映画を観る前に知っておきたいこと

【ぼくの大切なともだち】じわじわと心が温かくなる友達探し

投稿日:2015年12月2日 更新日:

ぼくの大切なともだち パトリス・ルコント

自分の誕生パーティーで仕事仲間から「君の葬儀には誰も来ない」と言われた友達のいない男が、友達を求めて奔走するコメディドラマ。

監督はパトリス・ルコント。ルコント作品の中では気軽に見れる感動作品ながら、なかなかに深みのあるドラマはさすが巨匠。

脚本を手がけたジェローム・トネールは、ルコントとは『親密すぎるうちあけ話(2002)』『暮れ逢い(2013)』で一緒に仕事をしている。ルコントの映画の中でも、比較的軽快な作品はジェローム・トネールの仕事によるものなのかも。

主演は、コメディからシリアスまで幅広い演技で舞台を鳴らしたダニエル・オートゥイユ。友達のいない自覚のないクソ野郎を好演。

あなたには悩みにうずくまる夜中の3時に、電話をかけられるような親友はいますか?

  • 製作:2006年,フランス
  • 日本公開:2008年6月14日
  • 上映時間:96分
  • 原題:『Mon meilleur ami』

予告

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あらすじ

今日は美術商のフランソワの誕生会。その席で彼は出席した葬儀の参列者が7人しかいなかった話をする。すると、仕事仲間の面々から「お前の葬儀には誰も来ない」と言われてしまう。

それでフランソワはムキになってしまい、「自分にも親友ぐらいいる」と言い張ったため、共同経営者のカトリーヌと“10日以内に親友を連れてこられるか”という賭けをする羽目に・・・。ぼくの大切なともだち パトリス・ルコント賭けの対象は20万ユーロ(約2500万円)の壷。フランソワは、壷を失いたくない一心で思い当たる人の名を連ねた“友達のリスト”を作り、親友を探し始める。

一方、タクシー運転手のブリュノはクイズが大好きなアガリ症。豊富な知識と感じの良さでタクシーの客からは評判が良い。

しかし、本人はクイズに関わる仕事がしたいと思っているようで、ラジオのクイズ番組のパーソナリティのオーディションに応募してみたりするものの、極度のアガリ症のせいで全く答えが浮かばない。

二人の出会いは客と運転手として、ブリュノのタクシーにフランソワがたまたま乗り合わせて知り合ったのだった。ぼくの大切なともだち パトリス・ルコントフランソワはというと、仲良さげに話している二人に声をかけてみたり、友達SOSに通ってみたり、涙ぐましくも無駄な努力を続けていた。そんな折、ブリュノが誰とでも感じよく話しているのを見て、「自分を感じ良くしてくれ!金は払うから!」と無茶なお願いをする。

こうして、ブリュノによるフランソワの友達修行が始まるのだが・・・。ぼくの大切なともだち パトリス・ルコント

感想・批評

ルコント作品の中では気軽に見れる映画

冒頭でも書いたが、『ぼくの大切な友達』はルコントの映画の中でもあまり重さのない、娯楽要素とのバランスが良い感じのコメディドラマだ。

映画にとって“分かりやすい”というのは、ひとつ重要な要素であると思う。ともあれそのバランスが難しい。

絵画や音楽、他の分野の芸術にも言える事だが、分かり易過ぎると中身のないスッカスカの作品になってしまうし、かと言って分かり難過ぎるとただのオ○ニーである。

例えば誰もが知る『タイタニック』なんかを例にとって言うと、あれこそ20世紀を代表するスッカスカな作品である。ん~、スッカスカというと語弊があるかも知れない。

『タイタニック』には正直めちゃくちゃ感動した。感動させられた。すごい作品であることは違いない。あそこまで意図的に感動させられるエンターテイメントは類を見ないと言ってもいい。

面白かったかどうかと言われれば、当時の僕はぶっちゃけ泣いた。

しかし、言ってみればバンジージャンプを飛ばされれば否が応でも玉ヒュン現象が起こるのと同じ感覚なんだ。「そりゃあ感動するがな」としか言えない。

世間では、こういう趣向の映画を娯楽作品という。

娯楽作品は見た目以上の含みを持つと売れなくなる傾向にある。売れなくなると娯楽作品としては成り立たない。なので、むしろ娯楽映画は余計な中身がない方が良かったりするのだ。

その代わり外側の装飾にめちゃくちゃ気合が入ってる。持てる知識と経験、そして技術の全てを外側の装飾につぎ込むのが典型的な娯楽作品のあり方だ。

飽くまで超個人的な見方ではあるが、ともあれ映画が娯楽作品と芸術作品と分けて語られることは周知である。

さてさて何でそんな話をするのかというと、要は心構えの問題で、エンターテイメントが見たいと思って絵画を見に行く人はいないし、芸術に触れて観想したいと思って漫画を開く人はなかなかいない。

その辺が映画の面白さでもあり、難しさでもあるのだが、“娯楽要素とのバランスが良い感じ”というのはつまり、『ぼくの大切なともだち』はどちらのアプローチからも楽しめる作品であると言いたいワケである。

フェティシズム的にぶっ飛んだキャラクターがなかなか理解されがたいルコントの作品群の中では、どちらかというと気楽に見易い映画だ。彼も歳をとってずいぶんと丸くなったものだ。

ジョークがキッツイ

この映画を見た人のほとんどの日本人はおそらく思う。

これは多分国民性だ。なぜそう思うかと言うと、現地の人の笑えない冗談を目の当たりにした経験が何度かあるからだ。

以前パリに行った際、日本語以外からっきしの僕は洋服店のフランス人とジェスチャーでコミュニケーションを試みたことがあり、それがそこそこ盛り上がって楽しい時間を過ごせた思い出がある。

その時のショップの店員の、僕らが日本から来たと知るやいなやの一言めが「FUKUSHIMA~!!!」である。いやいや、全く笑えないよ・・・。(クソ笑った)

僕が普段から笑えない冗談を連発するクソ野郎じゃなかったらそれこそ真顔ですよ。他にも似たような経験があるので、きっとフランスの人のジョークは普段から結構キツイのだと思う。

というよりも、むしろ日本の方に察する文化が良く根付いていると言うべきか。

「察する」をそのまま英語に訳すとSympathize。フランス語ではSympathiserというらしい。しかし、これはどちらかというと「同情する」というニュアンスの方が近いようで、日本語の「察する」の同情とも推測とも違う微妙なニュアンスを表現する単語は無いようだ。

その辺の感覚の違いを多少なり感じる映画ではある。

しみじみとした感動

ぼくの大切なともだち パトリス・ルコントフランソワは結果的に生涯の友を得ることに成功するのだが、きっと彼は何も変わらないだろう。人間の性格と言うのは、そうそう一区切りに変わるものではない。ともあれ、感じの悪いクソ野郎と陽気なアガリ症は生涯の友になった。

どちらかというと僕もあまり人の気持ちを考えられないクソ野郎の部類に属すると思う。それでも、それを良しとしてくれる生涯の友はいる。友情も愛情も、多分そういうものなんだと思う。

とまぁ個人的な胸懐はさて置き、この映画の良い所は、そんな噛みしめるようなしみじみとした感動が味わえるところだ。ラストシーンは結構長いんだが、その間心はずっと温かい。

ブワッ!とくる感動も良いが、ジワジワと温めてくれる感じもなかなか良いものだった。フランス映画はよく分からんから苦手という人にもオススメ出来る1本。

-コメディ, 洋画
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