映画を観る前に知っておきたいこと

【杉原千畝 スギハラチウネ】たった一枚の紙で6000人のユダヤ人を救った日本人

投稿日:

あなたは知っているだろうか?第二次世界大戦下のヨーロッパ、たった一枚の紙で6000人もの命を救った日本人がいることを。その男の名は杉原千畝(スギハラチウネ)。彼は英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語を操り、満洲、フィンランド、リトアニア、ドイツ、チェコ、ルーマニアなど様々な国で、祖国日本のため身の危険も顧みず、諜報活動を続けていた。その結果ソ連から警戒され【ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)】に指定された日本初の外交官でもあった。そんな男がナチス・ドイツに侵略され迫害されるユダヤ人難民を生かすために、日本の意向を無視して彼らに日本通過ビザを発給し続けた……

日本映画でありながら外国語がセリフのメインとなっている本作にリアリティをもたらすことができたのは、アメリカ人の父と日系アメリカ人の母を持つチェリン・グラックが監督を務めたことが大きな要因である。また、主演として杉原千畝を演じた唐沢寿明は、以前からチェリン監督の才能に惚れ込み共に映画を作ることを熱望していた。そして、千畝の美しき妻・幸子は小雪が演じ、加えて、小日向文世、塚本高史、濱田岳、滝藤賢一と共演するキャストも日本を代表する顔ぶれが揃った。

さらに本作は、あのナチス・ドイツが多くのユダヤ人を強制収容したアウシュビッツがあるポーランドで撮影され、“ポーランドの至宝”と呼ばれる女優・アグニェシュカ・グロホフスカが千畝の満洲時代の同僚・イリーナを演じ、モントリオール世界映画祭にて最優秀男優賞にも輝いた俳優・ボリス・シッツが千畝の右腕・ペシュ役を務めた。

戦後70年を経て明かされる真実の物語は、感動超大作として壮大なスケールで描かれる。

  • 製作:2015年,日本
  • 日本公開:2015年12月5日
  • 上映時間:139分

予告

あらすじ

1934年、満洲国外交部に所属する杉原千畝(唐沢寿明)は、ソ連から北満鉄道の経営権を買い取る交渉を有利に進める任務にあたっていた。ロシア語が堪能であった千畝は独自の諜報網を持ち、情報を日本が有利となる情報を集めていった。翌年には、北満鉄道譲渡交渉はソ連の当初の要求額6億2千5百万円を大幅に下回る1億4千万円で取引された。それは千畝の諜報活動の賜物であったが、その情報収集のための協力要請をしていた関東軍に裏切られ、共に諜報活動を行っていた仲間たちを失なってしまう。そして、千畝は失意のうちに日本へ帰国することとなった……杉原千畝 スギハラチウネ満洲から帰国後は外務省勤務となった千畝は、友人の妹であった幸子(小雪)と結婚する。そして、念願の在モスクワ日本大使館への赴任が間近に迫っていた。しかし、千畝がこれまでインテリジェンス・オフィサーとして諜報活動を行い北満鉄道譲渡交渉を有利に進めた実績から、ソ連は千畝のその能力を警戒していた。ソ連は千畝に対して【ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)】を発動し、入国を拒否したのだ。杉原千畝 スギハラチウネ1939年、外務省は混迷を極めるヨーロッパ情勢の情報を得られる最適の地、リトアニア・カウナスに領事館を開設した。そして千畝はそこの責任者を任されることとなる。新たな相棒ペシュと共に千畝は一大諜報網を作り上げ、ヨーロッパ情勢を分析して日本に情報を流し続けた。やがてドイツはポーランドに侵略し、第二次世界大戦が勃発する。ナチス・ドイツに迫害され国を追われた多くのユダヤ人は難民となり、カウナスの日本領事館へヴィザの発給を求めてやって来た。難民たちの数は日に日に増える一方であった。千畝は、必死にビザを求める彼らに、日本政府からの許可が取れないまま日本通過ビザを発給することを決断する。それは千畝が自らの立場を危うくするものだった……

映画を見る前に知っておきたいこと

日本のシンドラー・杉原千畝

オスカー・シンドラーは知っていても、杉原千畝は知らないという人は多くいるはずだ。何と言ってもオスカー・シンドラーは、あのアカデミー賞で7部門を受賞したスティーブン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』のモデルになった人物である。シンドラーはドイツ人実業家であり、ナチス党員であったにも関わらず、1200人のユダヤ人の命を救った。自信が経営する工場の作業員を確保するという名目でユダヤ人の強制収容所送りを回避させたのである。それは杉原千畝の「命のビザ」のように、その作業員を記した名簿が「シンドラーのリスト」である。

よって杉原千畝は“日本のシンドラー”と呼ばれるのだが、僕にはシンドラーが“ドイツの杉原千畝”と言う方がしっくりくる。シンドラーが救ったユダヤ人は1200人なのに対して杉原千畝が救ったのは6000人であるとか言うつもりはない。人数の問題ではなく、シンドラーには工場の作業員を確保という名目があった分、立場は杉原千畝よりマシだったと思うからだ。一方、杉原千畝は日本政府から許可が下りなかったことに対して独断でユダヤ人を救った。こちらの方が勇気ある行動のように思う。

『シンドラーのリスト』は映画も大ヒットし、原作もベストセラーとなっているためオスカー・シンドラーの名は世界中で知られている。本作が『シンドラーのリスト』ほどヒットするとは思わないが、せめて日本国内ではオスカー・シンドラーを越えて杉原千畝の名を知らしめてほしい。

外交官の在り方

終戦後、帰国した杉原千畝の外務省内での扱いは酷いものであった。リストラという名目で外交官としてのキャリアはそこで終わってしまう。しかし、これは明らかに日本政府の意向を無視したために責任を取らされたものであった。これは組織として仕方ないことであるかもしれないが、誰が見ても人道的に正しい決断をした者に対してあまりに酷い仕打ちだ。戦時中、日本もドイツと同盟関係にあったため「命のビザ」を許可できない状況であったのも確かだが、終戦後は讃えられるべき勇気のある行動だったと思う。

一応、その後杉原千畝の名誉は守られることとなるのだが、それは杉原千畝が死んでから14年もの歳月が流れてからのことだった。2000年10月10日の河野洋平外務大臣による演説で、公式に杉原千畝の英断を讃えた。あまりにも遅過ぎる名誉回復であったが、その演説の中で語られた外交の在り方は素晴らしいものであった。

日本外交に携わる責任者として、外交政策の決定においては、いかなる場合も、人道的な考慮は最も基本的な、また最も重要なことであると常々私は感じております。故杉原氏は今から六十年前に、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な局面において人道的かつ勇気のある判断をされることで、人道的考慮の大切さを示されました。私は、このような素晴らしい先輩を持つことができたことを誇りに思う次第です。

2000年10月10日 河野洋平外務大臣の演説より

本当の外交の場で、この演説のように国家の利益よりも人道的な考慮を優先させるのだとすれば、日本人としてこんなに誇らしいことはない。実際、行動に移すことができるかはわからないが、外務大臣が公の場でこの理念を口にしたことは決して安くないと思う。杉原千畝自身は、当たり前のことをしただけなので讃えられることでもないと言っていたが、現代にその意思が受け継がれることは賞賛に値することである。

-ヒューマンドラマ, 戦争, 邦画

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。