喜びと悲しみを乗せて
テヘランの街を行く一台のタクシー。ダッシュボードに置かれたカメラを通して映し出される悲喜こもごもの人生。運転手は他でもないジャファル・パナヒ監督自身だった ──
今は亡きイランの名匠アッバス・キアロスタミの愛弟子にして、世界三大映画祭を席巻する監督が映画を愛する全ての人に贈る奇跡の人生賛歌。
イラン政府への反体制的な活動を理由に映画製作を止められているパナヒ監督自らタクシーの運転手に扮し、厳しい情報統制下にあるテヘランの街に暮らす乗客たちの人生をカメラに収めていった。それゆえドキュメンタリータッチに映し出されるこの映画は、彼の決して諦めない勇気と軽やかに笑い飛ばすユーモアに満ちている。
本作は2015年ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞し、パナヒ監督は世界三大映画祭における自身2つ目の最高賞を手にした。残るは、かつてアッバス・キアロスタミが『桜桃の味』(97)で受賞したカンヌ国際映画祭のパルム・ドールのみだ。
Contents
- 1 予告
- 2 あらすじ
- 3
映画を観る前に知っておきたいこと
- 3.1 アッバス・キアロスタミの精神
- 4 あとがき
予告
あらすじ
タクシーがテヘランの活気に満ちた色鮮やかな街並みを走り抜ける。運転手は他でもないジャファル・パナヒ監督自身だ。ダッシュボードに置かれたカメラがテヘランに生きる市井の人々の姿を捉えていく。

© 2015 Jafar Panahi Productions
死刑制度について議論する路上強盗と教師、一儲けを企む海賊版レンタルビデオ業者、交通事故に遭った夫と泣き叫ぶ妻、映画の題材に悩む監督志望の大学生、金魚鉢を手に急ぐ二人の老婆、国内で上映可能な映画を撮影する小学生の姪、強盗に襲われた裕福な幼馴染、政府から停職処分を受けた弁護士。乗客たちはそんなユニークな面々だった。

© 2015 Jafar Panahi Productions
パナヒ監督と彼らとのやり取りを通して浮かび上がる様々な人生模様。そして、そこから見えてくるのはイラン社会の知られざる核心部……
Sponsored Link映画を観る前に知っておきたいこと
2000年にパナヒ監督が過酷な社会の中で懸命に生きるテヘランの女性たちを活写した『チャドルと生きる』は、その年のベネチア国際映画祭金獅子賞に輝いものの、イランの現体制を批判する内容であるとして、政府から国内での公開を禁止されたという。
また、彼は2009年の大統領選挙で改革派を支持したことで当時の保守派政権と対立、逮捕までされている。現在もイラン政府への反体制的な活動を支持したとして、彼は“20年間の映画監督禁止令”を受けている真っ最中である。
しかし、パナヒ監督は閉鎖的な社会にも決して屈しない。持ち前のユーモアで不自由ゆえの傑作を生み出す男の映画制作には、同じイランの名匠アッバス・キアロスタミの精神が宿っているようだ。
アッバス・キアロスタミの精神
かつてパナヒ監督が師事した名匠キアロスタミもイランの体制に翻弄された映画作家の一人だった。パナヒ監督ほど反社会的な思想を映画に持ち込まなかったものの、彼の映画制作も政府の検閲と妨害によって厳しく制限されていた。
1979年のイラン革命(民主主義革命)で多くの作家が出国を余儀なくされる中、イランに残ることを選んだキアロスタミ監督は、人間の心の中に自由な映画制作を模索していく。
かつて『桜桃の味』に見た、観る者を置き去りにすることも厭わないほどのエゴイスティックなまでのラストシーンは、そうした旅路の末に行き着いた境地だったのではないかと想像する。
キアロスタミ監督の、映画は映画監督のものだと言わんばかりの自由な表現。それは、同じようにイラン国内で映画制作を追求しているパナヒ監督の『人生タクシー』の切り口にも通じている。
「私は映画作家だ。映画を作る以外の事は何も出来ない。映画こそが私の表現であり、人生の意味だ。何者も私が映画を作るのを止める事は出来ない。」
ジャファル・パナヒ
あとがき
2016年7月4日にこの世を去った名匠キアロスタミ。彼は僕が最も敬愛した映画作家であり、いま再びその面影を映画で感じられることは何よりの慰めだ。
『人生タクシー』はハリウッドとは違う映画の未来を予感させるほど、最先端の表現に満ちている。抑圧されるほど、映画とは自由になるものなのかもしれない。
作品データ
原題 | 『Taxi』 |
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製作国 | イラン |
製作年 | 2015年 |
公開日 | 2017年4月15日 |
上映時間 | 82分 |
キャスト
キャスト | ジャファル・パナヒ |
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監督・スタッフ
監督 | ジャファル・パナヒ |
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脚本 | ジャファル・パナヒ |
製作 | ジャファル・パナヒ |