映画を観る前に知っておきたいこと

ブルーに生まれついて
実在のチェット・ベイカーの半生と脚色

投稿日:2016年11月7日 更新日:

ブルーに生まれついて

痛いほどの音楽と、愛

1950年代のウエストコースト・ジャズシーンに、あのマイルス・デイヴィスをも凌ぐ人気を誇ると言われたひとりの男がいた。チェット・ベイカー、トランペット奏者であり、ヴォーカリストでもある彼は、その才能と甘いマスクで多くのファンを魅了しながらも、麻薬に溺れていった……

本作は、ひとりの天才ジャズ・プレイヤーの転落と苦悩を描く伝記映画であると同時に、チェットがひとりの女性との出会いによって再生する姿を描いたラブストーリーでもある。

チェットを演じたのは、2014年を代表する映画『6才のボクが、大人になるまで。』での好演がまだまだ記憶に新しいイーサン・ホーク。劇中ではボサノヴァ誕生の一因となったと言われるチェットのソフトな歌声を、有名なジャズ・スタンダード「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」の中でホーク自身が再現してみせる。

予告

あらすじ

1950年代に一世を風靡したジャズ・トランペット奏者チェット・ベイカー(イーサン・ホーク)は、ドラッグ絡みのトラブルをたびたび起こし、スポットライトから遠ざかっていった。

1966年、公演先のイタリアで投獄されたのちにアメリカへ帰国したチェットは、麻薬絡みの暴力沙汰で、病院送りの憂き目に遭ってしまう。アゴを砕かれ、前歯をすべて失い、キャリア終焉の危機に直面したチェットの心の拠りどころは、映画で共演した女優ジェーン(カルメン・イジョゴ)の存在だった。

ブルーに生まれついて

© 2015 BTB Blue Productions Ltd

ジェーンの献身的な愛に支えられ、ドラッグの誘惑を絶ったチェットは場末のピザ屋でトランペットを吹くようになるが、ケガの影響からかつてような演奏はできなくなっていた。

それでもトランペットを手放さなかったチェットは徐々に輝きを取り戻し、ビバップの巨匠ディジー・ガレスピーの尽力でニューヨークの“バードランド”への出演が決定する。しかしその名門ジャズクラブは、かつて若かりしチェットがマイルス・デイヴィスから厳しい言葉を投げかけられた因縁の場所でもあった。

ブルーに生まれついて

© 2015 BTB Blue Productions Ltd

公演当日、ジェーンが客席で見守る中、人知れず極限のプレッシャーにあえぐチェットは、人生のすべてを懸けてステージに立つ……

映画を観る前に知っておきたいこと

“ジャズ界のジェームズ・ディーン”と呼ばれた甘いマスク、トランペッターとしての先天的な才能、多くに恵まれたチェット・ベイカーはその生涯を見渡すことで愛すべき男になる。音楽で伝説になる者の多くは、やはりその生き様に大衆が魅了されるものだ。

生涯、ドラッグを断つことができなかったチェットだが、音楽を手放すこともなかった。男は絶望した時、初めて大事なものと自分との距離を体に刻みつけるものだ。

チェット・ベイカーの生涯

少年時代のチェットは、女の子のような声で歌っていた。これを嫌った父親がトランペットを買い与えたのがはじまりだった。しかし間もなくチェットは友達と遊んでいて前歯を失ってしまう。トランぺッターにとっては致命的な損傷だったが、チェットはこれを個性に変え、高音を抑えた柔らかなトーンとスムースなフレージングを手に入れた。後の暴行事件を予感させるようなエピソードだが、この時のチェットにはまだツキがあったようだ。

40年代終わりには、チェットのトランペットには周囲の誰もが一目置くようになっていた。この頃には、すでにマリファナで多くの問題を起こしていた。

最初の結婚をしたのもこの頃で、チェットの生涯には絶え間なく女性が重なり合う。彼女たちに対するチェットの態度には、常に憧れと蔑視、甘えと傲慢が同居していた。

チェットの名を広く知らしめたのは、ジェリー・マリガン(バリトン・サックス)のピアノレス・カルテットだ。ここで演奏された無名のバラッド「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、後にジャズ・スタンダードの代表的なナンバーとなるほど好評を博した。映画でも、チェットの生涯のレパートリーであるこの曲をイーサン・ホークが歌うシーンは大きな見どころとなっている。

しかし、順風満帆に見えたチェットのキャリアは、54年のニューヨーク・デビューで潮目を変える。ディジー・ガレスピー、マイルス・デイヴィスといった大物との競演で彼のプライドは打ちのめされた。この時、チェットはすでにヘロインに溺れていた。

70年、ドラッグが原因の暴力沙汰で前歯をすべて失ったチェット、運命は彼を音楽から遠ざけていった。67~73年半ば、“ジャズ界で最も悪名高いジャンキー”にほとんど語るべき活動はなかった。

その後、過去に競演したディジー・ガレスピーの計らいにより、劇中で描かれている再起の舞台に立ったチェットだったが、75年代半ばに活動拠点をヨーロッパに移した後もドラッグから抜け出すことはできなかった。

それでも生涯演奏を続けたチェットは、1988年5月13日、オランダのアムステルダムのホテルの窓から転落。58歳でその生涯を閉じた。彼の最期は、事故死とも自殺とも他殺とも言われている。

恋人ジェーンは実在しない

チェット・ベイカーの生涯を書き綴ってみたが、映画でも重要な役となっている恋人ジェーンがいないことに疑問を持った人もいるはずだ。そう、彼女の存在は映画での脚色であり、実在した恋人ではない。ここに伝記映画としての難しさがある。

やはり映画に求められるのは、ある程度のドラマ性なのだ。伝記映画では、事実とドラマのバランスが作品の良し悪しに最も影響を及ぼすため、その点を考慮した脚色だと考えられる。

これをどう評価するかは観客次第である。チェット・ベイカーのファンにとってはどこか違和感を感じる映画かもしれないが、そこには観客の心に響くドラマが存在している。

-ラブストーリー, 伝記, 洋画
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