お前を殺して、俺も死ぬ。妻を殺された日から、男は心を失った……
町の小さな鉄工所を営む男は妻をひき逃げで殺されてから、留守番電話に遺された唯一の妻の声を繰り返し聞いていた。犯人が出所してから、男はビニール袋に包丁を忍ばし、ひたすら付け狙っていた。男の心には犯人を殺して自分も死ぬ以外に道はない。そして決行される……
妻を殺された男を演じるのは堺雅人。大ヒットドラマ「リーガル・ハイ」や「半沢直樹」での個性的でコミカルなキャラクターを演じるイメージが強いが、本作は堺雅人渾身の演技が堪能できるダークサイドの決定版だ!
- 製作:2012年,日本
- 日本公開:2012年11月17日
- 上映時間:119分
- 映倫区分:PG12
- 原作:戯曲(演劇の台本)「その夜の侍」赤堀雅秋
Contents
- 1 予告
- 2 あらすじ
- 3
映画を見る前に知っておきたいこと
- 3.1 日本映画界の異端・赤堀雅秋監督
- 4
解説・感想
- 4.1 堺雅人の演技
- 4.2 映画が持つリアリティ
- 4.3 プリンの描写についての解説
予告
あらすじ
東京郊外で小さな鉄工所を営む中村健一は、5年前、トラック運転手に最愛の妻・久子をひき逃げで殺された。死んだ妻の思い出から抜け出せず、留守番電話に遺された妻の声を延々再生しながら糖尿病気味にも関わらず甘いプリンを食べ続けている。喪失感を抱え絶望的な毎日を過ごす中村に、従業員たちも腫れ物に触るように接するしかなかった。久子の兄で中学校教員の青木はそんな中村を心配し、同僚の川村と見合いをさせるが、中村は「僕なんかあなたにふさわしくない」と新しい人生に向かうことを拒絶する。
一方、久子をひき逃げした犯人・木島宏は2年間の服役後、ひき逃げトラックに同乗していた友人・小林の家に転がり込んでいた。そんな木島のもとに「お前を殺して俺も死ぬ。決行まで後○日」と書かれた脅迫状が連日執拗に送られてきていた。そして、中村は鉄工所の仕事の合間、ビニール袋に包丁を忍ばせ毎日のように木島を付け狙っていた。
決行日は木島が中村の妻をひいた日で、それはもう数日後に迫っていた。木島から脅迫状のことを知らされた青木は、中村になんとか復讐をやめさせようとするが、中村を前にすると何も言えなくなってしまう。決行前夜、木島は復讐を思い留めさせられない青木に腹を立て、生き埋めにしようとする。
そして決行日の夜。台風の激しい雨が町を覆っている。歩き回ったあげく、人気の無いグラウンドまでやってきた木島は、闇の中、後を追ってきた中村と遂に対峙する……
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映画を見る前に知っておきたいこと
日本映画界の異端・赤堀雅秋監督
心揺さぶるとはこういう映画のことを言うのだろう。人間の感情の奥、魂の部分に訴えかけてくる。邦画とは思えない、まるでヨーロッパ映画のような空気を持った映画だ。
監督・赤堀雅秋はなんとこの作品がデビュー作である。なぜ彼は1作目からこんな映画が撮れたのか。
それは舞台作家としてのキャリアが彼をただの新人監督ではなくしている。本作はもともと彼の舞台作品で、戯曲(舞台の台本)や演出を手掛けていた。それをそのまま映画監督として映像化しているのだ。その独特の世界観は“赤堀ワールド”と言われ、舞台作家としては既に熱狂的なファンを持っている。
新人監督ながらも、本作はモントリオール世界映画祭、ロンドン映画祭などヨーロッパの映画祭で高い評価を得ているのはそういうカラクリだ。
はっきり言って、日本の映画界においては異端な立ち位置であるため、巨匠、新鋭、どう呼べばしっくりくるのかわからないが、その実力はジョーカー的存在だ。
2016年6月に赤堀雅秋監督待望の2作目『葛城事件』がいよいよ劇場公開される。
解説・感想
堺雅人の演技
正直、出だしの5分ぐらい鉄工所の社長・中村健一が堺雅人か疑心暗鬼だった。それほどドラマ「リーガル・ハイ」や「半沢直樹」、映画『クヒオ大佐』(09)や『鍵泥棒のメソッド』(12)で見た堺雅人のイメージとはかけ離れた役だった。
僕は個性的でコミカルなキャラクターを演じた時の堺雅人の右に出る者はいないと思っている。今は完全に売れてしまったが、役者としての姿勢や立ち位置もずっと好きだった。
しかし、本作で見せる堺雅人の演技はキャリアの中でも一番だと感じた。作品のテーマをしっかり汲み取った役作りは、堺雅人×赤堀雅秋のマジックを生み出している。
本作のテーマは「すべてを失くした男の再生」だと思っているが、内容は絶望的で明確な救いが用意されているわけではない。
中村健一という男は妻を殺した相手を殺すと嘯いているが、そんなことが実際にできる男ではない。ラストで木島と中村が初めて対峙するシーンが描かれるが、ここで中村は木島のことを知ろうと努力する。妻を殺した男に同じ人間的な部分を探すように。
結局、木島を殺す訳でもなく、妻を失った喪失感から解放される訳でもなく、それでも少しずつ変化していくこの微妙な心理を映し出す演技はかなり難しい役所だったはずだ。
映画が持つリアリティ
この映画が妙にリアリティに溢れているのは、登場人物すべてが回りにいそうな人間ばかりだからだ。
あらすじだけ見ればサスペンスのようだが、妻が殺されたと言っても、一応交通事故によるもので、実際にあり得るような状況が映画の設定となっている。そして、中村には結局人を殺すことなんてできないし、誰でも自分の家族が殺されたら相手を殺してやりたいと思うものだ。
この映画で描かれているのは、僕たちの身に起こってもおかしくないことと、それに対するごく当たり前の感情である。だからこそリアルに感じるのだ。
恐らく殆どの人は、相手を殺したくても実際にはそうできない。多分、中村のようにどうにか感情の落とし所を探すはずだ。
この心理を描く上で、ひき逃げで妻が殺されたという設定がとても生きている。本当に殺人犯であれば相手のことを理解しようという心理は働かないと思う。妻を殺した男に同じ人間的な部分を探し、感情の落とし所にしようとする心理は何となく理解できる。
プリンの描写についての解説
本作でとても印象に残るのが、留守番電話に録音された妻のメッセージだ。中村は妻の思い出を引きずり、何度も繰り返して聞いているのだが、劇中でもこのメッセージは何度も流される。これによって観客もその想いの強さを共感する。
決して喪失感を越え、前向きになった訳ではないが、中村はラストシーンでメッセージを自ら消去する。
解説と言う程ではないが、やたら中村がプリンを食べるシーンも留守番電話のメッセージと同じ意味合いだ。メッセージの内容は、糖尿病の気がある中村に対してプリンの食べ過ぎを妻が注意するのだが、生前何度も繰り返されたであろうこの日常を今も繰り返し続けているのだ。
プリンを食べ続けることで、今も妻に注意されているように感じていたのだと思う。
中村がプリン食べるのを止め、頭から掛ける映画のラストシーンは、これらの伏線によって心揺さぶる瞬間になっている。