映画を観る前に知っておきたいこと

【木靴の樹】まるで絵画を見るように。映画版バルビゾン派、エルマンノ・オルミ監督の代表作

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木靴の樹

19世紀後半のイタリア、ベルガモに暮らす4組の家族の生活を優しいまなざしで賛美したヒューマンドラマ。まるでドキュメンタリーのような厳しいリアリティを持ち合わせながらも、じんわりとした暖かい余韻がいつまでも残る良い映画だ。

イタリア・ベルガモ地方出身の巨匠エルマンノ・オルミ監督の代表作。幼いころ祖母に聞いた昔話から着想を得て、監督、脚本、編集、撮影すべてをオルミ監督自身が担当している。

多くの名作を生み出した功績により、ヴェネツィア国際映画祭から栄誉金獅子賞を贈られた巨匠の名に相応しい名監督だ。

キャストは様々な場面で素人のベルガモの農民をそのまま起用し、照明はほぼ100%自然光という徹底的にリアリティを追求した作風が高く評価され、1978年のカンヌ国際映画祭、パルム・ドールを受賞した。

2016年3月26日からリバイバル上映されることが決まっている。岩波ホールほか全国で順次公開の予定だ。

  • 製作:1978年,イタリア・フランス合作
  • 日本公開:1979年4月28日
  • 上映時間:186分
  • 原題:『L’Albero degli zoccoli』

予告

あらすじ

L'Albero degli zoccoli7地元の大地主に家畜や種子と土地を借り、農業を営んで暮らす4組の家族。アパートのような共同住宅で、肩を寄せ合うようにして毎日を過ごしている。

バティスティ一家

バティスティ一家は、貧しい生活の中で息子のミネクを学校へ通わせようとする。

ミネクは村から遠く離れた学校に通い始めるが、ある日の帰り道で木靴の片方が壊れてしまう。父は息子のために、川辺のポプラの樹を切って新しい木靴を作るが、樹木もまた地主のものだった。
木靴の樹

ルンク未亡人

一家の大黒柱を失って厳しい生活を強いられる中、未亡人は洗濯女をしながら6人の子供と父を養っている。

ある日、家畜の牛が病気をしてしまう。このままでは生活が立ち行かなくなるが、村の獣医には早く殺してしまったほうが良いと言われてしまう。
木靴の樹

ブレナ一家

ブレナのところにはマッダレーナという美しい娘がいる。

マッダレーナは美しい容姿でどうやら一人の男に気に入られたようだ。しかし、彼はなかなか上手くマッダレーナを口説くことが出来ない。勇気を出して声をかけて見るものの・・・。

フィナール一家

ドケチで有名なフィナール一家。

納める農作物の計量を誤魔化したりなどは日常茶飯事だ。

村が多くの人で賑わう祭りの日、フィナールは落ちている金貨を拾って有頂天に。誰にも見つからないように、馬の蹄の中に金貨を隠すが・・・。

映画を見る前に知っておきたいこと

映画は予備知識なしに見ると若干ではあるが物語に期待する感覚が残ってしまう。

当然と言えば当然なのだが、おそらく『木靴の樹』にとってその感覚は邪魔にしかならないので、「物語の面白さ」はこの映画にはないと断言しておこう。

『木靴の樹』は非常に分かりやすく絵画的である。

映画の背景

木靴の樹
まずは、せっかくリアリティをとことん追求した映画なので、少しでもこの映画のリアリズムが感じられるように、ある程度予備知識を予習してから見ることをおすすめしたい。

例えば、キリスト教。

教えに順ずる心持ちをいくらかでも持っている人がどれだけいるだろう。日本で「アーメン」とお祈りをする人など、フィクションの登場人物でしか見たことがないという人の方が断然多い。

イタリアどころか、農業そのものに馴染みのない人も多いと思う。

しかし、映画を見るにあたって重要なの心構えは、後述する「感想・まるで絵画を見るように」の項なので、必要ないという人は読み飛ばしてしまってもかまわない。

Click ※農業制度や時代背景に関する事前知識

舞台はベルガモの町と小作制度

ベルガモはイタリア北部に位置する小さな町だ。

北部イタリアの農業は、地主が種子や家畜を貸付け、小作が育てて収穫を分け合う「小作制」が一般的だ。ルネッサンス中期から農民の生産意欲を掻き立てるために「折半小作制」が爆発的に普及。中期~後期にかけて北部イタリアの農業の特徴となった。

『木靴の樹』では、収穫の2/3が地主の物になる。これは別に地主が意地悪というわけではなく、農民が特に貧しいと余計に貸し付けるものが多くなるため、それだけ多くを回収しなければ割に合わないのだと思われる。

物語に登場する4組の農民家族は、非常に貧しくはあるものの、イタリアの特徴的な農家の暮らしを送っている。

キリスト教について

日本には馴染みがあるようなないような、微妙な立ち位置にあるキリスト教。イタリアではもっぱらカトリックが信仰されている。

教育を受けない民衆にとって宗教とは、現代でも多くの人が迷う「生き方」のひとつとして、大切にされてきた。

少しズレた視点ではあるが、「キリスト教がイタリアの農民の生活の中にどのようにしてあったのか」という見方をしても興味深い発見の連続だ。

カンヌでパルムドールとともに※エキュメニカル審査員賞を受賞しているのも頷ける。

※カトリックとプロテスタントの審査員6名によって選ばれる宗教的な賞

19世紀イタリア

19世紀のイタリアは激動の時代であった。

当時のイタリアはいくつもの小国に分裂しており、フランス・オーストリア・スペインの後ろ盾により権力争いが絶えなかった。

イタリアが「イタリア王国」として統一されたのは1870年頃。当時のベルガモも統一したての慌しい情勢の中にあった。

ある人物がミラノの町に繰り出すシーンがあるが、兵隊の慌しい様子がその余韻を思わせる。なのに農民にはそんなこと関係ないといわんばかりの穏やかな生活ぶりが『木靴の樹』らしくて良い。

感想・まるで絵画を見るように

木靴の樹『木靴の樹』については、批評家からメディア、素人にいたるまで「まるで美しい絵画を見ているようだ」という感想を良く聞く。

なるほど、役者ではなく農民をそのまま起用し、自然光によって徹底的なリアリティを追求する映像的な手法は、一般的に定義される「映画」よりも「絵画」または「写真」に近い。

映像そのものの美しさにため息を漏らし、人生の素晴らしさ、悲しさ、優しさ、楽しさを夢想する。映画というよりも、喋る絵画、動く絵画という方が、『木靴の樹』を良く表しているだろう。

自然主義の流れの中で、神話や聖書の理想化された風景ではなく、僕らが生きる現実の風景を描いたミレーやテオドール・ルソーに代表されるバルビゾン派の画家たち。

エルマンノ・オルミ監督は、もしかしたら彼らと同じセンスを持ち合わせているのかもしれない。

淡く表層を流れる物語はもまた、次の絵を見るための心の準備に用意されているかのよう。

とはいえ、さすがに3時間の長尺だ。少し退屈に感じる瞬間もあるだろう。そんな時は、これだけ心に留めて置いてほしい。

退屈に感じて集中力を切らしてもいいし、ちょっと目を離して休憩するのもよい。疲れてトイレに行ってしまってもいいだろう。

『木靴の樹』は、物語を集中して追う必要がないところが、むしろ見やすいというメリットを生んでいる。適当に見てもエンドロールが流れる頃には感じたことのない柔らかい暖かさを感じさせてくれる。

本当に良い映画だった。

3月26日からリバイバル上映されるので、美術館に足を運ぶ気持ちで、ぜひともスクリーンの大画面で見て欲しい。

-3月公開, ヒューマンドラマ, 洋画
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