映画を観る前に知っておきたいこと

【リトルプリンス 星の王子さまと私】正式に認められた「星の王子さま」のその後

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全世界で1億4500万部の発行部数を誇る誰もが知っているサン=テグジュペリの「星の王子さま」が初めてアニメーションで映画化される。出版から72年もの間、数多の映画関係者が映像化に挑んだが、あのディズニーですら実現できなかった。しかも本作が凄いのはそれだけではない。なんと「星の王子さま」のその後が描かれているのだ。しかもそれは、サン=テグジュペリの甥に当たるサン=テグジュペリ・エステート(権利管理者)が正式に許可したものだ。あれだけの名作に手を加えるのはあまりにも恐れ多いことだが、それによって「星の王子さま」を読んで育ってきた人たちはこの映画を無視できない。公開前からこれだけ賛否両論が想像できる作品も珍しい。

挑戦者とも言える本作の監督は、『カンフー・パンダ』のマーク・オズボーン。この映画で最も重要と思われる脚本を手掛けたのは、『恋におちたシェイクスピア』のイリーナ・ブリヌルと『ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!』のボブ・パーシケッティである。

  • 製作:2014年,フランス
  • 日本公開:2015年11月21日
  • 上映時間:107分
  • 原題:『The Little Prince』
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  • 上映方式:2D/3D
  • 原作:小説「星の王子さま」サン=テグジュペリ

予告

あらすじ

9歳の少女は、頭の良い進学校に入るために友だちも作らず毎日勉強ばかりしていた。母親も少女の将来の心配ばかりしていた。そして学区内に引っ越してきた少女の家の隣には、一人のおじいさんが住んでいた。そのおじいさんは望遠鏡で夜空を眺めたり、壊れた飛行機の修理をしたりする変わり者だった。リトルプリンス 星の王子さまと私ある日、少女はいつものように勉強していると、隣のおじいさんから紙飛行機が飛ばされて来る。中身が気になった少女は紙飛行機を開くと、そこには“小さな王子さまの物語”が書かれていた。物語の続きが気になった少女は隣のおじいさんを訪ねてみることに。するとおじいさんは少女に話の続きをしてくれた。それは、おじいさんが飛行士だったずっと昔に、不時着した砂漠で出会った不思議な少年の話だった。リトルプリンス 星の王子さまと私“小さな王子さまの物語”を聞いてくれることがうれしかったおじいさんと、母親に内緒でおじいさんと話をしに行く少女はすっかり友だちになっていた。リトルプリンス 星の王子さまと私しかしある日のこと、おじいさんが病気で倒れてしまう。おじいさんはもう一度王子様に会いたいとずっと願っていた。そのことを知っている少女はおじいさんのため、プロペラ機に乗って王子様を探す旅に出る!

映画を見る前に知っておきたいこと

サン=テグジュペリの運命的な最後

いつも映画のことを書く時、原作が100万部のベストセラーだとか、そんな話をするのだが、「星の王子さま」に至っては1億4500万部というあまりに次元の違う数字なので、他の原作と同じ枠では語れない。原作の中でも本当に大事なことは数字じゃ表せないと言っていたが、「星の王子さま」においてはこんな数字に大した意味はなく、世界中で愛された話だということに意味がある。270以上の言語に訳され、あらゆる国の子供から大人まで、誰からも愛されている。そこにあるのは「本当に大事なものは目に見えない」という、どんな人間の心にも届く普遍的なテーマだ。そしてそのテーマは、「星の王子さま」が生まれる前から僕たちの中にあったから世界中で愛されているのである。

そんな「星の王子さま」の原作者サン=テグジュペリの最後には、実に運命めいたものを感じる。フランス軍のパイロットであった彼は、その経歴を執筆に生かしていた。「星の王子さま」の主人公もパイロットである。そして1944年7月31日に飛行中、彼は地中海上空で行方不明になってしまう。これがサン=テグジュペリの最後なわけだが、「星の王子さま」の主人公とどうしても重なってしまうのは僕だけだろうか。彼はどこかに不時着した後、王子さまに出会ったのではないかと、つい考えてしまう。実際は近年になって、地中海のマルセイユ沖にあるリュウ島近くの海で彼が乗っていた飛行機の残骸が発見されたそうだが、それを知ってもなおそんなノスタルジックな想いに駆られてしまう。僕からすれば、最後が行方不明というのは出来過ぎた結末だった。

サン=テグジュペリ・エステートが公認したことが酷評に繋がる?

結局、僕も「星の王子さま」が好きなのだが、本作の最大の見所となるのが「星の王子さま」のその後を描いてしまったという部分だろう。公開前から賛否両論渦巻くことはもう目に見えている。それでもそこに挑戦することについては賞賛したいが、どんなにおもしろいストーリーであってもそれは「星の王子さま」ではないと感じてしまうだろう。どう考えても「星の王子さま」で描かれる「本当に大事なものは目に見えない」というテーマはあの物語で完結している。それ以上は蛇足でしかないだろう。ただ、映画ではまた別のテーマも描くのであれば蛇足ではなくなるはずだ。しかし、テーマが変わればそれは「星の王子さま」ではなくなってしまう。

このジレンマを生んでしまったキーマンは、現在「星の王子さま」の権利を管理しているサン=テグジュペリ・エステートだ。彼は作者のサン=テグジュペリの親族で、甥に当たる人物である。そんな彼が、「星の王子さま」のその後を映画で描くことを正式に認めてしまったことで、どうしても映画を「星の王子さま」として見なければならなくなった。確かに彼はこれ以上ない説得力ある立場で、映画の宣伝としては申し分ないだろう。だが、このことが本作の酷評に繋がるような気がしている。

僕としては、その後を描くのであれば、「星の王子さま」をモチーフにした作品という位置づけにしてほしかった。そうすればイメージを壊すこともなく、ファンとしてこんな「星の王子さま」もあるのかと単純に楽しめたと思う。サン=テグジュペリ・エステートには非公認としてほしかったというのが正直な気持ちだ。それなら映画がおもしろいかどうかだけで評価できたはずだ。

-アニメ映画, ファンタジー, 洋画

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