映画を観る前に知っておきたいこと

ローサは密告された
カンヌが認めた真実の演技

投稿日:2017年7月16日 更新日:

ローサは密告された

雑貨を売る。麻薬を売る。それが日常。

 東南アジア最大、マニラのスラム街。市井の生活に欠かせないサリサリストア(コンビニのような小売店)を営む女ローサは、タバコを売り、お菓子を売り、そして少量の麻薬を売る。これは無法地帯で毎日を懸命に生きる一人の女とその家族の物語である。

 本作の監督ブリランテ・メンドーサがデビューした2005年、そこから始まったと言われるフィリピン映画の第3黄金期。今なおその先頭を走り続ける鬼才が、現代フィリピンに蔓延る麻薬汚染と警察による汚職の実態を映し出す。あえてフィクションだと断らなければならないほどのリアリティ溢れる映像によって、自ら祖国の腐敗を告発する。

 主人公ローサを演じたのは、メンドーサ作品には欠かせない存在となっているベテラン女優ジャクリン・ホセ。そのあまりにも自然な演技が評価され、2016年カンヌ国際映画祭では主演女優賞を獲得。フィリピン人女優として初の快挙となった。

予告

あらすじ

 人々が激しく行き交う土曜の夕方。スーパーマーケットで大量の買い出しを終えたローサ(ジャクリン・ホセ)と息子のカーウィンを突然の雨が襲う。やむなくタクシーを拾い家路へと急ぐが、程なくして二人は土砂降りの中に下車させられた。運転手が入ることを拒む路地の先は、ローサたちが暮らすスラムだった。

ローサは密告された

© Sari-Sari Store 2016

 ローサが帰り着くと、夫のネストールは店番もせずにこそこそとクスリをやっている。このスラムで皆が“アイス”と呼ぶ覚醒剤だ。夫婦はサリサリストアを営む傍ら、スラムの人間に少量の麻薬を捌いては生活の足しにしていた。そんなローサのもとに、息子同然に面倒を見ているボンボンが“アイス”を求めてやってくる。ローサが渋々“アイス”を渡して彼を追い返すと、その直後に数人の男たちが店に押し入ってきた。

ローサは密告された

© Sari-Sari Store 2016

 「警察だ!全員、動くな!ブツはどこだ!?」、怒号と共に始まる家宅捜査。4人の子供たちが追いすがる中、禁止薬物の不法所持でローサとネストールは連行されていく。しかし、夫婦を待っていたのは厳しい取り調べではなく警察による懐柔だった。一人の巡査が20万ペソで釈放してやると囁く。さらに、金がないなら他の売人を密告しろと続けた。ローサは我が身可愛さから、取引相手の売人ジョマールを売るが……

映画を観る前に知っておきたいこと

 フィリピン映画界きっての鬼才ブリランテ・メンドーサに見る“ノイズ主義”と呼ばれる独自の技法。街全体がエキストラだと語るこの監督は、街中から聴こえるあらゆる雑音を現実そのままに拾い上げることで、通常では考えられないほどの臨場感を生み出す。それは時に劇中のセリフを侵蝕するほど激しく、観客の耳を襲う。この病的なまでのリアリズムは、日本人の感覚では到底理解し難いようなフィリピン警察の実態すら、そういうものとして受け入れさせてしまうだろう。

 2016年10月、我が国でも来日が話題となったフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領。彼が公約に掲げた麻薬撲滅戦争によって、就任後わずか1年で3,407名もの麻薬関連の死者が出たという。それは自警団と警察が麻薬犯罪者の殺害を容認されていることに起因する。麻薬密売に手を染めた一般市民が腐敗した警察から命を狙われるという行き過ぎた現実。ドゥテルテ政権誕生以前に撮影されたというこの作品からは、麻薬撲滅戦争前夜の不安定な社会情勢が語られる。

 もしこの映画が麻薬撲滅戦争渦中の現マニラで撮影されていたとすれば、ここに描かれた以上の悲劇、いや惨劇を伝えることになっただろう。メンドーサなら路上に転がった血まみれの死体も映し兼ねない。それは観客の更なる衝撃作に出会いたいという欲求を掻き立てる。ただ、メンドーサという監督においては、その瞬間の真実以上にセンセーショナルな対象は存在しない。この映画は全てがリアルだからこそ、そのわずかな隙間に差し込まれたローサの感情が生々しいドラマとなって、観る者の心を揺さぶるのだ。

カンヌが認めた真実の演技

ローサは密告された

© Sari-Sari Store 2016

 この映画のリアリティは限りなく細部にまで及ぶ。隣近所を対象にした小商いであることが多いという実際の麻薬売買。それを表現するため、メンドーサは場面の合間にある移動シーンをことごとく描写することで、観客にリアルな生活範囲を意識させる。驚くほど狭い範囲で展開される物語は事実に即しているばかりか、ローサを襲ったような悲劇がフィリピン社会の至る所で起こっているという現実まで突きつけてくる。

 さらにメンドーサは人物の移動を執拗に映す傍らでも、社会の現状を確実に伝えていく。近所を行き来するローサ越しに映されるスラムの雑踏と密集するあばら家。そして、画面の端でわずかに捉えられるシンナーを吸う子供たちの姿。一見すると無意味にも感じる移動シーンの中にこそ、社会の底辺を生きる人々の暮らし振りが映し込まれている。まるでドキュメンタリーのようなメンドーサの語り口。しかし、映画が写実的になればなるほど、ローサの感情が静かに存在感を放つ。

 ほとんど心理描写を必要としないメンドーサ作品の中にあって、一瞬の表情だけでドラマを生み出してしまうのがジャクリン・ホセの演技だ。ローサを乗せた護送車が警察署に向かう道すがら、カメラは貧民街に並ぶ店先を捉える。護送車が停止した時、ローサは店を切り盛りする一組の家族に目を留める。恐らく麻薬とは無縁の家族。少なくともローサの目にはそう映っているように感じられる。その瞬間の表情が物語るのは、悲哀に満ちた後悔か、浅ましい羨望か。僕たちはラストシーンでその答えに出会うことになる。

 大した罪悪感もなく麻薬を扱える社会、そこにもたらされた麻薬撲滅を望む民意。ローサのような末端の売人は、こうした社会の摩擦が生んだ犠牲者と言えるのかもしれない。麻薬文化が生活の奥深くまで根付いた暮らしだからこそ、ローサは麻薬を糧に生きる。問題の繊細さ故、この映画は社会に対しての答えは持たない。しかし、出口のない暗闇に囚われるほど、人間の感情は真実味を帯びていくものだろう。カンヌよ、そういうことなのだな。

-ヒューマンドラマ
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