映画を観る前に知っておきたいこと

わたしは、ダニエル・ブレイク
ケン・ローチの最高傑作

投稿日:2016年12月22日 更新日:

わたしは、ダニエル・ブレイク

人生は変えられる。
隣の誰かを助けるだけで。

実直に生きてきたダニエル・ブレイクを襲った心臓の病。理不尽で複雑に入り組んだイギリス社会保障制度が、彼の前に立ちはだかる。

前作『ジミー、野を駆ける伝説』(14)を最後に、映画界を去ったイギリス社会派の巨匠ケン・ローチが、引退を撤回してまで伝えたかったこと。それは、世界中で拡大しつつある格差や貧困にあえぐ人々の現状と、助け合うことで何かを変えられるという普遍的なメッセージ。長編映画監督デビューから50年、最もケン・ローチらしい社会派映画で堂々の2016年カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞となった。

何よりも映画にリアリティを優先させる監督が、ダニエルに選んだのは映画初出演のコメディアン、デイヴ・ジョーンズだった。建具工の父を持ち、労働者階級出身の彼が、底辺に暮らす者の苦悩を自然な演技で滲み上がらせる。

予告

あらすじ

イギリス北東部ニューカッスルに生まれて59年、ダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)は大工仕事に誇りを持ち、最愛の妻を亡くして一人になってからも、規則正しく暮らしていた。しかし、彼は突然の心臓の病によって、医者から仕事を止められてしまう。

わたしは、ダニエル・ブレイク

© Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve,British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2016

国の援助を受けようにも、理不尽に入り組んだ複雑な制度が立ちふさがる。必要な援助を受けることができないダニエルは、経済的にも精神的にも削られていくしかなかった。

わたしは、ダニエル・ブレイク

© Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve,British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2016

悪戦苦闘する中、ダニエルが偶然出会った身寄りも仕事もないシングルマザーのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)。二人の子供を抱える彼女を助けようとしたことから、ダニエルと家族との交流が生まれる。貧しさに人としての尊厳を奪われることなく、寄り添い合い絆を深めていくダニエルとケイティたちだったが……

映画を観る前に知っておきたいこと

イギリス社会派の巨匠ケン・ローチが、初めてカンヌ国際映画祭でパルム・ドールに輝いたのは、アイルランド独立戦争を描いた『麦の穂をゆらす風』(06)だった。この作品が珠玉の名作であることを疑う余地はないが、やはりケン・ローチの真骨頂は『レイニング・ストーンズ』(93)や『レディバード・レディバード』(94)のようなイギリス労働階級者の生活をリアルに見つめた社会派映画である。

だからこそ、最もケン・ローチらしい社会派映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』で、再びカンヌ国際映画祭の最高賞に届いたことが、彼を古くから知る者にとって最高傑作を予感させる。

この映画が内包する普遍的なメッセージに、日本人である僕たちも共感を抱けるように、イギリス社会保障制度の現状を知っておいて欲しい。

イギリス社会保障制度の現状

イギリスが国民の最低限の生活を保証する“ゆりかごから墓場まで”のスローガンを掲げ、初めて福祉国家(安全保障や治安維持などに限定するのではなく、社会保障制度の整備からも国民の生活の安定を図る国家モデル)の体制を作った1945年以来、現在のイギリス社会は最も弱者に苛酷な時代を迎えているという。

財政赤字削減を公約に掲げた英保守党デービッド・キャメロンが首相になった2010年から、5年以上に及ぶ緊縮財政(福祉、住宅手当、社会保障の削減)と福祉保障制度改革の結果、“片手に指が1本でもあれば就労可能”と皮肉られるぐらいイギリスにおける障害の認定基準は厳しくなった。

心臓に疾患を抱えた主人公ダニエルも、この制度によって困窮させられた社会的弱者の一人である。

英デイリーミラー紙が2016年5月12日に報じた、頭蓋骨の半分を失って重度の記憶障害と半身麻痺を抱える男性に対し、英労働年金省(DWP)が就労可能と裁定したという事実からも、映画が取り分け不幸な人物を描いているわけではないことがわかる。

戦後、疲弊しきったイギリス国民を助けるために設けられた社会保障制度が崩壊しつつある今、競争に溢れた者は沈んでゆくしかない。そして、それは誰のせいでもなく、自分自身のせいなのだ。

ケン・ローチが引退を撤回してまで『わたしは、ダニエル・ブレイク』を撮った理由は、このイギリス社会の現状に警鐘を鳴らすためだが、そこにはもっと普遍的なメッセージが込められている。

隣の誰かを助けるだけで、人生は変えられる。

映画に国家の制度を変えることはできないかもしれないが、僕たちは助け合い、支え合い、時に寄り添い合うことで理不尽な世界と対峙することができるのだ。

「生きるためにもがき苦しむ人々の普遍的な話を作りたいと思いました。死に物狂いで助けを求めている人々に国家がどれほどの関心を持って援助しているか、いかに官僚的な手続きを利用しているか。そこには、明らかな残忍性が見て取れます。これに対する怒りが、本作を作るモチベーションとなりました。」

ケン・ローチ

出典:公式サイト

あとがき

これはもはや遠い国の無関係な社会問題を描いた映画ではない。人間の感情の物語だ。

僕は90年代からずっと、この監督の作品を特別な想いで見つめてきた。そう、誰にも教えたくないと思うくらいに。そんな自分だけの大切な存在、最後の心の拠り所となるのが彼の映画なのだ。しかし、ローチが映画を撮るのもこれが最後かもしれない。

この普遍的なメッセージが、もしもアカデミー賞に届くというのなら、僕はそれでも構わない。

-ヒューマンドラマ
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執筆者:


  1. 鈴木啓志 より:

    イギリスの社会保障システムを題材にした映画ですが、日本も近い将来、社会システムの維持が不能になり、他人事ではないように思われました。

  2. 今川 幸緒 より:

    コメントありがとうございます。

    僕も同感です。少子高齢化が叫ばれる日本の社会保障制度は、このままいけば確実に機能不全に陥ると思います。とても他人事とは思えないですね。

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