都会の喧騒から逃れるように田舎にやってきた21歳の女と、いつか田舎を出て行く日を待ちながら孤独に過ご男子す高校生の喪失と再生をめぐる物語。「世界が注目する才能」なんてどこでも聞く大げさなキャッチフレーズだと思っていたが、鶴岡慧子監督のそれはなんとなく分かる気がする。
これは喪失を抱えて生きる、私たちの物語。世界から注目を集める26歳の新鋭女性監督、鶴岡慧子の劇場デビュー作だ。
- 製作:2015年,日本
- 日本公開:2015年9月19日
- 上映時間:92分
予告
あらすじ
時子と陽平
ある夏の夜。ガールズバーの仕事をクビになった21歳の枝波時子(木下美咲)は、行くあてもなく東京の街をさまよい、ふと長野行きの深夜バスに乗り込む。向かった先は、山のふもとの小さな田舎町。
そこは時子が8歳まで父と過ごした場所だった。だが時子は当時のことをあまり覚えていない。13年前のある朝、絵描きの父は「山猫を探しに行くよ」と言って時子連れて山奥へ分け入り、そのまま帰らぬ人となった。
その田舎町に生まれ育った加野陽平(泉澤裕希)は、絵を描くのが好きな高校2年生。材木屋を営む父の正一(田中隆三)と二人で暮らしている。
最近、材木店の従業員で、陽平が兄のように慕っていた和茂(植木祥平)が山の中で死体となって見つかった。それ以来、陽平は学校をさぼり、和茂が生前に連れて行ってくれた森の中の古い山小屋でキャンパスに向かう日々を送っている。
かつて住んでいた山小屋を訪れた時子は、陽平と出会う。一目でよそ者とわかる格好をし、手に怪我を負った無一文の時子に、陽平は着替えや食べ物を与える。互いが抱える喪失感や孤独を感じ取った二人は、他愛ない会話を交わしながら、穏やかな一時を過ごす。
山猫に導かれ
その頃、町では早速時子の存在が“怪しい女”として噂になっていた。和茂がいなくなってから心を閉ざしがちな陽平を心配する幼馴染のアキホ(中川真桜)も、陽平と時子の姿を見かけて不安を募らせる。
そしてアキホから二人の様子を聞いた正一は、かつて消防団の一員として、山の崖の下で倒れている時子父子を発見したときの事を思い出す。
時子の記憶もまた、少しずつ蘇りつつあった。山猫の幻に導かれるように、時子と陽平は山の奥へ進んでいく。日が暮れた頃、崖上で陽平は時子に和茂の面影を重ねる。
二人を現実に引き戻したのは、山小屋が壊される音だった。山小屋に駆けつけた二人は、燃える炎のそばに正一を見つける。思わず詰め寄る陽平と時子に、正一は「もう忘れていい。忘れることを怖がっちゃダメだ」と言う。
二人は森の闇の中に、光る二つの眼を見る―。
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映画を見る前に知っておきたいこと
過去の幻と今
予告動画を見たとき、僕の頭は「この映画は青春モノだ」と判断した。若い男女が二人、喪失と再生、若さの芽の成長の物語なのだと。しかし、この映画のことを知っていくうちにそれが間違っていることに気付いた。
『過ぐる日のやまねこ』は忘れないことで喪失を手放せない主人公が、忘れることで再生していく姿を描こうとしていた。それはすでにいない人の面影であり、幻。
二人の主人公が抱く喪失は親しい人の死であるが、人を別つのは生と死だけではない。鶴岡慧子監督は、喪失をもっと大きな概念として捉えているように思える。
監督は、この物語における山猫は森の奥に存在しているであろう、幻の動物だと語る。『過ぐる日のやまねこ』。タイトル通り、この映画の大きなテーマは過去の幻との対峙だ。
鶴岡慧子監督
この人を紹介するメディアには「世界が注目する才能」というキャッチフレーズが目に留まる。
キャッチフレーズなどというものはいつも大げさなものであり、最初はそれほど気にも留めていなかった。しかし、公式サイトのインタビューを呼んでいるうちに、彼女が注目されるのはなんとなくだが分かる気がした。
見てもいないうちに才能を語るというのも失礼な話だが、それでも思ったことは、「この人はとても素直に映画を撮る人なんだなぁ」ということ。素直になるということは、何に対しても難しい。
公式サイトのインタビューで鶴岡慧子監督が「あれがしたかった、これが撮りたかった」と素直に語っているのを読んでいて、なんだかこっちまで楽しくなってきてしまった。
作品よりもまず人間としての魅力に惹かれてしまったのかもしれない。僕自身も「世界」の一部として、これからも鶴岡慧子に注目していきたい。
公式サイト/鶴岡慧子監督インタビュー
この映画みた!素晴らしいな!小津安次郎のような映画や。
この映画感動した(,,o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅,,)
一度は見た方がいいと思う(๑•̀ㅂ•́)و✧