ人たちに向かって語り始める。海難1890「日本人は私たちの祖先を助けてくれた。今、絶望に陥っているこの日本人を助けられるのはあなたたちだけです。決めるのは、あなたの心だ」


映画を見る前に知っておきたいこと

トルコと日本の関係について

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この映画のことを知るにあたって、まずはトルコと日本の関係について、軽く洗っていきたいと思う。

エルトゥールル号遭難事件をはじめとして、長い間ロシアの支配に苦しまされてきたオスマン帝国時代に日露戦争で一矢報いたことなどから、アジア近代化の中で先端を行く日本に対して、トルコ側は“勤勉で義理堅く優秀な民族”というイメージを持たれていたらしい経緯がある。

他、言語学の方面からトルコ語と日本語の類似点を理由に、モンゴル高原に起源をもつ兄弟民族として親しみを持つトルコ人も多いという話もある。

「仲の良い兄弟がモンゴル高原で別れ、太陽を追いかけて東に行った方は日の丸を国旗とする日本を建国し、月を追いかけて西に行った方は新月を国旗とするトルコを建国した」

という、両国の国旗を対比したロマンチックなエピソードもある。

とはいえ、上記の事件を日本人でも知る人が少ない様に、トルコの国民の日本に対する関心は日本国内で言われている程に高いわけではないようだ。

それでも、エルトゥールル号遭難事件、テヘラン邦人救出劇に続き、平成11年(1999年)に起こったトルコ北西部大地震では、日本側は惜しみない支援を送った。

「トルコ共和国はイラン・イラク戦争のおり、危険もかえりみずに二機の航空機を派遣し、テヘランに在留していた邦人215名を救出してくれた。日本は、いまこそ、トルコの恩に報いなければならない。トルコのひとびとの友情に応えなければならない。・・・先達が遺してくれた日本とトルコの絆を断ち切るようなことがあってはならない。さあ、すみやかに、トルコへ向けて出発しよう。トルコには日本の支援を待ち焦がれているひとびとがいるのだ」
海上自衛隊 輸送艦「おおすみ」艦長の言葉

これまでの経緯を見ると、助けられたから助けるという感覚とはまた別の、国交をも超えた誇りを賭けた結びつきがあるようにも感じられる。

その発端が国の宣言や国交に始まったものではなく、とある村の必死の救助活動だというのはなかなかに感慨深い話である。

教科書に載らない事件

ところで、100年前のエルトゥールル号遭難にはじまる世代を超えた助け合いの歴史は、トルコでも日本でも一般的な教科書には載っておらず、あまり認知されていないようだ。

なぜかと言うと、ひとつには教科書に載せるには歴史的に結びつけづらい点が理由にあげられるだろう。一部では載っている教科書も存在するようだが、歴史ではなく道徳の教科で教えているという。

エルトゥールル号事件はそもそもオスマン帝国側の横暴が原因だったこともあり(もともと列強の目を気にしての無理な航海だった)、トルコ側では“あまり大声で流布できない”という事情が、日本側では“海難救助は当たり前で特筆すべきことでも無い”という精神論が、それぞれ関わっているようだ。

教科書では取り上げにくい事件なのも納得できる。そう考えると、この事件の記録として映画という媒体はとても適しているように思う。

「エルトゥール号遭難事件」「テヘラン邦人救出劇」この二つの事件は日本人として知らないのはもったいない。内容はどうあれ、まずはこの事件をテーマに取り上げたことに賞賛を送りたくなる映画だ。

時代背景について

エルトゥールル号
「テヘラン邦人救出劇」はともかく、エルトゥールル号の遭難事件は125年も前の事件だ。125年も経つと、価値観も生活様式も現代とは大分かけ離れている。

そこで、当時の時代背景について少し触れておこうと思う。

なお、「テヘラン邦人救出劇」についてはNeverまとめなどでまとめられていたりもするので、映画を見ようと思う人、または見た人は目を通してみると面白いかもしれない。
Neverまとめ「日本人を救出するために戦火の中フライトしたトルコ航空」

なぜエルトゥールル号は日本に来たのか

興味を引かれるのは「なぜエルトゥールル号は日本に来たのか」という点だ。これには二つの理由がある。

ひとつは、時の明治天皇、小松宮彰仁親王の欧米歴訪の際の、トルコ・イスタンブール訪問の返答として。

トルコ側は天皇の訪問を大変厚遇し、小松宮彰仁親王はトルコに対して感謝状および贈り物を送られている。その答礼として、日本を訪問しようというのがまず一つ目の目的である。

もうひとつは、あらすじ紹介した「帝国の威信を欧州各国へ示すため」。

なぜ日本に来ることが=オスマン帝国の威信を欧州へ示す結果になるのかについてを簡単に説明すると、これには当時のヨーロッパ列強に対してオスマン帝国が宗教的な権威を得ようとした背景がある。

当時、経済的にも軍事的にも発展の目覚しいキリスト教諸国の脅威に対し、汎イスラム主義がイスラム民族の団結や自覚を求め唱えられた。

これを自国の防衛策に利用しようと目論んでいたのが、オスマン帝国衰退期に即位した皇帝アブデュルハミト二世だった。自分こそが正当なカリフ(全イスラム教徒の指導者)だと、明治天皇の太鼓判を貰い内外に宣伝する狙いがあったと言われている。

実際、ヨーロッパ列強諸国の植民地には多くのムスリム(イスラム教信者)がいた。正当なカリフとして世界的な権威を得れば、列強は容易にオスマンに手が出せなくなる、というのが皇帝アブデュルハミト二世の狙いだった。

前項でも少し触れたが、エルトゥールル号の航海はそもそも無理のある航海だった。船体は古く、トラブルに見舞われながらも、あえて季節の悪い時期に航海を断行した理由もまた、列強諸国が季節を関係なく日本までの航海を成し遂げているのを尻目に見てのことだった。

カリフとしての威信を賭けた航海だったため、後に引けなかったのだ。

125年前の価値観

1800年代後半。現代からは想像もつかないが、当時は人種差別が当たり前の様にまかり通っていたという事実も無視できない。

詳細は割愛するが、エルトゥールル号遭難事件の4年前に起きたノルマントン号事件では、多くの日本人が当然の様に見捨てられた。

実際に救助に当たった大島村の人たちはそのことを知る由もなかったとはいえ、人に施しが出来るほど生活は裕福ではなかっただろう。

村人たちからすれば、突然振って沸いた厄介ごと以外の何でもない。“海難救助は当たり前のこと”といは言っても、身を削る大仕事だったに違いないのだ。

「どこのもんでもかまん、助けなあかん」という予告編の台詞から察するに、外の者と中の者を分け隔てる価値観は、大島村の人たちの中にも多少はあったのではないかと思われる。

それでも救うという“人としての誇り”とでも言うべき意志が、100年後に、そしてこれからの未来にも歴史を超えて紡がれて行くのだとすれば、人の世もあながち捨てたものでもないと感じられる。

そう考えると、やはりこの事件をテーマに取り上げたことにまず賞賛を送りたい気持ちになる。出来はどうあれ、一度は見て記憶に留めて置きたい映画だ。

-ヒューマンドラマ, 邦画

執筆者:


  1. mahru より:

    Japonya ve Türkiye KARDEŞTİR…

  2. 山本 髙志 より:

    トルコの人に、日本語を教えています。彼の口から、エルトゥール号のこと、イ・イ戦争の時の邦人救出のこと、トルコ北西部地震の時の日本からの救援隊の活躍、そして東北震災時のトルコからのお見舞い等の話が出てきます。トルコの人は、日本人が大好きですといつも言ってています。はたして、日本人は、このトルコの人々をどれだけ理解しているのか。この映画を見たら、感動するはずです。トルコを見直すと思います。

  3. ももこす より:

    トルコは親日国と聞いてましたが
    その礎にこのようなエピソードがあったとは、知りませんでした

    こちらのサイトはその背景まで分かりやすいですね😃ブログにリンク貼らせていただいても差し支えないでしょうか?

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