芥川賞作家・高井有一による同名小説は、1983年に出版され谷崎潤一郎賞を受賞。戦争という時代を戦場ではなく、庶民の暮らしを繊細でリアルに描き、それはそのまま繊細でリアルな男女の物語となっていく。監督は『ヴァイブレータ』『共喰い』などで男女のえぐ味とロマンチシズムを見事に表現した、日本を代表する脚本家・荒井晴彦。監督として映画を撮るのは実に18年ぶりだが、繊細でリアルな男女間を描くことこそ荒井晴彦の真骨頂といえる。
主演の里子役に二階堂ふみ。市毛役には長谷川博己。そして工藤夕貴、富田靖子、石橋蓮司、奥田瑛二ら豪華実力派俳優が脇を固める。戦時下の許されぬ男女の恋と、激しい空襲と飢餓が迫る恐怖のなかを生きる人々を丹念に描いた戦後70周年記念作品。
- 製作:2015年,日本
- 日本公開:2015年8月8日
- 上映時間:130分
- 原作:小説「この国の空」高井有一
Contents
予告
あらすじ
「結婚もできないまま、死んでいくのだろうか」
1945年、終戦間近の東京。19歳の里子は母親と杉並区の住宅地に暮らしている。日々、空襲の恐怖に怯え、物価は上がりまともな食べ物も口には出来ないながらも健気に暮らしていた。そんな里子の隣に住んでいたのは、妻子を疎開させた銀行支店長の市毛だった。里子は彼の身の回りの世話をしていた。そんな中、日に日に戦況は悪化していく。すでに婚期を迎えた里子には、この状況下では結婚などは望めそうもないと考えるようになる。その不安を抱えながら、市毛の身の回りの世話をすることがだんだんと喜びとなっていく。
そして、戦争という極限状態が市毛との許されぬ恋に突き進む覚悟へと変わっていく。市毛も妻子がいながら里子に惹かれ渇望するようになっていく。
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映画を見る前に知っておきたいこと
荒井晴彦監督のメッセージとそれを伝える手法
「この国の戦後は、戦争が終ってよかっただけでスタートしてしまったのではないだろうか。まるで空から降ってくる焼夷弾を台風のような自然災害のように思って、誰が戦争を始めたのか、そして誰がそれを支持したのかという戦争責任を問わずに来てしまったのではないだろうか。」
そんな荒井晴彦監督のメッセージは、戦争を戦場ではなく庶民の生活で描くことで伝えようとした。主人公の里子にとって戦争が終わることは、市毛の妻子が帰ってくることでもあった。里子にとって戦争が終わることは喜べることではなかった。荒井晴彦監督は戦争が終ってバンザイじゃない娘を描くことで、この国の戦後に問いかける。
メッセージはいかにも戦争映画らしいものだが、それを伝える手法は新しい。荒井晴彦監督が得意とする“繊細でリアルな男女間”を描くことが、そのまま戦争映画となっている。戦後70周年で世界中で戦争関係の映画が公開される中、こうした視点の違う作品を見るのもおもしろい。
昨今、安保法案の強行採決に揺らぐ世間に、改めて戦争というものを問いかける一石となっているのではないか。
女性詩人・茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」
作中で里子が朗読する「わたしが一番きれいだったとき」は、戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人・茨木のり子が19歳で終戦を迎え、その時の経験を基に書かれたものだ。同い年の里子の心情と重なり、深い余韻を残している。この詩は多数の国語教科書に掲載されている。素晴らしい詩なので全文を紹介したい。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりしたわたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまったわたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていったわたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光ったわたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いたわたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼったわたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかっただから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね「わたしが一番きれいだったとき」茨木のり子