映画を観る前に知っておきたいこと

たかが世界の終わり
グザヴィエ・ドランが描き出す“家族”

投稿日:2016年12月20日 更新日:

たかが世界の終わり

これが最後だなんて、
僕たちは哀しいくらい不器用だった。

12年ぶりに家に帰る。恐れを抱きながら12年の沈黙を破る理由はひとつ。これから迎える僕の死を告げるため。それでも口をつぐんで、言い出せない言葉がある。

2014年、『Mommy/マミー』で天才の名を欲しいままにするグザヴィエ・ドランが、愛しているがゆえに傷つけ合う“ある家族の1日”を切り取る。それは、ミスコミュニケーションに陥った現代の家族の姿そのもの。彼らが放つ感情、怒り、憎しみ、悲しみ、そのすべてが愛だと気付く時、あなたは絶望の中にこそ希望があると知る。

ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティヤール、ナタリー・バイ。演技に人生を捧げた一流俳優たちが、12年ぶりに一堂に会した家族の時間を生きる。

2016年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品。アカデミー外国語映画賞カナダ代表作品。

予告

あらすじ

これから迎える自らの死を家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷した人気作家のルイ(ギャスパー・ウリエル)。母のマルティーヌ(ナタリー・バイ)は息子の好きだった料理を用意し、幼い頃に別れ兄を覚えていない妹シュザンヌ(レア・セドゥー)は浮足立っていた。二人とは対照的に、ルイを素っ気なく迎える兄アントワーヌ(バンサン・カッセル)。彼の妻カトリーヌ(マリオン・コティヤール)はルイとは初対面だった。

たかが世界の終わり

© Shayne Laverdière, Sons of Manual

オードブルにメインと、12年ぶりに一堂に会した家族はひたすら意味のない会話を続けた。まるでルイが何かを告白するのを恐れるかのように。戸惑いながらも、デザートの頃には打ち明けようと決意するルイ。

たかが世界の終わり

© Shayne Laverdière, Sons of Manual

しかし、過熱していく兄の激しい言葉が頂点に達した時、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる ──

映画を観る前に知っておきたいこと

処女作から全ての作品が、カンヌ国際映画祭、ベネチア国際映画祭へ出品され、今や世界三大映画祭の常連となったグザヴィエ・ドラン。しかも彼がカンヌで手にしたタイトルは、監督週間、ある視点部門クィア・パルム(セクシュアル・マイノリティを扱った映画を対象とした賞)、審査員賞、グランプリと、回を追うごとに大きくなっている。

この受賞歴が、何よりもグザヴィエ・ドランの進化を物語る。

普遍的なテーマに挑みだしたグザヴィエ・ドラン

グザヴィエ・ドラン、彼は若干27歳にして世界のカルチャーシーンに影響を与え続ける、カリスマ性を備えた映像作家である。彼が最も得意とする、色彩と音楽によってエモーションを揺さぶる映像世界は、まさに“美しき天才”という呼び名にふさわしい。

しかし、その存在が今の映画界で一際眩いのは、彼の才能が異彩を放っているからだ。

19歳のドランが撮り上げた『マイ・マザー』は、彼が監督・脚本・製作・主演までをこなし、デビュー作にしてカンヌ国際映画祭監督週間部門で見事3冠を達成した。ドランが17歳の時に書いたこの脚本は、ゲイの高校生が母親との関係に悩むという半自伝的な内容であり、彼がセクシャル・マイノリティであることをカミングアウトした作品ともなった。

これ以降の作品『胸騒ぎの恋人』(10)『わたしはロランス』(12)『トム・アット・ザ・ファーム』(13)でも、自身のアイデンティティを込めるかのように果敢にこのテーマに挑んでいる。

ドラン自身がセクシャル・マイノリティであることが、彼を孤高の映像作家にした大きな要因でもあるのだ。

そして、ドランが初めてこのテーマから離れたのが『Mommy/マミー』だった。フランスでは100万人を動員するほどの大ヒットとなり、日本でもグザヴィエ・ドランの名が広く知られることになったのがこの映画だ。

ADHD(注意欠陥多動性症候群)という難しい題材を選びながらも、母と子の深い愛情と葛藤は多くの人の琴線に触れることとなった。これは彼が紛れもない天才だという証明でもある。

そう、ドランの映画が普遍的なテーマに近づくにつれ、より多くの人が共感し、さらにその評価は高まっているのだ。

彼が選ぶテーマも次第に角が取れ、作品毎に大人になっていく印象を受ける。その成熟ぶりと進化をうかがわせる『たかが世界の終わり』で注目すべきは、グザヴィエ・ドランが“家族”をどう描くのか!?これに尽きる。

-ヒューマンドラマ
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