あの漫画の神様と謳われた手塚治虫が、死ぬ直前まで綴っていた病床日記に着想を得たラブストーリー。バンド「RADWIMPS」の野田洋次郎が映画初出演にして主演を務めたことでも話題の作品だ。ピエタとは聖母子像のことで、死後十字架から降ろされたイエス・キリストを抱くマリアを描いた芸術を指す。
- 製作:2015年,日本
- 日本公開:2015年6月6日
- 上映時間:120分
Contents
- 1 予告
- 2 あらすじ
- 3
映画を見る前に知っておきたいこと
- 3.1 手塚治虫の病床日記
予告
あらすじ
画家を志していた園田宏(野田洋次郎)は、夢を諦め窓拭きのバイトで日々をやり過ごしていた。偶然、美大時代の恋人のさつき(市川沙椰)と再会し彼女の個展に誘われるものの、絵など見る気にもなれない。ビルの窓に貼り付いた自分を虫のようだなんて思ってバイトをしていたある日、宏は突然倒れて病院へ運ばれる。精密検査を受け、その結果を聞くには家族の同伴が必要なんだそうだ。
だが、故郷の両親を呼ぶのは煩わしいと思い、さつきに頼み込んで病院まで来てもらったものの、絵の話を巡って口論となり、起こった彼女は結果を聞く前に帰ってしまう。その時、病院のロビーに若い女の声が響いた。
「制服破れたんですけど、弁償してもらえますか!?」
声をした方では何やら女子高生がサラリーマンを相手に怒鳴っている。宏は女子高生の真衣(杉咲花)に声をかけ、自分が制服代を払う代わりに妹役をやってほしいと持ちかける。宏は妙な頼み事に首を傾げる真衣に同伴され、検査の結果を聞きにいくのだった。
「胃に悪性の腫瘍ができてます。このまま何もしないと3カ月くらいの命ですよ」
結果は突然の余命宣告だった。放心状態の宏に、真衣は明るい声でこう言った。
「今から一緒に死んじゃおうか?」
真衣をバイクの後ろに乗せて、スピードを上げていく。しかし、死んでしまうことなど出来なかった・・・。
「意気地なし!」
宏はそのまま入院。副作用に苦しめられながらも、抗癌剤治療を始める。連絡を受けて父(岩松了)と母(大竹しのぶ)が駆けつけるが、本当の病名を伝える事は出来ない。「もうすぐ死ぬ」そんな事を言われても何も実感がわかない。ただぼんやりと押し寄せる恐怖だけが、宏の心をゆっくりと侵食していく。
入院生活で出会う人の中で、今まで知り得なかった世界を垣間見る宏。ひょんな事がきっかけでまた絵を描こうと思いたつも、資料となる本がない。宏は真衣の存在を思い出す。
「何なの?入院してる暇人と違ってこっちは忙しいんだけど!」
こうして、死のうとしたあの日から二度と会うことはないと思われた2人の間に奇妙な交流が始まった。
「あのさ、背の低い子とキスする時はどうするの?」
「あんたなんか自分で生きることも死ぬこともできないじゃん!」
彼女はあまりにも無垢で、病人相手でも容赦がない。上手に生きることを知らず、感情をむき出しにぶつかってくる。それでも2人は反発し合いながら、強烈に惹かれ合っていく。人生最期の夏、目の前に突然現れた生と死の間に、宏のピエタは何を表現していくのか。
映画を見る前に知っておきたいこと
手塚治虫の病床日記
「(前略)今日すばらしいアイデアを思いついた! トイレのピエタというのはどうだろう。癌の宣告を受けた患者が、何一つやれないままに死んで行くのはばかげていると、入院先のトイレに天井画を描きだすのだ。(中略)彼の作業はミケランジェロさながらにすごい迫力を生んで、傑作といえるほどの作品になる。日本や他国のTVからも取材がくる。彼はなぜそうまでしてピエタにこだわったのか? これがこの作品のテーマになる。浄化と昇天、これがこの死にかけた人間の世界への挑戦状なのだ!」
手塚治虫の病床日記の一部にはこう綴られている。彼は何故そうまでしてピエタにこだわったのか?それがテーマになると。映画がどこまでこのテーマを踏襲しているかは分からないが、映画を見る前にピエタについて知っておくのは悪くない。
冒頭でも語った通り、ピエタとは聖母子像のことだ。十字架から降ろされたキリストを抱くマリアを描いた絵画や彫刻をピエタと呼ぶ。イタリア語で「慈悲、哀れみ」といった意味を持つ。ピエタと呼ばれる作品は数多くあるが、手塚治虫がミケランジェロの名を出しているし、映画の中にも登場しているので、彼の代表作「サン・ピエトロのピエタ」について少し語ろうと思う。
サン・ピエトロのピエタ
この作品はミケランジェロの作で、彼の代表作であり、ピエタを代表する作品とも言える傑作だ。この作品の美しさや素晴らしさを語るのは他に任せるとして、今回はサン・ピエトロのピエタの解釈について書こう。
サン・ピエトロのピエタが他のそれまで芸術家の作品と大きく異る点は、マリアの若々しさだ。その解釈には様々な考え方があり、「純潔であるマリアは老いることがないから」という主に宗教的な価値観に基づく考え方がほとんどだが、あえてここに書き出すとすれば、サン・ピエトロのピエタに描かれるイエスの姿は、紛れも無く幼子イエスの姿だとする説だろうか。
浄化と昇天、死にかけた人間の挑戦状、つまりそれは「死の後にある生」である。イエスの復活を象徴する作品としてピエタを見るならば、手塚治虫の言う”彼”は死の向こうに生を見た、または見たかったのではないかと考えることができる。
また、手塚治虫は病床に伏せた時、自分が、自分の作品が世の中から忘れられることをなにより恐れたという。ここでは”彼はなぜそうまでしてピエタにこだわったのか”という問いに完全に答えることは出来ないが、死を前にした手塚治虫の心情と”彼”のピエタは決して無関係ではないだろう。そしてこの映画の主人公、宏にも。