映画を観る前に知っておきたいこと

アラビアの女王 愛と宿命の日々
砂漠に魅せられた女の数奇な人生

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アラビアの女王 愛と宿命の日々

強く、気高く、美しく。
時代が、彼女を選んだ ──

巨匠ヴェルナー・ヘルツォーク監督×オスカー女優ニコール・キッドマンで描き出される、砂漠に魅せられた女の数奇な人生。もう一人のアラビアのロレンスと呼ばれ、“イラク建国の母”として実在した女性ガートルード・ベルの壮大な大河ロマンが幕を開ける。

イギリス上流階級の生活を捨ててアラビアの地へと旅立ったガートルード・ベル。やがてアラブの民は彼女のことを“砂漠の女王”と呼ぶ。困難な運命に翻弄されながら、アラビア半島に国境線を引いた彼女の平和的な手腕が世界を動かしていく。

予告

あらすじ

20世紀初頭、イギリス鉄鋼王の家に生まれた才女ガートルード・ベル(ニコール・キッドマン)は、イギリス上流階級の生活を捨てて、砂漠の民を研究する考古学者としてペルシャに向かった。

アラビアの女王 愛と宿命の日々

© 2013 QOTD FILM INVESTMENT LTD.

ペルシャの公使館でガートルードは、三等書記官のヘンリー・カドガン(ジェームズ・フランコ)と運命的な出会いを果たす。しかし、ガートルードの父は身分が違いすぎる二人の関係を認めようとはしなかった。彼女は父を説得するために一時帰国をするが、そこで聞かされたのは、ヘンリーは賭博常習者で破産状態にあるという事実だった。そして、ヘンリーはガードルードへの想いが実らないことに苦に自殺してしまう。

アラビアの女王 愛と宿命の日々

© 2013 QOTD FILM INVESTMENT LTD.

望んでも叶わない悲恋を経験した彼女は、ますますアラビアの地にのめり込んでいく。度重なる困難が彼女の心を嵐のように翻弄し大きな傷跡を残してゆく中、迎えた時代の転換期。彼女はイラク建国の立役者として、その渦の中心的存在となっていく……

映画を観る前に知っておきたいこと

映画の重要な背景となる中東の歴史は、多くの民族が入り乱れ対立してきたため非常に複雑だ。そこで映画の舞台となる20世紀初頭だけを切り取って、簡単にまとめてみたので是非参考にしてほしい。

実在した女性の物語なので歴史を押さえておくと入り込み易いはずだ。

アラブ反乱

第一次世界大戦が始まった1914年、アラビア半島奥地を目指していたガードルードは、オスマン帝国の参戦により一時帰国を余儀なくされた。翌1915年、新設されたイギリスの諜報機関の諜報員として再びアラビアの地に入った。ここから彼女はオスマン帝国に対するアラブ反乱を手助けしていくことになる。

オスマン帝国はアラブ人を含む多民族国家であり、当時国の実権を握っていたのはトルコ人であった。そのためオスマン帝国ではトルコ民族主義の動きが高まり、そこに危機感を募らせたアラブ人たちがアラブ国家の樹立を目指したのがアラブ反乱だ。

第一次世界大戦が集結した1918年、オスマン帝国の敗戦後、中東の地はアラブ人ではなく、イギリスとフランスによって分割統治されることになる。

しかし1921年、イラクの今後の統治について検討する会議カイロ・カンファレンスが開かれ、そこに出席したガードルードは、アラブ独立運動の指導者ファイサル国王に据え、高等弁務官以下イギリス人で構成される国家評議会を廃止することを訴えた。

映画では、アラブ人がアラブ国家の樹立を目指した戦いアラブ反乱が重要な時代背景となっている。そしてその独立を、イギリス人として手助けした女性ガートルード・ベルを中心に描かれているのだ。

映画では描かれていないが、“イラク建国の母”となったガートルードの政策は決して万能ではなかった。彼女が唱えたイラク統治政策は、イラクの人口の5割を超えるシーア派を排除し、その後のイラクの歴史の負の遺産となっている。

またオスマン帝国の降伏を受け、現在のイラクにあたる地域はイギリスの勢力圏と定められたが、クルド人が多く居住する地域モスルー(クルディスタン)は依然としてオスマン帝国の手中にあったため、後のクルド人問題へとつながっていく。

クルド人は中東の各国に広くまたがる形で、独自の国家を持たない世界最大の民族集団となり、大きな人口を抱えるトルコやイラクではクルド人が分離独立を求め、しばしば武力闘争を展開することになるのだ。

ガードルードがイラク建国に尽力したことも、大きな闘争の連鎖の一部に過ぎないのかもしれない。

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