映画を観る前に知っておきたいこと

ルック・オブ・サイレンス 100万人の大虐殺。被害者の視点から見たドキュメンタリー

投稿日:2015年6月11日 更新日:

ルック・オブ・サイレンス

1960年代、インドネシアで100万人もの死者を出した大虐殺事件。その実行者達を撮影し、世界中で話題になった『アクト・オブ・キリング』。本作は『アクト・オブ・キリング』を撮ったジョスア・オッペンハイマー監督が、その事件を被害者の視点から見つめなおしたドキュメンタリーだ。

  • 製作2014:年,デンマーク・フィンランド・インドネシア・ノルウェー・イギリス合作
  • 日本公開:2015年7月4日
  • 上映時間:103分
  • 原題:『The Look of Silence』

予告

あらすじ

アディと母

事件の後、虐殺された兄の弟として生まれたアディ。事件から50年以上が経ち、年老いた彼の母は、今も事件の実行者たちが権力者として生活している村に暮らしていた。そのため、アディには事件について多くを語らず、亡き我が子への想いも胸の奥へ封じ込めていた。
ルック・オブ・サイレンス2003年、アディはジョシュア・オッペンハイマー監督の撮影した、実行者たちへのインタビュー映像を見て、彼らが兄を殺した様子を誇らしげに語る様に強い衝撃を受ける。「今も怯えながら暮らしている母のため、殺された兄のため、彼らに罪を認めさせたい。」
ルック・オブ・サイレンスそれ以来、アディはそう願い続けていた。2012年、アディは監督と再開し、自分が実行者たちのもとを訪れることを提案。実行者たちの多くは今も権力者として暮らしているため、それは非常に危険な行為だった。

実行者たちとの対峙

そこで、眼鏡技師として生計を立てているアディは、無料の視力検査というたてまえを使い、徐々に大虐殺の事件、その罪へ踏み込んでいく。だが、対峙した実行者たちの言葉から浮かび上がってきたのは”責任なき悪”のメカニズム。
ルック・オブ・サイレンスさらには、当事者である母ですらも知らなかった驚愕の真実が明らかにされてゆく―。

映画を見る前に知っておきたいこと

9月30日事件

1965年、インドネシアで起こったクーデター未遂事件。背景には、軍と党の権力闘争、初代大統領スカルノの経済政策の失敗による国内の混乱、外交上の孤立などがあったが、経緯についての詳細は未だに謎に包まれている。

事件後、大統領権限を移譲されたスハルトによる、スカルノの排除を狙ったカウンター・クーデター説。米国CIAや中国共産党の関与など、陰謀説が主張されてはいるが、どれも推測の域を出ない。スハルトは2008年1月27日に死亡している。死人に口なし、本人の口から真相を聞くことは不可能となった。

虐殺の対象となったのは、クーデターに関与していたとされた共産主義者。その数は50万人、最大累計では300万人とも言われ、今日まで正確な数は明らかになっていない。20世紀最大の虐殺と言われている。

この様に共産主義者を”物理的に”排除していく役割を直接担ったのは、集められた青年団、イスラム団体、ならず者集団であった。

アクト・オブ・キリング

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この20世紀最大の大量虐殺を扱った映画『アクト・オブ・キリング』はいわゆる問題作である。事件から50年以上が経った現在でも、インドネシア国内では9月30日事件を扱うことはタブーであり、被害者への取材は禁止されている。このことから、製作サイドは実行者側の民間人への取材を行い、殺害方法などを取りまとめた異色の問題作となった。

スカルノの第三夫人であったデヴィ・スカルノは、本作を「9月30日事件の真実を明らかにし、夫の汚名を削いでくれた」と高く評価した。『ルック・オブ・サイレンス』を見るなら『アクト・オブ・キリング』も見ておきたいところだ。

責任なき悪とは

悪とは何か。難しい問題である。悪を行う全ての人間は自分の正義を信じているし、正義の行いが誰かを深く傷つけることもある。さらに恐ろしいことに、大義のもとに殺人は行われうるのだ。『ルック・オブ・サイレンス』は”大義ある殺人”、つまり”責任なき悪”に真っ向から対峙していく。

自分の生活に当てはめて考えると、誰かを深く傷つけた時、自分自身に言い訳を探している自分を発見する。「僕は悪くない」そう思うことで加害者を探し、被害者になろうとする。傷口に触れないで済むもっともらしい言い訳を探し、真に対峙しなければならない問題を遠ざける。

そんな人の姿を、自分も含め我々は幾度と無く目にしてきたのではないだろうか。”殺人”というと自分には何の縁がない事のように感じる人も多いだろう。だがしかし、これが自分と同じ人間の所業であるということが、僕らをこの事件から無関係ではいさせない。

誰もが被害者に、誰もが加害者になりうるのだ。それこそ、問題に関わった人の心持ちひとつで簡単にそうなってしまう。そうなってしまっては、結果は泥沼。どちらも死すのみである。そのため、あらすじではあえて加害者と書かずに実行者たちと書いた。

と、これは僕の個人的な挟持なのだが、この映画はそんなものを簡単に霧散されてくれそうで、まったくもって恐ろしい限りである。

-ドキュメンタリー, 洋画

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