映画を観る前に知っておきたいこと

少年と自転車
親と子の偉大な愛の物語

少年と自転車

ただ、一緒にいてくれたら、
それだけでいい。

 唯一父とのつながりを残す自転車に乗って、少年はどこに向かうのか? これは父親に捨てられた少年と里親になった女性の心の交流を綴った、親と子の偉大な愛の物語である。

 これまでカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを2度に渡って受賞してきたベルギーの名匠ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ。本作でもグランプリに輝き、史上初となる5作品連続での主要賞獲得という偉業を達成した。名実ともにカンヌの申し子となったダルデンヌ兄弟が、信じられる大人に出会えずに生きてきた少年の心を優しく温かなタッチで描き出す。

 主人公の少年シリル役に抜擢されたのは、これが映画初主演となる新星トマ・ドレ。まるで彼自身がシリルであるかのような自然な演技は、その年のカンヌで大きな注目を集めた。また、シリルの里親サマンサ役にベルギーを代表する女優セシル・ドゥ・フランスを配し、ダルデンヌ兄弟が初めて有名俳優を起用したのも印象的だ。


予告

あらすじ

 もうすぐ12歳になる少年シリル(トマ・ドレ)の願いは、自分を児童養護施設に預けた父親(ジェレミー・レニエ)を見つけ出し、再び一緒に暮らすことだった。その日、学校を抜け出したシリルは父と暮らした団地を訪れたが、すぐに教師たちが彼を連れ戻しにやってきた。偶然近くにいた女性にしがみつき離れようとしないシリルは、「パパの家に僕の自転車がある!」と喚き立てた。

少年と自転車

© Christine PLENUS

 それから暫くして、あの時シリルがしがみついた女性サマンサ(セシル・ドゥ・フランス)が施設に訪ねてきた。シリルの話を聞いていた彼女は、わざわざ自転車を探し出し、持っていた人から買い戻してくれたのだ。サマンサに週末だけ里親になることを頼んだシリルは、彼女と週末を過ごしながら父親の行方を捜し始める。やがて情緒不安定なシリルを見兼ねたサマンサが、父親の居所を突き止め何とか会う約束を取り付けてくれた。

少年と自転車

© Christine PLENUS

 過剰な期待をなだめようとするサマンサをよそに、父との再会に胸を高鳴らせるシリル。しかし、約束の場所に父が来ることはなかった。仕方なく二人は父親が働いているというレストランを直接訪ねることに。そこでようやく父に会うことができたシリルは、嬉しそうに近況を報告した。自転車を取り戻したこと、サマンサのこと、自分は平気なこと。しかし、そんな息子に対して父が放った言葉はあまりにも残酷なものだった……


映画を観る前に知っておきたいこと

 日本人のある女性弁護士がダルデンヌ兄弟に語った、育児放棄された少年の話がこの映画の基になっている。彼女が担当したその少年はずっと施設で育ち、17歳の時に重大な暴力事件を引き起こしてしまったという。少年の行動の背景には、親の愛情の欠如があると彼女は指摘する。いつか会いに来ると約束した父親を、何年も施設の屋根に登って待ち続けた少年は、やがて裏切られないために暴力で自分の存在を誇示するようになったのだと。

 この少年の境遇に主人公シリルを重ねたダルデンヌ兄弟は、かつてない優しい眼差しで少年の物語を見つめる。暖かな陽射しと新緑に彩られた夏の風景によってダルデンヌ作品の暗いイメージは払拭され、そして何よりも、これまで頑なに音楽を排してきた彼らが、初めて音楽の助けを借りて物語を作り上げた。ベートーヴェン最後のピアノ協奏曲「皇帝」、その中でも叙情的で美しいとされる第二楽章。映画を彩る唯一のこの曲は、シリルが痛みを感じる瞬間に流され、何度でも少年の心を癒す。

 観客の感情を揺さぶるにしてはどこか滑稽さを滲ませる、同じ曲を繰り返し使う独特の演出。それは付箋の如く、音楽で物語の重要な場面に印を付けているようにも見える。主人公の感情の動きがこれほど安易に伝えられたダルデンヌ作品は、後にも先にもないだろう。それでも彼らがどうしても伝えたいことを優先したのだとすれば、らしくない演出も愛おしく感じられる。

無償の愛とリアリズム

少年と自転車

© Christine PLENUS

 この映画は父親に捨てられた少年シリルの物語であると同時に、彼の孤独を受け止める女性サマンサの物語でもある。そして観客もまた、サマンサを通じた大人の目線からこの少年を見つめていくことになる。時にシリルの反抗的な態度にサマンサ同様の苛立ちを覚えながら、次第に孤独を癒す少年の姿に心を揺さぶられるだろう。しかし、シリルの感情が解り易く伝えられる一方で、我慢強く寄り添うサマンサに対する感情移入の難しさに気づかされるはずだ。

 出会ったばかりの子供に対して、こうも愛情を注げるものなのか。サマンサがシリルを受け入れる感情だけが、どこか唐突に映ってしまう。しかも彼女の心にいくら理由を求めても、そのヒントすら見つけられないだろう。それもそのはず、サマンサの過去が一切描かれない物語の中には、初めから彼女がシリルを受け入れる理由が存在していないのだ。あえてサマンサの行動を“そうするべくしてしている”ように描くことで、二人の距離感は本当の親子に近づけられていく。シリルの止まり木のような存在として、ただそこにいることがサマンサの役割であるかのように。

 こうして生み出された一切余分な色がない無償の愛によって、初めて親の愛情が子供にもたらす変化が伝えられる。この『少年と自転車』は、血の繋がらない親子の交流を綴った感動作である以前に、子供にとってどれだけ親の愛情が重要かを描いた社会派作品と言えるだろう。社会的なメッセージのためなら、ドラマとしての感情移入を遠ざけることも厭わないダルデンヌ兄弟の透徹したリアリズム。真の感動はその先にこそ広がっている。

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