これはただシリア内戦を映したドキュメンタリー映画ではない!これは愛についての物語りであるー
亡命先のパリで、故郷シリアの置かれた凄惨な現実に苦悩し続けていた一人の映画作家オサーマ・モハンメドは日々YouTubeやFaceBookにアップされるシリアの映像を集めることしかできなかった。しかしある時、SNSで
シマヴというクルド人女性に出会う。シリアの戦禍の中、あらゆる映像を撮り続けるシマヴは監督オサーマの目や耳となり、カメラを廻す。カメラを持たない映画作家オサーマはシリアの人々が記録した1001の映像を繋ぎ合わせ、一つのストーリーへと紡いでいく。そこにはオサーマとシマヴの映像による内省的な愛の対話が積み重ねられている。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2015優秀賞受賞作品。ロンドン国際映画祭2014ベスト・ドキュメンタリー賞受賞作品。世界中の映画祭で上映され、衝撃を与えた崇高で切実な新次元のドキュメンタリー映画。
- 製作:2014年,シリア・フランス合作
- 日本公開:2016年5月
- 上映時間:96分
- 原題:『Ma’a al-Fidda』
Contents
予告
あらすじ
2011年、アラブの春から始まった民主化運動はシリアにも広がり、長年続くアサド政権を打倒しようと市民たちは立ち上がる。しかし、政府軍はデモに参加した無防備な一般市民たちを弾圧し、拷問と虐殺を繰り返した。シリア出身の映像作家オサーマ・モハンメドは同年カンヌ国際映画祭への出席を機にフランスへの亡命を余儀なくされたのだった。オサーマは亡命先のパリで、故郷シリアの置かれた凄惨な現実に絶望していた。そんな時、SNSでシマヴ(クルド語で銀の水を意味する)というクルド人女性に出会う。彼女はオサーマを“ハヴァロ(クルド語で友を意味する)”と呼び、「ハヴァロ、もしあなたのカメラがシリアにあったら、何を撮る?」と尋ねた。オサーマは「すべてだ」と答え、そこから二人の映像による長い対話が始まるのだった。シマヴは戦禍の中カメラを回し続け、それをパリにいるオサーマへ送る……シマヴから送られてくるシリアの映像は破壊されつくされた惨澹たる戦場であった。しかし、彼女の行動は罪悪と無念の中に沈み、溺れかかったオサーマを、命の源に引き戻していくのだった。二人の映画はシリアの現実と共に愛を映し出していく……
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映画を見る前に知っておきたいこと
ドキュメンタリーとしてのリアリティと映画の芸術性の融合
本作を見る前に、どこがただのドキュメンタリー映画ではないのかを整理しておいてほしい。そうすれば本作が奇跡的な作品であることに気付くはずだ。
まず、監督であるオサーマ・モハンメドがカメラを持たずにこの映画を撮ったということだ。亡命先のパリで、シリアを憂う事しかできなかった彼がSNSを通じてシマヴというクルド人女性に出会ったことで、彼女がオサーマ監督の目や耳となり、カメラを廻すことで本作は撮られている。この出会いは運命的であり、意図的にこんなドキュメンタリーを撮ることはどんな名監督にもできない。
またオサーマ監督の出自がシリアだということが、作品に十分な説得力を持たせている。シリアに関係のない監督が現地にも行かずに撮影したものであったら観客が入り込むことはできないだろう。さらに、オサーマ監督とシマヴを繋ぐ関係性がオサーマ監督をより渦中に引きずり込んでしまっている。
オサーマ監督がシリア出身であるという必然性や、オサーマ監督とシマヴの出会いとそこに生まれた関係性という偶然、様々な要素が絡み合うことで、本作はシリアの現実と同時に愛を映し出すことに成功したのだ。
「この映画を通じて、私はある女性と長い対話をしました。その対話は、ある男性=わたしを、長く孤独なトンネルから救い出し、未来へと再生させたのです。ある女性=シマヴとは、シリアの未来を表すメタファーそのものなのです」
オサーマ・モハンメド
本作がただのドキュメンタリー映画の枠に収まらず、世界中の映画祭で評価されたのはこれだけが理由ではない。本作にはオサーマ監督の映画作家としてのセンスが発揮されている。ネットにアップされた映像を繋ぎ合わせたドキュメンタリー映画でありながら、様々なオマージュをそこに落とし込んでいる。
中でも『シリア・モナムール』というタイトルからもわかるように、『ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)』(1959)はヒロシマとシリアとが時空を超えて、廃墟と化した都市という酷薄なイメージを介して結びついていく本作の重要なモチーフとなっている。また、シリアの人々が記録した1001の映像を繋ぎ合わせる手法は残酷な寓話「千一夜物語(アラビアン・ナイト)」を想起させる。さらには映画『どですかでん』(1970)や『街の灯』(1931)、音楽『愛の讃歌』(1950)、小説『肉体の記憶』(1993)など幅広いオマージュが盛り込まれている。
こうした手法は本作が持つドキュメンタリーとしてのリアリティに、さらに映画の芸術性をプラスしている。様々な角度から楽しむことができる、よくできた作品だと感心する。