映画を観る前に知っておきたいこと

テイク・シェルター
解説/最も残酷で切ないラスト

投稿日:2017年6月30日 更新日:

テイク・シェルター

ラストシーンは夢か、現実か!?それとも……

 「監督が説明してしまえばそれまでだが、観る者の想像力に委ねれば可能性は無限に広がる」これは、後の『ミッドナイト・スペシャル』(16)の時に監督のジェフ・ニコルズ自身が語った言葉だ。ニコルズ初期の傑作『テイク・シェルター』もまた、そんな彼の作家性を前面に押し出した作品と言える。ラストシーンは夢か、現実か。その解釈次第では世界の終末を描いたディザスターフィルムにも、精神に異常をきたした男のサイコスリラーにもなり得るからだ。しかし、ある意味ではディザスターフィルムやサイコスリラーよりもずっと恐ろしいのがこの映画である。

解説

 ニコルズにとってジャンルとはただの入れ物に過ぎない。彼は例えどんな映画を撮ったとしても、一様にしてそこに人間の深い愛情を映し出す。事実、この映画もディザスターフィルムやサイコスリラーの形式で描かれる家族の再生ドラマである。しかし、一見してスリラー特有のオチとも取れるラストシーンが、あたかも恐怖映画として完結したかのようなイメージを植え付ける。

 カーティスが実際にシェルターに逃げ込んだ嵐は、世界の終末とは程遠いものだった。観る者を安堵させた途端に、いよいよ迫り来る巨大な嵐。当然、僕たちはそれが本物だと思い込む。もしこの映画の本質が本当に家族の物語だとするなら、なぜカーティスが自らの手でシェルターの扉を開けたシーンで幕を下ろさなかったのか。全てを読み解いた先には、最も残酷で切ない家族のドラマが浮かび上がる。

ハンナまで襲う統合失調症

テイク・シェルター

© 2011 GROVE HILL PRODUCTIONS LLC

 この物語の核となるのは、飽くまでカーティスが統合失調症を患っていること。そして、統合失調症が高い確率で遺伝するという事実だ(親の片方が統合失調症であった場合、子供が発症する確率は10%と言われる)。つまり、娘のハンナの存在が映画を読み解く重要な鍵となる。

 エンジンオイルのような不吉な雨が人々を凶暴化させていくカーティスの悪夢。統合失調症における対人恐怖を暗喩したこの雨は、時に妻のサマンサでさえおぞましい姿に変えてしまう。びしょ濡れでキッチンに立ち尽くすサマンサが、視線の先のナイフをその手に取らなかったことがカーティスにとって唯一の救いか。それは彼が現実の世界で妻の愛情を感じていた証なのだろう。ともあれ、カーティスの悪夢に度々現れるハンナだけは、不吉な雨に降られても普段のまま変わらない。なぜか悪夢の中のハンナは、常にカーティス側の視点から描かれているのだ。

 ならばハンナもカーティスと同じ悪夢に苛まれていたのだろうか。実は劇中に一つだけハンナが見ていたと確信できる悪夢がある。それは家族がシェルターに逃げ込む直前、カーティスがハンナを抱え黒鳥の大群から逃げ惑う悪夢だ。次の瞬間に現実のシーンに切り替わると、普段なら悪夢にうなされて目を覚ますはずのカーティスが妻に揺り起こされる。そして、深夜であるにもかかわらずハンナだけが一人窓の外を眺めている。

 ハンナが悪夢にうなされて目を覚ましていたことを思わせる描写。それが意味するのは、やはり統合失調症が娘に遺伝しているという悲しい真実だ。また、彼女が抱える難聴も統合失調症が引き起こす疾患の一つとされている。手話でしかコミュニケーションが取れないから、両親も幼い娘の異変に気づけないでいる。だからこそ、この映画はカーティスの再生物語では終われないのだ。

最も残酷で切ないラスト

テイク・シェルター

© 2011 GROVE HILL PRODUCTIONS LLC

 世界の終末を予感させるラストシーン、巨大な嵐の到来に最初に気づいたのはハンナだった。そう、この映画はハンナの妄想によって締め括られる。そして、このラストシーンにはそれを物語る2つの違和感がある。一つは、あのエンジンオイルのような雨がサマンサの手に落ちた時、彼女に何も変化が起こらないこと。もう一つは、そのサマンサが最後に放った「わかったわ」という眼前の嵐に対する不自然な台詞だ。

 劇中で一度はこの雨によって豹変したサマンサが描かれたにもかかわらず、なぜラストシーンでは悪夢の中のルールが当てはまらないのか。それはラストシーンが現実の出来事だからだ。しかし、カーティスが散々幻覚に悩まされたように、この巨大嵐はハンナ以外には見えていない。いや、少なくともサマンサには見えていない。だからこそ、彼女の台詞が「わかったわ」なのだ。

 カーティスが統合失調症と向き合い治療することを決めた矢先、サマンサは娘も同じ病に侵されていることに気づいてしまった。家族にとってこれほど残酷なドラマがあるだろうか。それは恐らく、どんな災害に見舞われるよりも、どんな恐怖映画よりも恐ろしい結末だ。ただ、それでもサマンサは夫と娘を支え、きっとこの悲劇を乗り越えるのだろう。そう思わせるほど、ニコルズが描き出す家族の愛情は力強い。

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