映画を観る前に知っておきたいこと

ある子供
純粋ゆえ無知、無知ゆえ愚か。ダルデンヌ兄弟の最高傑作

ある子供

痛みを知ること、
やさしくなること。

涙も、本当の愛も、命の重さも知らない若き父親は我が子を金に変えた。それは無知ゆえの愚行だった。

ベルギーの名匠ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌがカンヌ国際映画祭で2度のパルム・ドールに輝いた内の1本にして最高傑作。社会の底辺を彷徨う若者の成長を優しい眼差しで見つめる。

ダルデンヌ監督お気に入りの俳優ジェレミー・レニエが初主演を務め、恋人ソニア役のデボラ・フランソワはスクリーンデビューながらベルギーのオスカーであるジョゼフ・プラトー賞を受賞。二人の演技は無知なカップルの如く瑞々しい。


予告

あらすじ

20歳の青年ブリュノ(ジェレミー・レニエ)は失業中。手下のような少年スティーヴ(ジェレミー・スガール)と盗みを働きながら生計を立てていた。18歳の恋人ソニア(デボラ・フランソワ)との間に子供が産まれても、彼のその日暮らしは変わらなかった。

ある子供

ある日、ソニアは真面目に働いて欲しいと頼んだが、彼は職業斡旋所に並ぶ列から離れ、二人の子供を闇取引の女に売ってしまう。それを知って卒倒したソニアは病院に。

ある子供

足がつくのを恐れたブローカーのおかげでなんとか子供は取り戻せたものの、意識を戻したソニアは警察に事の次第を話していた。ソニアに家を追い出されたブリュノは再びスティーヴと共に盗みを働くが……


映画を見る前に知っておきたいこと

僕はこの作品以降、ジェレミー・レニエという俳優を強烈に意識するようになった。それほどダルデンヌ兄弟が生み出したブリュノというキャラクターは僕にとって魅力的に映ったのである。

しかし、この映画には僕の感想と乖離するような「ダメ男のダメな日常」という世間の酷評もあり、自身の愚かさをブリュノに重ねた僕にとって、それはまるで自分のことを言われているような気がしたものだ。

僕の中でこの映画はダルデンヌ兄弟の最高傑作となったが、最低と最高の評価どっちに転ぶかは、愚かな父親ブリュノを赦せるかどうかに懸かっている。

純粋ゆえ無知、無知ゆえ愚か

ブリュノの犯した罪は法的には軽い。しかし道徳的な観点から見れば、我が子を売るような男が多少改心してみせたところで、それは観る者の感情移入を誘うほどの赦しが得られない大罪なのだ。

ましてやダルデンヌ兄弟の起伏の少ない物語に音楽すら排した独特のリアリティが、ブリュノの愚行を更に気分を害するものにしてしまっている。

しかし、この映画を絶賛した人はブリュノがなぜダメなのかを知っている。まるで言葉を知らない赤ん坊のように、彼には道徳という概念がないことを。純粋ゆえ無知、無知ゆえ愚かであることを知っているのだ。

自分より若干年下の恋人ソニアは母性の目覚めによってそこを脱したが、ブリュノは取り残されてしまった。そんな彼にとって他者とは、急に泣き出す人、怒り出す人、無視する人として自分を脅かす存在でしかない。

だからこそ、父親が生まれたばかりの赤ん坊に愛情を抱けないように、無知であることをこの映画の出発点にできた時、初めて彼を赦せるのである。

そして彼を赦した先にだけ、ささやかな一筋の希望を見出すことができる。

あとがき

映画というものは、観る者の視点一つでその表情を大きく変えてしまうことを改めて実感させられた作品だった。こんなにおもしろい映画は滅多に出会えないだけに、そのジレンマは僕の中で相当なものだ。

CAST.STAFF.BACK.

DATA.STAFF.BACK.

DATA.CAST.BACK.

コメント4件

  • 紫亭恭太郎 より:

    映画を観たときを懐かしく思い、記事を拝見しました。
    自分は基本的に事前情報や知識を持たずに観るのですが、本作を観たとき、思わず唸ってしまいました。「いや、この主人公みたいな人間が、これからも日本にも増えてくるのと違うやろか」と思ったからです。
    タイトルの「ある子供」というのは、ブリュノ自身のことも指していると思った次第です。
    その”子供”に本当の子供ができ、そのことが自分の中で消化できはじめてようやく、”オトナ”への第一歩を踏み出せそう…そんなラストに感じたのを思い出しました。
    自分の中では、いろんなことを示唆する佳作です。

  • 萩山 悠太 より:

    コメントありがとうございます。とても嬉しく思いながら読ませていただきました。

    「ある子供」というのは、ブリュノの事を指しているという意見には全く同意です。僕がこの映画を初めて見た当時は、彼と同じ「子供」でした。今でもそうかも知れません。ですので、ブリュノが抱える世間との噛み合わなさや、生き辛さがとても心に刺さりました。

    ほんとに、どうしようもないやつです。僕は、それでも共に涙を流してくれるソニアに、一筋の希望を感じました。恭太郎さんの仰るように、その時は涙を流す結果でも、誰もが支えあいながら少しずつ”オトナ”になっていくんだと思います。

  • また別のある子供 より:

    先日テレビでやっていたものを何気なく見たのをきっかけにこちらの記事に辿り着きました。

    記事にも書かれていましたが、“ささやかなひとすじの希望”としてあのラストシーンがあってよかったですよね。
    個人的には『となりのトトロ』で後半、登場人物のさつきちゃんが泣くシーンを見てホッとしたあの気持ちを思い出しました。

    人はいつから大人になるかという点においては常々「自分が子供を持った瞬間から」だと思っていましたが、ブリュノに関しては大人になる云々、まだ子供にもなれていなかった。
    母親の描写がほんの少し入っていましたが、おそらく自身の親からも無関心な教育を受けていたのでしょうね。

    自然からすっかり乖離してしまった人間の複雑さを痛切に感じる映画でした。

  • ななし より:

    楽しく拝読させていただきました。
    私も先程この映画観たのですが、道徳という概念を知らない、という表現が的を射ていて素敵です。

    私は初めは駄目カップルの子どもを巡る話かな~と思いましたが、ブリュノが子どもを取り返したところで、彼はチンピラではなく、悪意がない(が道徳もない)純真な子どものような男であり、ある子どもとは彼のことなんだなと気付きました。
    彼の純真さは最後の自首にも表れており、その意味で彼の心は終始一貫としていて、従ってこの話を「ブリュノの成長物語」とは捉えたくなかったりします。

    むしろ「子ども」にとってはこの複雑怪奇な人間社会で生きていくことが、本当に本当に難しい、(この映画に「最低評価」をする人々がまさしくそれなのですが)「子ども」はこの社会では「駄目人間」として非難される、そんな社会だよね、というメッセージを感じました。

    ソニアも大概「子ども」であって、その二人が最後に共に流した涙って希望なのか、絶望なのか。なんにせよ非常に繊細で、素敵な映画でした。

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