少女がその先にみたものー
東京国際映画祭で最優秀芸術貢献賞、WOWOW賞のW受賞をはじめ、世界で多くの賞を獲得したロシアの異色作品。一切の台詞を排し、光と影が織りなす映像美と、登場人物の繊細な表情と、胸に響く音響とで構成される。
新鋭監督アレクサンドル・コットが、旧ソ連が現カザフスタンで実際に行った核実験から着想を得て制作された本作は、同じロシアの巨匠アンドレイ・タルコフスキーの遺作『サクリファイス』を想起させるほどの傑作である。
平和な日々を送る厳格な父親と美しく優しい娘、そして娘に恋をする2人の青年との三角関係。そうした日常の風景に突如暗い影が差し込んでいく。美しき少女に心奪われ、衝撃のラストに言葉を失う……
映画好きなら、この作品に触れるべきだ!
Contents
- 1 予告
- 2 あらすじ
- 3
映画を観る前に知っておきたいこと
- 3.1 テーマありきの手法で描かれる
- 3.2 映画の基となった核実験
- 4 解説
- 5 感想・評価/2015年最も美しい映画
予告
あらすじ
風が吹きわたる緑の大草原にポツンと建つ小さな家で、美しい少女は厳格な父親と暮らしていた。家の前には家族を見守るように1本の樹が立っていた。
毎朝、どこかへ働きにいく父を見送っては帰りを待つ少女。部屋の壁には世界地図が貼られ、遠い世界に想いを馳せながらも、繰り返されるこの穏やかな日常にささやかな幸せを感じていた。
その土地に住む幼馴染みの少年は、馬の扱いに長けていた。少女がどこからか家路に着く頃になると、颯爽と現れ、彼女を後ろに乗せて家まで届ける。そして一杯の水を飲み干しては、どこかへと消えていく。それは草原で繰り返されている日常。
ある日、少女の家の近くに1台のトラックが立ち往生していた。エンジンを冷やすための水を求めて白人の少年が少女の家を訪れた。居留守を使う少女。しかし井戸には鍵がかけられており、少年は途方にくれる。それをかわいそうに思ったのか、少女は少年の前に現れ、水を与える。少年は少女の写真を一枚だけ撮ると、水を抱えてトラックに帰って行く。その夜、少年は少女と再会するために舞い戻ってくる。
その土地の馬の扱いに長けた少年と、どこからかやってきた白人の少年は少女に想いを寄せる。そんな淡い三角関係、穏やかな日々、ささやかな幸せに突如暗い影が差し込む……
Sponsored Link映画を観る前に知っておきたいこと
無声映画なので敬遠する人もいると思うが、だからこそ感情に直接訴えかけてくるのも事実だ。難解な映画であることは否定しない。しかし、決して観客を置き去りにするような映画ではない。
テーマありきの手法で描かれる
この映画はジャンルを伝えるだけでも一苦労だ。大きく括ればファンタジーに入れるしかなくなるが、それはアレクサンドル・コット監督の手法によって偶然そうなってしまっただけのことである。
この映画はある核実験から着想を得ているが、根底にあるのは「あるところに男の子と女の子がいて、お互いを好きになって、その子たちには何の罪もなかったのだけども、それでも死を迎えてしまった」そういう誰にでも感情移入できるようなメッセージだ。
そのメッセージを観客の心に直接触れるように届けるために、場所も時代も設定せず、台詞も排除するという手法が取られている。
また登場人物に名前もなく、どこかからやって来てどこかへ去っていくというように表現される。これにより作品は、わかり易い物語性を放棄する代わりとして、強烈なメッセージ性を手に入れている。
作品のテーマを観客に伝えることを最上とした手法がファンタジーの要素を作り出してしまっているのだ。
難解な映画ではあるが、本質はありきたりなものだ。そして、それはこれまでの映画同様にこんな凝った手法でなくても表現できるものだ。
しかしこの手法こそが、本作を同じようなテーマの映画とは一線を画す高みへと押し上げている。
映画の基となった核実験
映画は実際の核実験が基となっている。それは、カザフ共和国(現カザフスタン)の北東部セメイの西方150kmの草原地帯にあったセミパラチンスク核実験場で行われたものだ。この施設は、1949年から1989年の40年間に合計456回の核実験に使用された。
1947年、ソ連の原爆開発の最高責任者であったラヴレンチー・ベリヤによってその場所は選ばれたのだが、彼はこの土地一帯が無人だと偽りの主張をしたとされている。この事実が映画の根幹を担っている。
ソ連崩壊後、現在はカザフスタンの所有となったため、世界の核実験場では唯一、他国による調査が可能となっている。
解説
芸術作品というのは抽象的で難解なものであり、そこに内包されたメッセージを触れた者にいちいち説明して頭で理解させるのではなく、より感覚的に理解させる。
何かを伝える上で非常に効率の悪い表現方法だが、本作はまさにそんな芸術作品のような映画で、万人に伝わりづらいからこそメッセージを受け取った者にはより強烈に響く。
この解説を読んでくれているのはそんな少数派の人だと信じているから、僕はこの映画が持つ芸術性とメッセージを誰かと共有したい。
抽象的な映像美
まず、この映画を観て真っ先に映像を美しいと感じた人は多いはずだ。
僕にはすべてのカットが、一枚の写真のように感じられた。劇中のどのシーンもまるでDVDのジャケットにできそうなほど、凝った構図で撮影されている。普通の映画ではまずこんな真似はできない。
すべてのカットが非常に印象的だが、これをやってしまうと物語性が放棄され、果てにはリアリティまで失ってしまう恐れがあるからだ。
本作はそれらを逆手に取り、物語性とリアリティをあえて薄れさせる事でテーマを浮き彫りにしているからこそ、全編芸術的なカットで撮影する事が許されている。
美しい対比
この映画には“計算され尽くした対比”が多くある。それはまるで左右対称な雪の結晶のように美しい。そしてこの美しさこそが、本作の芸術性を高める最も重要な要素だ。
ワンカットに込められた対比
- 父親が死ぬシーンは、ワンカットで太陽が昇り、逆に父親は太陽が沈むようにゆっくりと画面の下へと見切れてゆく。決して明らかに父親が死んだという描写ではないが、たったワンカットで観客に父親の死を確信させている。
- 核実験の映像はこれまで多く記録されており、アレクサンドル・コット監督は核爆発のキノコ雲を見た時に美しいと感じたという。劇中の核爆発が映されたワンカットにも、文明による人間の汚れと、単純な美しさとの対比が描かれている。これに関しては矛盾と言ってもいいかもしれない。
- 太陽が少し昇るとすぐに沈んでしまう超自然的(自然界の法則を超えた)な描写のラストシーンもワンカットに込められた対比の一つだ。人間の核実験はそうした自然の摂理までをも破壊してしまうのだと伝えている。
これらのワンカットはそれぞれがメッセージを含んでおり、まるで短い詩を読んでいる時のような感覚にさせられる。
日常にある少女のイノセンスと核実験という人間の愚かさの対比
それは映画全体を通して描かれる対比で、「あるところに男の子と女の子がいて、お互いを好きになって、その子たちには何の罪もなかったのだけども、それでも死を迎えてしまった」というテーマを最もよく表している。
一帯が無人だという偽りの主張の基に旧ソ連が現カザフスタンで実際に行った核実験は、そこで生活する何も知らされない多くの人の命を奪った。
それが如何に愚かで容赦のないかを、何も知らされない人の視点から伝える事で観客は感情移入し、より強烈なメッセージとなっている。
無声映画という手法と核爆発によるラストシーンの対比
僕がこの映画を見たのは、少し強めの雨が降る夜だった。映画にはセリフが一切なく、音楽も静かで、外の雨の音が気になったのを覚えている。
しかし核爆発によるラストシーンは、まさしく世界を一変させた。
無声映画として人々の日常の愛情などの営みや感情を静かに描きながら、核爆発の轟音はこれまでのどんなアクション映画の爆発シーンよりも印象的だった。
この対比は非常に解り易く、「衝撃のラスト」という作品のエンターテイメント性を担う役割も果たしている。
ラストシーンと冒頭の対比
映画の中で用意されている最も重要な対比が、冒頭のシーンとラストシーンによるものだ。
映画の冒頭で、緩やかな風に鳥の羽が舞いながら、その先に一台のテーブルが映し出される。これは核実験後の風景だが、ラストシーンと違い、どこか穏やかで優しい空気を感じる描写になっている。
人の気配は全くないが、すべてを奪い去った核実験後も世界は美しいまま存在していると言わんばかりに。
しばしば核実験が行われている現実でもまだ世界は存在している。
僕たちは結局それを遠い場所での出来事にして、忘れてしまいがちだ。冒頭のシーンはそんな状況に警鐘を鳴らしているような気がして、結末を知ってから2度目に見た時には一番恐ろしいシーンに映ってしまった。
感想・評価/2015年最も美しい映画
この映画の映像美は誰もが初見で感じ取るだろう。
しかしそれ以上に、対比によるコントラストからテーマを浮き彫りにする手法によって美しさは演出される。割とありがちなやり方ではあるが、ここまで均整の取れた対比が多くある映画は他にない。均整が取れたものはそれだけで美しく、芸術的でかつ解り易い。
そういう意味では、難解な映画の中ではメッセージを受け取り易く、敷居が低い。無闇に観客を置き去りにするような映画ではなく、必ず何かは残してくれる。前衛的な映画を見てみたい人にとってはお勧めの作品だ。
僕はこの対比を使った手法が好きだ。
発見できた時は素直に嬉しいし、映画を見た人ともああだこうだと語り合える。映画はそこが楽しい。
あまりに衝撃的で言葉を失ってしまいます。
すべての人に見てほしいと思いました。
言葉がなくても、だからこそ、五感に訴えてくる映画です。
>まりさん
感想ありがとうございます。
この映画をすべての人に見てほしいという想いは同じです。
ただ、この手の映画は出会える機会が圧倒的に少ないのが残念です。
実は日本公開以前にWOWOWで放送したようなので、僕はできればそこで出会いたかったです。
素晴らしい解説で、読ませていただきました。
核実験が元ネタだということを、知らずこの映画を手にとったのですが、冒頭からあまりにも美しい映像に、同じ地球上の土地だと思えず、まるで異なる星の地のようで、圧巻で壮大だと感じていました。
セリフがないことから、物語が型にはまらず、また、普段、無意識的に遠ざけてしまっている自然の音に耳を傾けることができました。
また、解説を読み、登場人物の素性が詳しく描かれてないことが、かえってこの映画が、物語以上に伝えたいメッセージに精力を注いでいるのだと分かりました。
しかし、衝撃を受けたラスト、、。
ある種のファンタジーかと思いきや、今回、貴方の解説を読ませていただいたことで、より理解が深まりました。
映画を単に娯楽としてではなく、メッセージを伝えるための手段として、強烈なメッセージを観ている側に残したと同じく感じました。
素晴らしい映画と、素晴らしい解説に感謝します。
映画好きの19歳。さん、コメントありがとうございます。
「無意識的に遠ざけてしまっている自然の音に耳を傾けること」それも美しい対比のひとつのようですね。
核が関係すると、途端に僕たち日本人のアンテナは敏感になるので、思わず誰かと映画について話したくなります。
僕の解説を読んでもらえたことが、何よりも嬉しいです。
図書館でなんとなくDVDを手にして、「草原の実験」という題名や、曖昧なあらすじに惹かれて借りてみました。
「言葉」は窮屈なものだと思っているので、見始めて無声だと分かり嬉しくなりました。台詞がないからこそ、伝えたいものが明解に存在するように感じました。
DVDのパッケージに「衝撃のラスト」と書かれていたため、色々な衝撃を妄想して、本来の衝撃を受けることはなかったのかもしれなく、何も説明なく見られれば深く衝撃を受けるかもしれないなと思いました。
見終わった後に、まさに草原の実験なのだなと納得しました。そのままだなと。教科書やらニュースやらで外側の「核実験」という何か遠い表面的なものを、この映画は内側から見させてくれる、視点を移動させてくれる映画だなと思いました。(映画というものはそういうものなのでしょうが)
手にとって良かったと思える作品に出会えるってのは嬉しいことですね。
こういう手法の映画にもっと触れたいし、こういう手法の映画が増えたらいいな~と思います。