映画を観る前に知っておきたいこと

ヒトラーの忘れもの
赦すことを許さない戦争

投稿日:2016年11月22日 更新日:

ヒトラーの忘れもの

大人が残した 理不尽な任務
少年たちが見つけるのは、憎しみか
明日への希望か ──

第二次世界大戦後のデンマークで、ナチス・ドイツが埋めた地雷の数は200万個以上。そして除去作業にあてられたのは、大半が15歳から18歳のドイツ人少年兵だった。彼らが強制的に背負わされた母国の罪。デンマーク国内でも知られることのなかった残酷な史実を題材に、戦争の矛盾に満ちた現実を浮き彫りする。

デンマークのアカデミー賞たるロバート賞では、作品賞や監督賞を含む6冠。2015年東京国際映画祭では映画の中心となる二人、ローラン・ムラとルイス・ホフマンが揃って最優秀男優賞に選ばれ、世界中の映画祭を席巻している本作の勢いはまだまだ止まらない。2017年アカデミー賞でデンマーク代表作品として、外国語映画賞獲得に挑む!

予告

あらすじ

1945年5月、ナチス・ドイツによる5年間の占領から解放されたデンマーク。ドイツ軍が海岸線に埋めた無数の地雷を除去するため、捕虜のドイツ兵たちが駆り出された。

セバスチャン(ルイス・ホフマン)、双子のヴェルナーとエルンストらを含む11名の少年兵に地雷を扱った経験などない。彼らを監督するデンマーク軍のラスムスン軍曹(ローラン・ムラ)は、あどけない少年に容赦ない暴力と罵声を浴びせる。

ヒトラーの忘れもの

© 2015 NORDISK FILM PRODUCTION A/S

広大な浜辺に這いつくばりながら地雷を見つけ、信管を抜き取る作業は死と背中合わせだった。少年たちは祖国に帰る日を夢見て苛酷な任務に取り組むが、飢えや体調不良に苦しみ、地雷の暴発によってひとりまたひとりと命を落としていく。

そんな様子を見て、彼らに戦争の罪を償わせることに矛盾を感じたのはラスムスンだった。ナチスに激しい憎しみを抱きながら、ラスムスンはセバスチャンとの間に信頼関係を築きはじめていた。

ヒトラーの忘れもの

© 2015 NORDISK FILM PRODUCTION A/S

やがてラスムスンは、祖国に戻ることを願う少年たちの切なる思いを叶えてやろうと胸に誓うようになる。しかしさらなる苦難が、ラスムスンに重大な決断を迫らせる……

映画を観る前に知っておきたいこと

ドイツ人少年兵に地雷除去を強制した歴史の存在を僕は知らない。世界中で注目を集めるこの映画は、多くの人にこの事実を伝えるだろう。なぜドイツ兵の多くはデンマークに取り残されたのか、少年兵に地雷除去を強制することは戦争犯罪に当たらないのか、歴史的背景を知ることで作品が持つメッセージに近づくことができる。

ここに書く歴史的背景は、公式サイトを要約したものだ。映画に関係ある箇所を抜き出して短くまとめてみたが、詳しく知りたい人はそちらを参考にしてほしい。

ドイツとデンマークの関係

1940年第二次世界大戦中、ナチス・ドイツはデンマークに侵攻し、デンマークは独立国としての体裁を維持しながら、その軍事的保護下に置かれた。

1942年、ドイツ軍は大西洋側からのアメリカ・イギリスの侵攻に備えて、スカンディナヴィア半島からピレネー山脈へと延びる海岸線に「大西洋の壁」と呼ばれる約2600kmに及ぶ防御線を築いた。その内、デンマークの西海岸はこの壁の約400kmを占め、そこに埋められた地雷がこの映画の背景となっている。

そして終戦後、デンマークに駐屯した20万人を数えるドイツ将兵の扱いは、北ドイツの占領政策を担当したイギリス軍の監督を仰ぐことになった。ドイツ将兵の多くは自国へ移送されたが、残る1万人強は「故国に捨てられた敵国人」としてデンマークに残された。

劇中に登場するセバスチャンらドイツ兵に少年が多いのは、大戦末期に追い詰められたドイツが徴兵の年齢を10代半ばまで引き下げていたことによる。

彼らに地雷除去を強制することは、今の国際社会においては戦争犯罪として取り上げられるだろう。しかし、当時のデンマークは自国を解放へ導いた連合国側であるイギリスの提案を受け入れる他なかったのである。

また、大戦中にイギリスへ渡ってドイツ軍への反攻にむけて訓練を受けたデンマーク兵が多くいたという。ラスムスン軍曹がデンマーク将校でありながら、イギリス軍式の制服を着用しているのはそのためだ。

程なくして冷戦に突入すると、デンマークにいたドイツ将兵は帰還を許された。

そして、西ドイツと共にアメリカ合衆国の同盟者となったデンマークは、同じ西側陣営に属する者としてドイツと協力関係を築いていくこととなる。これにより、少年兵に地雷除去を強制した事実は一旦歴史から葬られることとなった。

しかし冷戦が終結した後の1998年、「強制の下で」という本によってこの事実は白日の下にさらされることとなる。著者ヘリェ・ヘーイマンの父がラスムスン軍曹のモデルとされている。

責任を問う映画ではない

戦争に必ずついて回るのが戦争責任の問題だ。しかし、ここに公平性はまったくない。どこまでも敗戦国が責任を負わされるただの事後処理に過ぎないため、人間の感情に照らし合わせた場合、そこには多くの矛盾が生まれる。

戦争の根本は人間の感情の中にあるはずなのに、最終的に戦争は感情論を受け付けないのだ。

政治的ジレンマを抱えイギリスの提案に従ったデンマークも、命令されて人を殺す兵士も、結局責任がどこにあるのかは誰にもわからない。

映画の中では、少年兵に戦争の罪を償わせることに矛盾を感じる存在としてラスムスンが描かれている。彼の目線には、一人の人間として戦争を眺める感情がある。

赦すことを許さない戦争に、人間の感情を取り戻すことができる映画だ。

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