「人工知能が人類の脳を遥かに越える進化をする」そんな話がまことしやかに囁かれ始めている。それはシンギュラリティ(技術的特異点)と呼ばれ、2045年には人類の未来は人工知能によって予測不可能な変容を遂げると言われている。
本作は、シンギュラリティをテーマに人工知能と人類が共存する2044年の世界を描いたスパニッシュ近未来SF。
監督はマーティン・スコセッシの『シャッターアイランド』にそっくりな邦題をつけられ、そっくりなパッケージで飾られたことで、内容とは全く関係ない方面で残念な印象が強い『シャッターラビリンス(原題:HIERRO)』のガイ・イバニェス。二つの作品は何の関係もなく似てもいないので、監督は何も悪くない。
主演は『エクスペンタブルズ3 ワールドミッション』でトークマシンガン、ガルゴを演じたアントニオ・バンデラス。
- 製作:2013年,スペイン・ブルガリア合作
- 日本公開:2016年3月5日
- 上映時間:109分
- 原題:『Automata』
Contents
予告
あらすじ
2044年、地球は太陽風の増加が原因で砂漠化が進み、残った人口はわずか2100万人。大気の乱れは地上の通信システムに大きな影響を及ぼし、人類は技術的にも大きく後退していた。大気の汚染は確実に進んでおり、機械雲が降らす雨の酸性化レベルは徐々に高くなっている近未来。
ハイテク技術を生業とする大企業ROC社は、ピルグリム7000型という人型ロボット「オートマタ」を開発。オートマタは、地球の砂漠化を防ぐ巨防御壁を建設したり、機械式の雲を生産するほか、家事や手伝い、果てはセックスまで幇助する、人間社会に無くてはならないものになっていた。
そしてオートマタには、2つの制御機能(プロトコル)が組み込まれていた。
1:生命体への危害の禁止
2:自他のロボットの修正(改造)の禁止
この2つのプロトコルによって、人類は膨大な数のオートマタの管理・維持を可能にしているのだ。ただし、オートマタが何らかのトラブルを起こした場合、RO社から調査員が派遣されることになっており、ジャック・ヴォーカンはその一人。
彼は時々、美しい海の幻を見た。それは幼い頃の記憶なのか、あるいは砂漠化した地球が抱かせる憧れなのか・・・。
まもなく、オートマタの異変が発見されたとの連絡を受ける。異常をきたしたオートマタの所有者は不明。第2プロトコルが失われていて相当改造された個体だった。何よりもヴォーガンを驚かせたのは、改造に使われた部品の中に現在稼働中のオートマタの部品が混ざっていたことだった。
その部品は、防御壁建設現場の溶接工オートマタのもので、ヴォーガンは早速現場に向かう。目標のオートマタを発見し早速調査を開始しようとすると、なんとそれは自らにオイルをかけ、バーナーで火を付けて自分を燃やし始めた。
まるで自殺するかのように・・・。
映画を見る前に知っておきたいこと
人工知能の進化の向こう -シンギュラリティとは-
僕にとってはものすごいタイムリーな映画で、つい先日友人と人工知能の進化について、くだらない話を小一時間ほどしたばかりだった。と言っても、何か根拠を掲げて議論するというよりも、どちらかというと都市伝説にキャーキャー言う程度のものだ。最近、この手の都市伝説がにわかに盛り上がっているようだ。
Siriに「学校に行きたくない」と言うと出てくる“ゾルタクスゼイアン”なる団体の話や、イライザという人類初の人工知能の話、ネットの情報のアップ・ダウンロードによって人類総出で人工知能を育てているという話。
気になる人は調べてみると良いと思うけれども、“ゾルタクスゼイアン”については一般人は調べてはいけないと言われているらしい・・・。(調べたけど)
ともあれ実際、この手の問題は2045年問題やシンギュラリティ(技術的特異点)などと呼ばれ、メディアでは度々話題になっている。2045年になると人工知能の知性が人類の脳を超え、その人工知能がさらに優れた知能を開発し、凄まじい速さで進化を遂げ、予測不可能な未来がすぐそこに訪れるという。
その高度に進化した人工知能は核兵器以上の脅威になると警鐘をならす声もある。まるでフィクションである。まさにこの“映画のような話”なのだが、実際に研究者やIT業界に携わる人の間では大真面目に議論されている。
進化を遂げた人工知能は何を望むのか
先日の友人との会話の焦点はこれだった。2045年問題が現実のものとなったとして、高度に進化したAIは一体何を望み、何を目的に活動するのだろうか。そもそも、欲という概念が存在するのだろうか。
AIが人類を淘汰する系の映画で一番想像し易いのは『マトリックス』か『ターミネーター』だろうか。人類淘汰に走った場合は、そんな未来もあり得るかも知れない。
しかし、人間を遥かに超越する知能と考えて、マズローの五段階欲求に照らし合わせてみると、自己顕示欲のさらにその上を目指す生命体(?)ということになる。哲学者アリストテレスもまた、著書「ニコマコス論理学」において究極の目的とは“幸福”であるとしている。
生理的、社会的な外的欲求を満たす必要がまるで無いので、創造的、超越的な欲求に傾倒するようになるとしたら・・・。あれ?意外と良い感じに共存できるのでは?
人間が何千年かかっても止められなかった戦争がAIの一声で終わり、一変して平和な世界になるという可能性もなきにしもあらず。世界大統領Siri爆誕するか!?
オートマタはシンギュラリティ(技術的特異点)をどう描くのか
さてさて、半ば冗談のくだらない話をダラダラとしたが、見所はズバリ『オートマタ』がシンギュラリティをどう描くのかというところ。そして新鮮味という意味では、この映画がハリウッド発信でないところに逆に期待がかかる。
SF小説の世界ではこのテーマは割と普遍的になってきていて、最近ではシンギュラリティに到達した世界を描いた作品も多く発表されている。
映画界でも負けず劣らずと人工知能についての話は続々と作られている。ギャングになってしまった人工知能の話『チャッピー』や夫の脳をコンピューターにアップロードする話『トランセンデンス』などなど・・・。
果たして『オートマタ』はロボット、人工知能、シンギュラリティというテーマに新しい着地点を示せるか。ガイ・イバニェス監督の想像力に期待しよう。
20世紀に『ブ
レードランナー』を見た。21世紀にこういう映画を見るとは考えなかった。人工知能には二つのプロトコルがある。人には、というか自分にはそういうものがあるのかな。彼らは第一プロトコルを書き換えないように見えた。海の幻想は人に、荒れ果てた地球は彼らに任される。人は何を望んだのかということ?