映画を観る前に知っておきたいこと

画家モリゾ、マネが描いた美女 名画に隠された秘密 印象派画家ベルト・モリゾの秘密

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エドゥアール・マネの「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」。そこに描かれているモデルこそ、”最も純粋な印象派”と評価された女性画家、ベルト・モリゾだ。近年の研究で、ルノワールやモネと共に”印象派”の誕生から発展に深く関わった、美術史上非常に重要な人物だと再評価されている。

ベルト・モリゾ没後120周年となる今年、その再評価を受けてか、彼女の生涯を描いた映画が日本に渡ってきた。監督はカロリーヌ・シャンプティエ。ジャン=リュック・ゴダール、レオス・カラックスなどの作品で撮影監督を務めた人物だ。

  • 製作:2012年,フランス
  • 日本公開:2015年6月13日
  • 上映時間:100分
  • 原題:『Berthe Morisot』

予告

あらすじ

愛につまづき、道に迷い、それでも人生を描き続けたベルト・モリゾが遂に見出した希望とは―。
1865年、フランス・パリ。ベルト・モリゾは、そこでサロンへの入選を目指して絵を描く毎日を過ごしていた。エドゥアール・マネと出会い、モデルを頼まれたことがきっかけで、彼のアトリエに出入りするようになる。モリゾの美しさと才能に惹かれマネと、マネの見たことのない斬新な画風に影響を受けるモリゾ。

一方で両親は、モリゾに結婚して家庭に入ることを望んでいた。両親やマネを含む複雑な人間関係、絵画と自分のあり方、そして戦争に翻弄されながら、モリゾは自分だけの絵を探し続ける──

映画を見る前に知っておきたいこと

ベルト・モリゾ

印象派を代表する女性画家として、その誕生にも参加したベルト・モリゾ。裕福な家庭に生まれ育ち、高貴な家庭の躾の一つとして絵を学ぶ。2番めの姉、エドマと共に興味を深め、絵画の世界に没頭した。その後、2人は師であるジャン=バティスト・カミーユ・コローに才能を見出され、サロンに何度も入選する実力者になっていく。

エドマはその後、結婚し子供が出来たため画家への道を諦めることになるが、その生涯に渡ってモリゾを支え続けた。2人の間にやり取りされた手紙は親愛の情にあふれたもので、ベルトはいつもエドマが絵画の道を諦めざるを得なかったことを残念に思う気持ちをしたためていた。

モリゾとマネ

ベルト・モリゾ(1872)エドヴァール・マネ「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」

この絵が、よく知られているエドヴァール・マネが描いたベルト・モリゾだ。モリゾがマネのモデルを始めたのは、27歳の時。あまりに多くの絵のモデルを務めたことから、モリゾとマネは恋仲ではないかと噂されていた。基本的にはマネが師で、モリゾは弟子だとされているが、実際はお互いに影響を与え合う関係にあったようだ。

33歳でマネの弟、ウジェーヌ・マネと結婚。1874年のこの年は、モリゾにとって激動の一年だった。モネ、セザンヌ、ドガ、ピサロ、シスレー、ドガ、らと第1回印象派展に参加したのも、父が亡くなったのもこの年だ。そしてこの頃から、モリゾとマネはそれぞれ画家として違う道を歩み始める。

その後は夫ウジェーヌ・マネの協力も得て、精力的に新作を発表する。夫や子供たちを優しく描いた作品を多く出展し、画家、ベルト・モリゾの名は海外でも知られるようになっていく。モリゾが42歳の時に、マネが死去。51歳だった。ウジェーヌとベルトはマネの回顧展を企画。その後も印象派や芸術家の仲間たちとの交友は続き、ルノワールはモリゾの娘のジュリーを描いた作品を遺している。

jellyルノワール「ジュリー・マネの肖像」

印象派

印象派の特徴は瞬間と動きとのコントラスト、光の効果のアートを自由な筆使いで描く所にある。線や輪郭を性格に描くアカデミックな絵画のルールを無視したために、当時のフランスの保守的な美術界から激しい批判を受けた。

印象かぁー。確かにわしもそう思った。わしも印象を受けたんだから。つまり、その印象が描かれているというわけだなぁー。だが、何という放漫、何といういい加減さだ! この海の絵よりも作りかけの壁紙の方が、まだよく出来ている位だ
― ルイス・レロイ/風刺新聞「ル・シャリヴァリ」

モネ『印象・日の出』これはモネの『印象・日の出』に対する批評として、当時のフランスの風刺新聞に書かれた一文だ。サロンとは別にモリゾらが企画した「画家・彫刻家・版画家の共同出資会社」の第一回展覧会は、この作品にかこつけて嘲笑の意味で「印象派の展覧会」と呼ばれた。

しかし、「印象派」という言葉は、意外にも人々からは好感をもって迎えられた。印象派展覧会はその後、全部で8回ほど開催されたが、アーティスト達が金銭的に報われることはなかった。それでも徐々に人々からは受け入れられ、支持されるようになる。

ギャラリー

最後に、モリゾとマネの作品を数点紹介して、この映画にまつわる話を終わりにする。

ベルト・モリゾ

彼女の絵は自然の緑を基調とした、穏やかな微笑ましい画風が特徴的だ。19世紀の男性中心の社会に現れた女性画家ということで、フェミニズム研究からのアプローチも多い。一貫して自由な筆使いで、光と色彩のアートを追求したモネ、シスレー、ピサロとともに”最も純粋な”印象派として評価された。

絵と生き方と愛と、様々な感情に揺れ動きながら、真実の自分を見出していくモリゾ。彼女のキャンパスに描かれた優しく何気ない日常は、人生に対する彼女が得た一つの答えだったのかも知れない。

穀物畑「穀物畑」
 

読書「読書」
 

ワイト島のウジェーヌ・マネ「ワイト島のウジェーヌ・マネ」
 

エドヴァール・マネ

研究が進んだ原題でも、最も謎多き画家とされているエドヴァール・マネ。なぜ彼が伝統を破壊した近代の画家となり得たのか、あるいは「オランピア」の黒猫、「草上の昼食」における蛙や鳥などの謎のモチーフの数々の意味するところは何なのか?その謎の多さも、彼の魅力の一つだ。今回の映画の中では、「バルコニー」の制作秘話が語られる。

オランピア エドヴァール・マネ「オランピア」
 

エドゥアール・マネ 『草上の昼食』 1863年「草上の昼食」
 

バルコニー(1868)「バルコニー」

-ヒューマンドラマ, 洋画

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