映画を観る前に知っておきたいこと

ザ・トライブ 世界中の映画祭が推す新世代の傑作

投稿日:2015年3月29日 更新日:

ザ・トライブ

この映画は登場人物すべてが聾唖者であり、全編が手話によって構成されているため、台詞や音楽は一切なく、字幕も吹き替えすらも存在しない。驚異の問題作でありながら、2014年カンヌ国際映画祭をはじめ各国の映画祭で30以上の賞を受賞している。批評家たちが無視できないこの映画はウクライナの新鋭監督ミロスラヴ・スラボシュピツキーの長篇デビュー作である。

ピュアで、過激で、パワフルな純愛の暴走を、登場人物の背景や心理的な説明を全て排した状態で描く。観客は想像力をフル回転させてスクリーンと向き合う、という初めての映画体験に身を委ねることになる。そしていつしか彼らの会話を理解している事に気付く。

*聾唖とは耳が不自由、もしくはまったく聞こえないこと

  • 製作:2014年,ウクライナ
  • 日本公開:2015年4月18日
  • 原題:『Plemya』
  • 上映時間:132分
  • 映倫区分:R18+

予告

あらすじ

転校生セルゲイは全寮制の聾唖者学校に入るが、そこは犯罪や売春などを行う悪の組織=族(トライブ)が暴力によって支配する世界だった。そこに形成されたヒエラルキー(階級制)の中で、セルゲイは実力でのし上がっていく。組織の中で次第に頭角を現すセルゲイは、やがてリーダーの愛人であるアナに愛情を抱いてゆく。しかし、イタリア行きのために売春でお金を貯めているアナは愛なんか信じていなかった。愛を欲望するセルゲイは組織のタブーを破ったことで破滅的な事態に突き進んでいくことになる。

映画を見る前に知っておきたいこと

これは台詞があるサイレント映画だ

ミロスラヴ・スラボシュピツキー監督はこの映画をサイレント映画へのオマージュと語っているが、これがただのオマージュ作品ではないことは監督自身が最も意図していることだと思う。2011年にアカデミー賞などで高い評価を得た『アーティスト』もサイレント映画のオマージュ作品だが、こちらはいかにもサイレント映画らしいものを現代に蘇らせたもので、古き良き時代を感じさせるものだった。それに対し『ザ・トライブ』はあまりに斬新過ぎる。世界の批評家たちを驚かせたその斬新さとは何なのかを、通常のサイレント映画とどう違うのかという点から考えてみたい。

まず通常のサイレント映画では台詞がないのは当たり前だが、『ザ・トライブ』では手話という視覚言語が存在している。これは台詞があるのと同じことのようにも思える。サイレント映画なのに台詞がある。聾唖の俳優たちにとって、サイレント映画用の演技という区別はなく、それは日常と同じなのだ。そこにサイレント映画とは思えないほどのリアリティが生まれる。

本来、サイレント映画でリアリティを追求することはあまりに難しい。しかし『ザ・トライブ』は音が無くなるほどにリアリティを増す。ミロスラヴ・スラボシュピツキー監督がサイレント映画のオマージュ作品であると語る一方で、この作品は必然的にサイレント映画になったように錯覚してしまう。サイレント映画を撮ろうとしたのではなく、聾唖をテーマに選んだ時点で必然的にサイレント映画になってしまったような・・・

監督・キャスト

監督・ミロスラヴ・スラボシュピツキー

ミロスラヴ・スラボシュピツキー1974年ウクライナの首都キエフに生まれた。ウクライナで最大の撮影所の一つであるドヴジェンコ・フィルム・スタジオと、ロシアの名門レン・スタジオに勤務していた。2作目の短編映画『Diagnosis』で10代の少年少女を主人公にし、3作目の短編映画『Deafness』では 聾唖者のための学校を舞台に台詞のない映画に挑戦している。これらの作品が初の長編となる『ザ・トライブ』に繋がってゆく。

そして本作は2014年カンヌ国際映画祭で国際批評家週間グランプリ含む3賞受賞した。国際批評家週間とは、カンヌ国際映画祭のメインとなるコンペティション部門とは別の独立した部門であり、新しい才能を紹介することが多い。これはミロスラヴ・スラボシュピツキー監督がデビュー作にしてカンヌ国際映画祭で批評家達から驚くべき新鋭と評されたことになる。

ヤナ・ノヴィコヴァ:(アナ)

ヤナ・ノヴィコヴァ1993年ベラルーシの小さな町ホメリに程近い村落に生まれる。生後2週目で病気のため聴力を失う。彼女の妹もまた幼い頃に聴力を失っている。ヤナは映画が大好きで幼い頃から演じることを夢見ていた。キエフ・シアター・アカデミーの劇団レインボーで聾唖の役者の募集があることを知り、オーディションのためにキエフに訪れた。レインボーへ入団することは叶わなかったが、そこでミロスラヴ・シュラボツピツキー監督の目にとまった。

撮影期間中、彼女は仕事の妨げとなり得るものはすべて捨てた。恋人と別れ、厳しい食事制限で体重を落とし、尋常でない程ジムで体を鍛え上げ、残りの自由時間は監督に勧められた映画を見て過ごした。耳が不自由なハンデを負った彼女は演技に通常以上の情熱を持っている。

グレゴリー・フェセンコ:(セルゲイ)

グレゴリー・フェセンコ1994年キエフ生まれ。2014年に聴覚障害児のための学校を卒業。彼の好きなことは列車に乗り込み車両と車両の間に座ること、友人たちと街を練り歩くこと、バーで酒を飲むこと。インスピレーションがわくと、ときどき詩を書く。将来の展望を持たない彼は、まだ役者というよりは普通の不良少年だ。撮影期間中、彼はストリートの不良仲間たちとは引き離され、アルコールの摂取と抗議デモへの参加は厳しく禁じられた。しかしそれらの禁止令は再三にわたり破られた。

ミロスラヴ・シュラボツピツキー監督はキャスティングを進める上で「完成された人物を探すのではなく、カリスマ性があり、人の注意を引きつける魅力のある人物を探すことだった。」と語っているが、これは彼に対して言った言葉のように思う。本作は声の出るプロの俳優たちではなく、全員彼のような聾唖の俳優たちが使われている。

-ラブストーリー, 洋画

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