映画を観る前に知っておきたいこと

タクシードライバー
現代人はなぜ社会に居場所を失ったのか!?

タクシードライバー

ダウンタウンのざわめき……街の女
光のカクテル……濡れたアスファルト
けだるいジャズの吐息……ニューヨークの夜が、ひそやかな何かをはらんでいま、明けてゆく……

ベトナム帰還兵の青年のどうしようもない孤独と狂気を描いたこの映画は、社会派の名匠マーティン・スコセッシの代表作である。同時に、アメリカン・ニューシネマ(1960年~1970年にかけて反体制的な人間の心情をテーマに製作された)の最後の代表作ともされている。

さらには、今でも幅広い活躍を見せる名優ロバート・デ・ニーロの主演代表作にもよく名前が挙がる。彼が演じたトラヴィスの凄まじい人気は、この映画をアメリカンカルチャーを描いたファッション映画にまで押し上げた。

主演のロバート・デニーロはもちろん、若かりし頃のハーヴェイ・カイテル、さらに当時13歳だったジョディ・フォスターが12歳の娼婦役で英国アカデミー主演女優賞と新人賞を受賞するなど、今観るとまた感慨深いのも名作ならではか。

さすが1976年カンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドール受賞作品だけあって、様々な切り口から見応えを感じられる一本だ。


予告

あらすじ

ニューヨークの小さなタクシー会社に運転手志望のひとりの男が現れた。

トラヴィス・ビックル。ベトナム帰りの元海兵隊員である彼は深刻な不眠症のせいで定職に就くことができず、タクシドライバーをすることになった。

タクシードライバー

以来、客がいれば客を乗せ目的地へ、いなければ一人であてもなく夜のニューヨークの街を徘徊する様にタクシーを走らせる。余暇はポルノ映画を見て暇をつぶし、張りのない単調な生活を送っていた……

ある日の昼間に、トラヴィスが次期大統領候補パランタインの選挙事務所付近を通りかかった時、そこで働く女性ベツィに一目惚れする。トラヴィスは事務所に押し入り彼女をデートに誘う。

タクシードライバー

少しずつ仲を深めていくトラヴィスとベツィ。しかし、トラヴィスは日頃の習慣でベツィをポルノ映画館に連れて行き怒らせてしまう。

以来、甲斐甲斐しくも謝罪の電話をかけるトラヴィスだったが、どうなだめてもベツィの態度は変わらなかった。ついには電話も無視されるように……

思うように事が運ばないトラヴィスの苛立ちは頂点に達し、ベツィの選挙事務所まで押しかけて「殺してやる」と罵るのだった。

何をやっても上手くいかない。でもこのままじゃいけない。何か大きなことを始めなくてはいけない。でも何をしていいのか分からない。自由の国の理想と現実のギャップはトラヴィスの心をさらに荒ませ、街から感じる疎外感と孤独は彼を狂気へと駆り立てる。

「俺がこの街を浄化しなければならない」

体を鍛え、拳銃を仕入れ、入念に準備を進める。目的は次期大統領候補パランタインの暗殺だった……


映画を観る前に知っておきたいこと

ロバート・デニーロが演じるトラヴィスの狂気は、ファッショナブルなニューヨークの街とのコントラストを生み出し、どこかオシャレな映画のようにも捉えられてしまう『タクシードライバー』。今や雑貨屋で売られている映画のポスターの定番にもなっています。

試しに手を出した若い子は、面食らった映画ではないでしょうか。それでも折角過去の名作に触れる機会を得たのなら、そのおもしろさを堪能してもらいたいと願う今日この頃です。

そこで、映画の重要な背景であるベトナム戦争帰還兵や当時のアメリカ社会について少しだけ説明しておきます。戦争をしない日本人が「アメリカにとってベトナム戦争とは何だったのか?」という視点を感覚的に持つことが大切な映画です。

アメリカにとってのベトナム戦争

ベトナム戦争はアメリカが始めて勝利できなかった戦争であり、「戦闘には勝ったが、戦争には負けた」それがアメリカにとってのベトナム戦争である。当時のアメリカ国民はベトナム戦争を話題にし、誰もがその是非を考えていた。

やがてベトナム戦争に対する激しい反対運動は、アメリカ社会全体を厭戦的な雰囲気で包み込んだ。そんな中で開いた蓋の中には、数え切れない程の死体の山。経済的な消耗も凄まじく、アメリカ社会はその大きすぎる衝撃に麻痺し、揺らいだ。

そしてベトナム戦争は、誰も進んでは触れたがらない歴史の闇となっていったのである。

ベトナムの帰還兵

ベトナム帰還兵

その闇の中に取り残されたのが、トラヴィスたちベトナム帰還兵だった。兵士は戦争が終わって帰れば英雄として歓迎され、労われる。しかし、それは時流に乗った一時的なものに過ぎず、彼らの苦労はすぐに忘れ去られてしまった。

時には世間知らずの彼らは厄介者として見られ、差別を受けることも。

加えて政府は、PTSDなどの精神症状や枯葉剤による科学病などに苦しむ帰還兵たちを「ベトナム戦争とは関係ない」とし、自分たちの責任から切り離したがった。

こうした事情から、ベトナム帰還兵たちは特別な共通意識を持っている。

お前もあの戦争に行ったのか?」

アメリカ映画には同じ闇を抱える兵士同士が、この一言だけでお互いにしか分からないシンパシーを感じ取っているシーンがしばしば見られるものだ。数年後の『ランボー』(82)も社会から孤立したベトナム帰還兵の戦いを描いた映画だった。

トラヴィスの孤独

トラヴィスもまた、戦争後の闇に取り残された帰還兵の一人だ。トラヴィスがベトナムで殺し合いをしている一方で、その間も社会は確実に先に歩んでいく。

ファッショナブルできらびやかなニューヨークの街とトラヴィスが抱える闇とのコントラストは、トラヴィスの心を孤独と疎外感で蝕み、その奥深くに殺人の狂気を育んでいく。

彼は不器用だが、悪い男では決してない。人並みの優しさを持ち、人並みの正義感を持ち、人並みの道徳観念を持っている男。

唯一の問題は、社会に居場所がなかったことだった。当時のアメリカには、ベトナムから帰った帰還兵の居場所はどこにもなかった。


解説/現代人はなぜ社会に居場所を失ったのか!?

この映画はこれまで様々な解釈、評論がなされてきました。

ベトナム戦争が潜在的に引きずるアメリカ社会の闇を描いた社会派映画である一方、孤独と狂気は現代においても普遍的なテーマになり得るものです。むしろ閉鎖的な現代社会の方が、より深いところまで蝕まれているようにさえ思います。

僕はこの半ば予知的な普遍性こそが、『タクシードライバー』がパルム・ドールを受賞できた理由だと感じます。

『タクシードライバー』を観る上でベトナム戦争の背景を知っておくことはひとつ重要ですが、“ベトナム戦争の帰還兵”のことを知るためだけの映画ではないのです。

そこで、敢えて“ベトナム戦争の帰還兵”という視点を取り払って、現代の目線から映画の持つ普遍性に迫ってみたいと思います。

トラヴィスと現代の凶悪犯罪者の共通点

タクシードライバー
トラヴィスの凶行は、現代の理由のない凶悪犯罪とよく似ている。

それを生み出すのはトラヴィスが抱える世間とのズレ。女性をポルノに連れて行ったら嫌われるという常識的な恋愛観の欠如、何かを始めたいけど何をしていいのかわからないという葛藤、叶わないなら殺してしまえという極端さ。

こうした世間とのズレは、現代社会の“居場所がない人たち”にも共通している。社会に居場所がないことがトラヴィスの凶行と現代の理由なき凶悪犯罪の共通点なのである。

トラヴィスはベトナム戦争で社会に居場所を失った。では現代の人はなぜ居場所を失ったのか。日本は戦争をしないし、平和ボケしていると言っていいほど平和な国だ。

その理由を紐解くためには、20世紀半ばから21世紀にかけての日本の社会の変化に注目しなければならない。

21世紀の個人主義

20世紀半ばからは21世紀にかけて、第二次世界大戦後の日本の社会の在り方は変わっていった。

それまで日本にあった“社会ありきの個”という全体主義的な考え方は、“個ありきの社会”という個人主義の考え方になり、「こうでなければならない」という伝統的な礼節よりも、「私はこう思う」という個人の考えの方が尊重され始めたのだ。

そうなった理由は、アメリカの個人主義文化の輸入や経済主義化に伴う副産物など諸説ある。

さらにインターネットの普及によるグローバル化によって、個人が情報を発信することは昔よりも遥かに簡単な時代になった。個人主義化の傾向はこれからもさらに加速するだろう。それによりますます閉鎖的な社会となり、そこに取り残される人も増えるのではないだろうか。

時代の変化からこぼれ落ちた“居場所がない人たち”

個人主義への時代の変化は、職場、学校、家族、地域、友達、恋愛、ネット、あらゆる社会関係を自由の名の下に“個”に隔てていった。

その結果、各社会では“価値観が合わない”ということが昔よりも大きな問題として取り上げられるようになった。

伝統的な礼儀や礼節によって和を目指すよりも、相手の価値観との融和によって和を目指す技術がより強く要求され始めたためだ。いわゆるコミュニケーション能力である。

これにより“優れたルール”の下にではなく、“優れたリーダー”の下にこそ人が集まり、社会が形成される時代になった。より正確に表現すると、いち庶民が独自の価値観を共有するコミュニティーを作って率いることが、昔より簡単になったのだ。

しかし、所属しているそれぞれのコミュニティーで求められるコミュニケーション能力を、そのコミュニティー全体が十分に満たせなかった場合、内部に何かしらの対立を生むことになる。そうして、誰かが和から外れていく。つまり“居場所”がなくなってしまうのだ。

この傾向は、特に未熟な若者の間で顕著であるように思われる。いじめや利己主義的で横柄な態度はよく問題に取り上げられ、話題になっている。僕もこの時代の若者である経験から、自分を振り返ってみても余計にそう思わざるを得ない。

しかし一方で、時代の変化を敏感に感じ取り、変化に適応しようともがいているのもまた若者であるように思う。

狂気によるコミュニケーション

トラヴィスは精神的に追い詰められ、時期大統領候補を暗殺することで自分の存在を証明しようと試みる。

そう、彼は狂気によって人とのつながりを求めたのだ。

現代社会で“居場所がない人たち”もまた、トラヴィスと同じように疎外感と孤独に蝕まれていく。非行、暴力、リストカット、殺人、自殺……

追い詰められた心はやがて狂気を生み、彼らの行動の最大の動機に育っていく。

“居場所がない人たち”は、狂気によって人に注目されようと考えるのだ。

狂気の成功が生み出す危険性

トラヴィスはたまたまその目論見を成功させることが出来た。

非行によって親に注目された少年、暴力によって自身の力を示そうとするDV、リストカットで相手の気を惹こうとする恋人、殺人によって名を知らしめようとする犯罪者、自殺によって相手の心に自分を刻みつけようとする被害者。

中にはトラヴィスと同じように、成功を収めるケースもあるだろう。

この狂気を伴うやり方にどれ程の失敗例があるかを知りたければ、今日のニュースを見ればいい。多くの場合、その失敗は無関係で善良な人の死によって証明される。

しかし、トラヴィスは優しさや道徳に従ってアイリスを救ったわけではない。ただ自分ではどうしようもない狂気をぶちまけただけに過ぎない。彼はそうすることによって、社会に自分の居場所を作ることに成功した。

殺人を犯すほどの狂気をぶつけても成功してしまうことがある。心理的な成功体験は、「自分のしたことは間違っていなかった」という思い込みを生む危険性をはらんでいる。

その点で、『タクシードライバー』は普遍的な寓話性を持っている。これは教訓である。

ラストシーンでサイドミラーに映るトラヴィスの目は、「正当化された狂気」という凄まじく厄介な炎を宿していた。

狂気の種子

帰還兵の歓迎ムードが長くは続かないように、おそらくはトラヴィスの居場所も脆く儚いひと時の夢。夢から覚めたトラヴィスは再び狂気を育て上げ、いつか必ず失敗するだろう。

あるいは“たまたま失敗しなければ”、狂気に身を委ね続けてそこから何かを学び、成長する日がやってくるかもしれない。

『タクシードライバー』の公開から30年がたった今日、トラヴィスのような狂気の種子があちこちに育っている。それは同じ街に住む人かもしれないし、隣の家の人かもしれない。あるいは家族の誰かかもしれないし、恋人かもしれない。

“居場所がない人たちは”どこにでもいるし、いつでも誰でもなり得るのだ。トラヴィスが一瞬踏み入れた狂気の世界は、僕らのすぐ傍に横たわっている。

現代社会が時代の変化に追いつかない限りは……

あとがき

現代の学校教育は旧世代の全体主義を根本にシステム化されています。それは個人主義を生き抜く術を教えるには不十分と感じているのは僕だけでしょうか。

「相手を尊重しなさい」と言いはしますが、「どうすれば相手を尊重できるのか」ということは教えてくれません。「個性を大切にしなさい」と言いはしますが、「どうすれば個性を大切にできるのか」ということは教えてくれません。

変化しない教育と変化していく社会との大きなズレは、ベトナム戦争とアメリカ社会の構図のように、トラヴィスのような“居場所のない人たち”を生んでいるように思います。

CAST.STAFF.BACK.

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