これはパリ郊外の貧困層地区、荒れ果てたレオン・ブルム高校で本当に起こった実話である。
情熱的なアンヌ先生は、学校から見放された問題児たちのクラスを歴史コンクールに参加するように促すが、「アウシュビッツ」という難題に生徒たちは反発する。そこでアンヌ先生は、強制収容所の生存者を授業に招き、その経験を子供たちの前で語ってもらう。すると生徒たちに変化が起こり始めるのだった……
本作は生徒同士の関係性を通して民族的・宗教的な対立という問題まで映し出し、文部科学省選定映画となっている。生徒たちに起こった変化は海を越えて日本にまでやって来る。
Contents
- 1 予告
- 2 あらすじ
- 3
映画を見る前に知っておきたいこと
- 3.1 映画の原案は出演しているひとりの青年
- 3.2 文部科学省選定映画
- 3.3 僕の実体験
予告
あらすじ
貧困層が暮らすパリ郊外のレオン・ブルム高校は新学期を迎えようとしていた。様々な人種の生徒たちが集められた落ちこぼれクラスに、厳格な歴史教師アンヌ・ゲゲンが赴任してくる。

©2014 LOMA NASHA FILMS – VENDREDI FILM – TF1 DROITS AUDIOVISUELS – UGC IMAGES -FRANCE 2 CINEMA – ORANGE STUDIO
教員歴20年のベテラン教師アンヌは教えることが好きで、問題児たちを相手にも退屈な授業をするつもりはなかった。情熱的な彼女は、歴史の裏に隠された真実、立場による物事の見え方の違い、学ぶことの楽しさについて教えようとする。
しかしそんなアンヌ先生の思いを他所に、生徒達は相変わらず問題ばかり起こしていた……ある日、アンヌ先生は生徒たちを全国歴史コンクールに参加するように提案するが、「アウシュビッツ」という難しいテーマに生徒たちは反発する。
しかしアンヌ先生が強制収容所の生存者レオン・ズィゲルを授業に招待したことで生徒たちに変化が起こり始める。

©2014 LOMA NASHA FILMS – VENDREDI FILM – TF1 DROITS AUDIOVISUELS – UGC IMAGES -FRANCE 2 CINEMA – ORANGE STUDIO
大量虐殺が行われた強制収容所から逃げ出すことができた数少ない生き証人の悲惨な状況を知った生徒たちは、この日を境に変わっていくのだった……
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映画を見る前に知っておきたいこと
映画の原案は出演しているひとりの青年
本作に出演している生徒役の一人、アハメッド・ドゥラメは脚本のクレジットにも監督と共に名を連ねる。
この映画は、レオン・ブルム高校の最終学年にいた18歳のアハメッドと彼の同級生たちが「レジスタンスと強制収容についての全国コンクール」で優勝した実体験を基に描かれている。
その時の経験をアハメッドが60ページほどの脚本にし、マリー=カスティーユ・マンション・シャール監督に送ったことが映画の始まりだった。
物語りは教師を中心としたものだが、生徒目線から映画の原案が作られている事実は大きい。問題を抱える生徒の多くは敗北主義や無関心主義に流され、大人がいくら諭してもなかなか変われるものではない。
アハメッド自身が実体験を綴り、演じるからこそ、レオン・ブルム高校の生徒たちに起こったような変化を映画で伝えられる可能性が生まれるのだ。
アハメッド・ドゥラメは本作でフランスのアカデミー賞とされるセザール賞有望男優賞にノミネートされている。
文部科学省選定映画
本作は生徒たち成長物語りというだけでなく、「表現の自由」「政教分離の原則」「民族的・宗教的な対立」などの問題も提起されている。
そして、あえて「アウシュビッツ」という悲惨な歴史を伝えることで、文化的、社会的、歴史的な遺産を理解し、守ることまで伝えようとしている。
原題の『Les heritiers』とは“後継者たち”を意味しているが、こうしたメッセージが繁栄されているのだろう。
重要な教訓を含んだ本作は文部科学省選定映画にもなっている。これは教育的に価値があると文部科学省が判断した作品ということだ。
大人になったからこそ分かることだが、反抗的な子供たちは無気力で関心がないわけではなく、ただきっかけがないだけなのだろう。
また現代では、現場の教師もPTAや世間のしがらみからか、情熱を持ち続けることが難しくなっている。
本作は教師にとっても生徒にとっても、何かのきっかけとなってくれる可能性を秘めている。
僕の実体験
「アウシュビッツ」という悲惨な歴史は、子供たちにとって本当の意味で理解することは簡単ではない。能動的で、関心を持ってこそ初めて現実味を帯びてくる。
ただ一度そういう姿勢になれば、衝撃的に感じ、決して無関心ではいられなくなるはずだ。
日本で言えば、戦争や原爆の歴史がそれに当たるのではないだろうか……
これは僕の実体験の話だが、高校3年生の頃。ちょっとした問題を起こした僕は、更正カリキュラムの一環として教師に手渡されたノートに毎日反省文を書かされていた。
連日、書けども書けどもそのノートは終わらず、いずれ似たり寄ったりな反省の言葉でページは埋められていくようになってしまった。ある日から教師の了承を得て、社会問題についてや小説の感想などを書かせて貰えるようになった。
そしてニュースや本から知識を手に入れていくうちに、様々なことに対して能動的に関心を抱くようになっていった。これは今思うと、毎日提出したノートにコメントを返してくれる教師の存在も大きかった。ノートを通して教師と討論するような内容がしばらく続いたこともあった。
もうその頃には、一つのテーマを掘り下げていく作業が楽しくなっていた。僕は高校3年生で問題を起こしたことで一度は進学をあきらめていたが、これがきっかけで再び大学に行く決心を固めることができた。
このノートのやり取りは結局、卒業直前まで続いた。これも今となってみればだが、教師の方もそれなりに楽しんでくれていたのではないかと思っている。
大人の視点を手に入れたからこそ、この映画にノスタルジーを感じることができる。