映画を観る前に知っておきたいこと

【消えた声が、その名を呼ぶ】ヨーロッパ近代史最大のタブー・アルメニア人虐殺

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消えた声が、その名を呼ぶ

ヨーロッパ近代史において最大のタブーとされた事件がある。それは100年前、オスマン・トルコで起こった死者100万人とも150万人とも言われるアルメニア人虐殺だ。日本ではあまり知られていないこの歴史的事件は、ヒトラーがユダヤ人虐殺の手本にしたとされる。

映画はこの事件から始まる。1915年のオスマン・トルコ、夜更けと共に現れた憲兵はアルメニア人鍛冶職人であるナザレットを強制連行した。妻と娘と引き離され、突然の死刑宣告を受ける。ナイフで喉を切られ、声を失いながらも奇跡的に生き残った男は、娘と再会するため地球半周、8年の歳月を彷徨う……

本作の題材となったこの歴史的事件は、アルメニア政府とトルコ政府の見解が未だに一致していない。またこの事件に関連する作品はアルメニア系の映画監督によるものが多い中、本作の監督を務めたのはトルコを出自とする若き巨匠ファティ・アキンだった。これはきわめて重要な意味を持つ挑戦である。

  • 製作:2014年,ドイツ・フランス・イタリア・ロシア・ポーランド・カナダ・トルコ・ヨルダン合作
  • 日本公開:2015年12月26日
  • 上映時間:138分
  • 原題:『The Cut』
  • 映倫区分:PG12

予告

あらすじ

家族:1915年オスマン・トルコの南東部に位置する都市マルディン。アルメニア人のナザレットは鍛冶職人として、妻ラケルと双子の娘ルシネとアルシネと幸せに暮らしていた。ナザレットは平凡な男であった。時々教会で懺悔をし、善人であろうとする。そして、娘たちが自分の名前を刺繍してくれたスカーフが宝物だった。消えた声が、その名を呼ぶ時は第一次世界大戦下。ナザレットが家族と、ある街で自分たちと同じアルメニア人が姿を消したらしいと話していたその夜、突然憲兵が現れる。ナザレットは一緒に住む兄弟と共に強制連行されてしまう。「心配ない、すぐ戻る」と娘たちに言い残し、ナザレットは大切にしていたスカーフだけを持って家族と引き離された。ナザレットの幸せの終わりであった。

喪失:ナザレットたちアルメニア人が強制連行された先は、陽を遮るものもない灼熱の砂漠だった。男たちはそこで強制労働の日々を送ることとなった。そこでナザレットが目にしたのは、アルメニア人の子供たちと老人と女性が馬に乗った憲兵に家畜のような扱いを受けながら歩いていく姿だった。彼らが向かう先には、一体何が待ち受けているのか……消えた声が、その名を呼ぶある朝、アルメニア人の男たちはお互いに手と足を縄で繋がれ、谷底に連れて行かれた。そこで命令されるまま岩壁に向かって膝をつくと、「喉を切れ!引き裂け!」とナイフと剣による問答無用の処刑が言い渡された。男たちの悲鳴が辺りに響く。そして、それを掻き消すように行われる処刑。ついに隣にいた兄も喉を切られ、ナザレットも同様に喉にナイフを突き立てられた。数時間後、意識を取り戻したナザレットは自分が奇跡的に生き残ったことに気付く。しかしその代償として、ナザレットは声を失っていた。夜が明ける前に、ナザレットは仲間の死体をかき分けその場から逃げ去る。死にたくない一心であった。消えた声が、その名を呼ぶ生き残ったナザレットは家族と再会することだけを願いながら砂漠を歩き続けた。乾きと飢えに耐えながらも想いだけで歩を進める。しかし、必死で生き残ったナザレットを待っていたのはあまりにも残酷な現実だった。ナザレットは家族が死んでしまったという報せに絶望する……

希望:それからしばらくして、運命は再びナザレットに生きる希望を与えた。死んでしまったとばかり思っていた娘たちが生きていると教えられたナザレットはすぐに娘を探し始める。消えた声が、その名を呼ぶしかし、声を失ったままに彷徨うこと8年、娘を探す旅はトルコの砂漠からレバノン、キューバ、フロリダ、そしてはるか北アメリカのノースダコタへと続いていく。それでもほんのわずかな希望だけを胸に、雪の積もる荒れ地を一人歩くナザレット。果たして、彼の失われた声は娘たちに届くのか……

映画を見る前に知っておきたいこと

トルコ系ドイツ人であるファティ・アキン監督

このアルメニア人虐殺は、1915年から1916年の第一次世界大戦時に行われたものであり、今だにその詳細は公にされていない。よってこの一連の迫害におけるアルメニア人の犠牲者数の推測は、20万人から200万人という大きな振れ幅を生んでいる。最も有力な数字としては100万人だと言われている。

こうした背景には、オスマン帝国の現在の後継国であるトルコ共和国の政府がその責任の所在を明確にしていないことに端を発する。虐殺があったこと自体は認めているものの計画性や組織性は認めておらず、アルメニア政府による「虐殺は組織的に行われ、トルコが一貫した責任を有する」という主張と大きな隔たりを見せている。

こうした現状によってこの虐殺事件の真相はうやむやになっていることから、アルメニア系の監督がこの問題を映画化することはあったが、これまでトルコ系の監督はあえてここに手を出さなかった。しかし、本作でトルコ系ドイツ人であるファティ・アキン監督がついにこの問題にメスを入れた。ここには非常に大きな意味がある。

ファティ・アキン監督はトルコからドイツに移住してきた両親のもとに生まれ、国籍こそドイツであるがその血はトルコ人であり、ファティ・アキンという名前もトルコ系だ。また、この監督は36歳という若さで世界三大映画祭で賞を獲得した実績を持ち、本作を最終作とする「愛、死、悪に関する三部作」の一作目『愛より強く』(2004)はベルリン国際映画祭金熊賞を獲得し、二作目『そして、私たちは愛に帰る』(2007)はカンヌ国際映画祭で脚本賞と観客賞を獲得していることも重要だ。

本作を見るうえで、トルコに出自を持つ監督がこの問題をどのように描くのかは注目すべき点だと言えるが、ファティ・アキン監督には世界的な実績があることで、そこには確かな説得力が生まれる。

また、「愛、死、悪に関する三部作」で実績を積み上げたことも大きいと思う。それは一作目、二作目と着実に世界的な監督としての立場を確立していき、最終作となる本作でアルメニア人虐殺を描ける立場になったと感じるからだ。そういう観点からも三部作として美しい。

そして、ファティ・アキン監督は本作を「良心の探究をテーマにしている」と語り、この問題を愛のあるヒューマンドラマとして描いてくれたことは嬉しい。影響力を持ったうえで、この問題から平和を問い掛けるような作品を生み出したことは、今の世界で重要な意味を持つ。

-ヒューマンドラマ, 戦争, 洋画

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