映画を観る前に知っておきたいこと

ハイ・ライズ
J・G・バラードの映像化不可能と言われた原作

投稿日:2016年7月10日 更新日:

ハイ・ライズ

セレブたちのマンションで
一体何が起きたのか ──

ロンドン郊外にある40階建てのハイ・ライズ(高層マンション)。上層階に行くに連れ、富裕層が暮らすそこは階層=階級。不可解なヒエラルキーが住人たちを支配していた。

SF文学界の巨匠J・G・バラードの映像化不可能と言われた原作を、イギリスの俊英ベン・ウィートリーが完全映画化。退廃的でいて官能的、そしてあまりにも美しくSF文学の名作を現代に甦らせる。

主演に『アベンジャーズ』シリーズのトム・ヒドルストンを迎えた他、オスカー俳優のジェレミー・アイアンズ、ルーク・エヴァンス、シエナ・ミラーら、英国を代表する俳優が顔を揃える。

予告

あらすじ

大学の生理学部で教鞭を執る医師のラング(トム・ヒドルストン)は、理想のライフスタイルを求め、ロンドン郊外にあるタワーマンションに引っ越してきた。そこはスーパーマーケット、スパ、ジム、プールなどのあらゆる設備が整ったまさに完璧なユートピア。ラングは毎晩のように隣人たちが開く派手なパーティに招かれて新生活を謳歌していた。

ハイ・ライズ

© RPC HIGH-RISE LIMITED / THE BRITISH FILM INSTITUTE / CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION 2015

ある時、ラングは低層階の住人ワイルダー(ルーク・エヴァンス)から、フロア間に社会的地位に基づいた階級が存在している事実を知らされる。上層階と低層階の住人は、互いに牽制し合いながら暮らしているのだ。取り分け、25階という中層階に住むラングは、マンションの設計者にしてヒエラルキーの頂点に君臨するロイヤル(ジェレミー・アイアンズ)にも気に入られ、低層階の住人とも上手くやっていた。

ハイ・ライズ

© RPC HIGH-RISE LIMITED / THE BRITISH FILM INSTITUTE / CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION 2015

ある晩に起こった低層階の停電を境に、ついに住人の不満は一気に爆発。怒りの矛先は上層階の住人へと向けられる。しかし、次第に停電はマンション全体に及び始め、全ての住人たちの生活に、かつての暮らし振りは見る影もなくなっていく。この期に及んでも、彼らは不可解なヒエラルキーによって支配されていた……

映画を見る前に知っておきたいこと

イギリスSF文学界の巨匠J・G・バラードが1975年に発表した原作は、当時から近未来の78-83年頃を想定しているとされるため、映画ではSFでありながら過去を描いていることになる。実際に劇中で使われる音楽、ファッション、自動車など、随所で70年代を意識させる表現が目を引く。ただ、この特異な逆転現象も、監督ベン・ウィートリーによるスタイリッシュな映像にかかれば、一切古臭さを感じさせない。むしろ、前衛的ですらある。

しかし、彼の卓越した映像表現と凝った編集は、映画としてストーリーを理解するのにも苦労させられる。加えて、バラード自身が実験的なSF作家であり、原作の時点で既に難解と言える。少なくとも、小説を読むぐらいの覚悟は要求される映画だ。

J・G・バラード

1960年代、それは科学技術が目覚ましい進歩を遂げた時代だった。時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディが人間を月へ送ると宣言したアポロ計画により、それまで子供の夢物語りや現実逃避と思われていたSFが一気に現実味を帯びたのである。そして、自走する科学技術に対する不安や恐怖から、人々はSF文学に「文明批評の文学」として新しい時代の価値観を求め始めた。

この頃、イギリスから世界へと広まったSFにおけるニュー・ウェーブ運動を牽引したのがJ・G・バラードだ。「SFは外宇宙より内宇宙を目指すべきだ」という当時の彼の主張は、いわゆるSF作品によって時代の要求(外宇宙)に応えるのではなく、SFというジャンルそのものの内側(内宇宙)に変革をもたらした。

性的な描写をしないなど、それまでにあったSF文学を縛る制約を打破し、既存の文体や形式にとらわれることなく、彼はより自由な表現を目指したのである。つまり、バラードはSFというジャンルにおいて、次々と実験的な作品を生み出していった作家なのだ。

中でも、70年代に執筆された彼の代表作“テクノロジー三部作”は、科学技術の産物と人間との関係を追求した作風がより実験的で難解とされる。『ハイ・ライズ』は、その最後の作品に当たる。

高層マンションという時代を象徴する一つのテクノロジー。そのかつてない利便性がもたらす理想のライフスタイルは、まさに科学技術の産物による新しい自由である。

しかし、そこでの生活が満ち足りるほど、住人たちは自らマンション内のヒエラルキーに固執し、小さな社会に閉じ込めらていく。そして、人々が精神的な抑制からの解放を目指すほど、秩序は失われ、かつての暮らし振りは見る影もなく原始的な退行を見せるのである。

物語の冒頭には、一連の騒動が落ち着いた後の主人公ラングの様子が描かれる。荒廃しきったマンション内で、上層階の住人が飼っていた犬のもも肉を食らう彼の表情は、真の自由を手に入れたと言わんばかりに清々しい。

テクノロジーがもたらす社会の変容と人間の精神。この決して相容れない2つの関係性こそが、1975年にバラードが皮肉を込めて描いた近未来の姿なのだ。

-SF, スリラー
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