映画を観る前に知っておきたいこと

【セッション】観客を強制的に”持っていく”ラストシーン!

投稿日:2015年2月17日 更新日:

セッション 映画

この作品の監督であるデミアン・チャゼルによる脚本が、2012年のブラックリスト(映画化されていない脚本の中で、特に優れた脚本のリスト)にリストアップされたことがきっかけで製作にこぎつけた、2014年一番と言ってもいい程の話題作。2014年1月に開催された第30回サンダンス映画祭、第40回ドーヴィル映画祭で観客賞と審査員大賞の両方を獲得した。

  • 製作:2014年,アメリカ
  • 日本公開:2015年4月17日
  • 原題:『Whiplash』
  • 上映時間:107分

予告

あらすじ

主人公アンドリュー・ニーマンは19歳の天才ジャズ・ドラマー。その才能を認められ、アメリカで最高の音楽学校「シャッファー音楽学校」へと進学した。バディ・リッチのような偉大なドラマーになるという夢に向かってドラムの練習は欠かさなかったが、彼も年頃の大学生。人並みに恋愛にも憧れ、映画館で働いている大学生の二コルに恋をしていた。

そんなある日、ニーマンの教室にシャッファー音楽学校最高の指揮者、テレンス・フレッチャーがやってくる。フレッチャーはニーマンの才能に惚れて、彼をシャッファー最高峰である自身のスタジオ・バンドに招いた。このオファーにはニーマンも有頂天。同時にニコルとも交際を始めて、華々しい大学生活が待っているかのように思えた。

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※ネタバレ注意

あらすじ ※ネタバレ

迎えたバンドの練習初日。スタジオを訪れたニーマンが目にしたのは怒声を浴びせられ、泣きながら退場させられるバンドメンバーの姿。フレッチャーは音楽に関しては徹底した完璧主義者で、怒鳴るなんて日常茶飯事、叩く蹴る当たり前、泣き崩れる生徒にも容赦のない鬼の様な人間だった。もちろん、ニーマンも例外ではない。テンポが寸分でも狂えば椅子を投げつけられ、怒声を浴びせられ、頬を殴りつけられる。彼はメンバーの前で屈辱に震えながらも、泣きながらうつむくことしか出来なかった。

だが、ニーマンは決して萎れなかった。全ての時間を余すとこなく練習に費やし、ドラムの為にニコルとも別れた。親戚からはその異常とも言える情熱を軽蔑された。そうしてニーマンは、文字通り血の滲む特訓を繰り返し、フレッチャーの目指す極みへと這い上がろうとするのだった。

しかしフレッチャーは、ニーマンを認めようとはしない。そんな中、ある出来事をきっかけにニーマンはフレッチャーに殴りかかる事件を起こす。地獄とも言える猛特訓を越えてきたニーマンの自負心は、かつて彼を震え上がらせたフレッチャーの怒声すら無視できるほどのものになっていた。しかし、この騒動を受けてニーマンはシャッファー音楽学校を退学になってしまう。

辞めて程なく、ニーマンはある人物と接触する。その人物とは、フレッチャーの体罰によって自殺した、ある生徒の代理人を勤める弁護士だった。弁護士は、「直接訴えることはできないが、ニーマンが協力してくれることで、フレッチャーを辞めさせることはできる」と説明する。
最初は自身の受けた仕打ちにもかかわらず、フレッチャーの資質を認めていたニーマンは、その話を断ることにした。だが、ドラムへの情熱を失い自暴自棄になってしまい、匿名でフレッチャーの体罰を匿名で証言。結局、フレッチャーを辞職に追い込んでしまう。

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数ヵ月後、ニーマンはニューヨークのドラッグストアでバイトを始める。静かだがどこか満ち足りない、鬱屈とした生活を送るようになっていたニーマンは、偶然にもあるクラブで演奏者として出演しているフレッチャーを見つける。フレッチャーもニーマンに気付き、2人は酒を飲みながら話をする。

フレッチャーはこの時初めて、自らのこれまでの行いをニーマンに弁明するのだった。「自分が学生を殴るのは、彼らにジャズ界の伝説になってほしいと願うからだ。自分の仕事はバンドを前に腕を振ることではない。偉大なミュージシャンを育てることだ。かつて、ヘマをやらかしたチャーリー・パーカーに、ジョー・ジョーンズはシンバルを投げつけた。しかし、それがパーカーの克己心に火をつけ、彼を偉大にした。自分のやったことに後悔はない。」と。「よくやった」と生ぬるく褒めそやすことで、第二のチャーリー・パーカーの才能を殺すことこそが悲劇だ、と。

やがて、フレッチャーは来るJVC音楽祭でバンドの指揮を執ること、曲目はシャッファー時代のレパートリーと同様であること、現在のバンドのドラマーの質が十分ではないことをネイマンに告げ、彼に代役を務めてほしいと持ちかける。ニーマンは初めて見せるフレッチャーの率直さに感銘を受け、ドラムへの情熱を取り戻し、これを受けることにするのだった。そして、JVC音楽祭当日を迎える・・・。

映画を見る前に知っておきたいこと

公開直後から絶賛の嵐

『セッション』が初めて公開されたのは、2014年1月に開催されたサンダンス映画祭。上映されてからの批評家からの評価は絶賛がやまないという。おおそらく英語圏では世界一有名であろう、Rotten Tomatoes(ロッテン・トマト)という映画批評集積サイトには239件のレビューがあり、批評家支持率は95%、平均点は10点満点で8.6点を記録した。

サイト側による批評家の意見の要約は「力強く、目が覚めるような作品だ。演技も素晴らしい。『セッション』は新鋭の監督デミアン・チャゼルの労作にして、J・K・シモンズとマイルズ・テラーの演技が光る一本である。」となっている。

※Rotten Tomatoes(ロッテン・トマト)という名称は、観客が舞台などに”腐ったトマトや野菜を投げつける”という、映画や小説でよくあるシチュエーションを元にしている。
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音楽映画史が塗り替えられた

この映画が扱ったテーマは「神童」。この作品が「映画史を塗り替える」という文句とともに宣伝されるのは、「音楽界の天才がその才能を駆使し、偉大な仕事を成すというその定型を見事に壊している」という評価に由来するところだろう。実際のところ、その通り。音楽映画としてはあまりにもスポーツ的と言えばいいのか。音楽映画と言えば、楽曲の素晴らしさや、どこか人間離れしたようなその才能を前面に押し出す作品が多い中にあり、「セッション」はどこまでも人間らしい。音楽や芸術に通じない人の心にも、ざっくり刺さる映画だと思う。

あらすじをネタバレするところまで紹介した理由もそこにある。先の読めないストーリーにハラハラするのもいいが、全容を知ってから改めて臨場感とともに噛み締めるような、そんな楽しみ方のできる映画だと思ったからだ。きっと何度見ても、その度に刺さるものがあるだろうと思う。

感想・評価まとめ

強制的に持って行かれるラストシーン

とにかくラストシーン。それまでの長々と延々と溜め込まれてきたフラストレーションを爆発させたラストシーンに”持って行かれた”という感想が多い。Jazzに情熱を燃やした2人の狂気のカタルシスは、ラストシーンにとてつもないエネルギーを持たせている。
ドラムというとなんとなく地味なイメージがあり、やはりピアノやギターに比べると華がない。ピアノやギターは聴き入る感じだが、ドラムには強制的に観客を”持っていく力”がある。そのドラムならではの迫力に誰もが持って行かれるんだと思う。

J.Kシモンズの迫力の演技も見逃せない。

血も涙もない鬼教官は、みんなの想像の遥か上を行ったようだ。さすが、「2014年公開の映画の中で、最も記憶に残った演技」として絶賛されただけのことはある。体罰というか、もう虐待というか・・・。J.Kシモンズが演技で生み出す凄まじい緊張感と迫力は見逃す手はない。

-ヒューマンドラマ, 洋画

執筆者:


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