映画を観る前に知っておきたいこと

【駆け込み女と駆け出し男】未来を切り開く江戸の女性の強さと美しさ

投稿日:2015年4月15日 更新日:

駆け込み女と駆け出し男

国民的作家の井上ひさしが、晩年11年をかけて紡いだ時代小説「東慶寺花だより」を原案にした時代劇。現代の2倍はあったと言われている江戸時代の離婚騒動をモチーフに、縁切寺に駆け込んでくる女性の生きる姿と、江戸の空気と生活をありありと描いた意欲作。

  • 製作:2015,日本
  • 日本公開:2015年5月16日
  • 原案:小説『東慶寺花だより』井上ひさし著
  • 上映時間:143分

予告

あらすじ

縁切寺、東慶寺。

質素倹約令が発令され、庶民の暮らしに暗い影が差し込み始めた江戸時代後期。鎌倉には離婚を求める女たちが助けを求めて駆込んでくる幕府公認の縁切寺、東慶寺があった。ここは尼寺。生き地獄から抜け出す女たちの最後の砦、いわば避難所である。但し、駆け込めばすぐに入れるわけではない。門前で意思表示をした後に、まずは御用宿で聞き取り調査が行われる。そして2年間の修行を終えて初めて、晴れて離婚成立となるのだ。修行が終えれば、夫方は必ず離婚状を書かなければならない。
駈込み女と駆出し男

御用宿の居候、見習い医師の信次郎

戯作者に憧れる見習い医師の信次郎は、そんな救いを求める女性たちの身柄を預かる御用宿・柏屋に居候することに。知れば知るほど女たちの別れの事情はさまざま。柏宿の主人、源兵衛と共に離縁調停人よろしく、口八丁手八丁、奇抜なアイデアと戦術で男と女のもつれた糸を解き放ち、ワケあり女たちの人生再出発を手助けしていく。

click ※ネタバレ

駆け込んできた二人の女。

ある日、顔に火ぶくれをもつ”じょご”と、”お吟”の二人の女が東慶寺に現れる。二人は寺を目指す道中で出会い、足に怪我をしたお吟をじょごが大八車に乗せて一緒に駆込んできたのだった。早速聞き取り調査を行うことに。

お吟の訳を聞いてみれば、夫である日本橋唐物問屋の堀切屋三郎衛門がどうやって身の上を築いたのか、もしかしたらたくさんの人を殺めたのではないかと思い怖くなったのだという。
一方、じょごは七里ガ浜・浜鉄屋の腕のよい鉄練り職人。顔の火ぶくれはたたら場で働いていた証である。しかし夫の方は仕事もせずに放蕩三昧。あろうことか暴力まで振るう。愛人宅に入り浸る夫を迎えに行ったところで、火ぶくれを化け物と罵られたじょごは、屈辱の涙を流しながら東慶寺にむかうのだった。
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信次郎とじょご。

じょごの聞き取りに加わった信次郎は、彼女のやけどを治療したくて仕方がない。しかし、じょごは簡単に心を開きそうにない。信次郎は優しく説いた。まずは顔のやけどの傷を治すこと。それが顔のことを言い募る亭主への逆襲につながります、と。思い当たる節のあるじょごは、信次郎を信じてみることにした。

さて、柏屋から呼出状をくらった堀切屋三郎衛門は、自分にぞっこんだった筈の妾が縁切寺に行った事に怒り心頭。自分の裏家業を知ったお吟が、身の安全と金目当てに駈込んだに違いない、と。しかし、東慶寺は徳川家康公お声かかりの寺。手を出せない堀切屋は呼出しに応じず、お吟は無事入山する。
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武士の娘ゆう。

そしてまたひとり、柏屋に駈込んできた女がいた。名を戸賀崎ゆう。剣術の道場の娘であったが、道場はごろつき侍に乗っ取られ、夫も父も殺された。自分も無理やり祝言を挙げさせられたという。東慶寺で務めを果たした暁には、どうしても仇討ちをと涙ながらにうったえるゆうに源兵衛は、東慶寺は武士の入山は認められず、仇討ちの助太刀は出来ないと告げるが。ゆうは引かない。

想いを伝えられない信次郎。

さて、いよいよじょごとゆうの入山が翌日に迫る。傷が癒えたじょごは見違えるほど美しくなっていた。傷が癒えるまでの間柏屋で薬草採集を手伝ってくれていたじょごに、信次郎は淡い想いを寄せるようになっていた。だが自分は純情一本やりの草食男子。好いた女に気持ちを伝えることもできず、入山するじょごを見送るのが精一杯だった。

一方、水野忠邦の改革はいよいよ激しさを増し、腹心、南方奉行の鳥居耀蔵は、密偵を放ち東慶寺のお取り潰しを画策していた・・・。
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映画を見る前に知っておきたいこと

予告動画を見て思うところがあったので、少し不躾な気もするけど時代考証でもしてみようと思う。

この時代の結婚・離婚の概念

江戸時代の女性は、男尊女卑的な法や規律でがんじがらめにされていたと誤解されがちだ。離縁状は男性からしか出せなかったし、妻の態度がどうであれ、夫の都合で勝手に離縁できると。しかしそれは立前で、実態はそうではなかった。江戸時代ほど本音と立前の落差が激しかった時代はないと言われている。

江戸時代後期には女性が書いた離縁状も存在しているし、夫が離縁状を出せるのは妻の無責任性が公に認められた場合のみだった。おもしろいのは、男性が離縁状を書く理由として用いた文章「我等勝手に付」という一文。この一文から、夫は勝手に妻を離婚出来たという誤解がかなり広く浸透している。意味合いとしては、辞表に「会社に将来性がないので」と書くわけにはいかないので「一身上の都合で」と書く程度の意味だ。

特に町人、農民の女性は立場は強かった

駈込み女と駆出し男
さらに「妻が夫を嫌って別れたいなど決して思ってはならない」というのは儒教の女性観である。当時の武士や上流階級の人間は、この儒教の教えを立前として学んでいるが、町民や農民にまでその考えは浸透しなかった。この時代の女性を観察した外国人はこう述べている。

下級階級では妻は夫と労働を共にするのみならず、夫の相談にもあずかる。妻が夫よりも利口な場合には、一家の財布を握り、一家を牛耳るのは彼女である(チェンバレン)

彼女らの生活は、上流階級の夫人のそれより充実しており幸せだ。何となれば、彼女ら自身が生活の糧の稼ぎ手であり、家族の収入の重要な部分をもたらしていて、彼女の言い分は通るし、敬意も払われるからだ。・・・夫婦のうちで性格の強いものの方が、性別とは関係なく家を支配する。(ベーコン)

江戸時代の女性の強さと美しさ

さて、東慶寺が活躍するのは、本当にどうにもならなかった場合に限る。要するに現代で言う家庭裁判所のようなものだ。そういうことで「江戸時代の弱い立場の女性たちが」という視点は捨てて、東慶寺で起こる人間模様にしっかりと集中して見たい。東慶寺に逃げ込んだようで、未来を切り開く新しい1歩を踏み出していく大和撫子たちの強さと美しさに出会えると思う。
駈込み女と駆出し男

-時代劇, 邦画

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