映画を観る前に知っておきたいこと

【トランボ ハリウッドに最も嫌われた男】“赤狩り”によってハリウッドを追われた天才脚本家

投稿日:2016年6月10日 更新日:

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

『ローマの休日』(53)を生み出した脚本家ダルトン・トランボ。彼は1940年代〜1950年代に掛けて行われた“赤狩り”によってハリウッドを追われることとなった。それでも生涯を映画人として生きた彼の真実の物語りがここにある。

自身の信念を貫き通したトランボを見事に演じたブライアン・クランストンは、本作でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされている。

型破りでユーモラスなトランボの生き様を通じて、言論や思想の自由という現代に通じるテーマを観客に投げかける。

  • 製作:2015年,アメリカ
  • 日本公開:2016年7月22日
  • 上映時間:124分
  • 原題:『Trumbo』

予告

あらすじ

1940年代〜1950年代、第二次世界大戦後のアメリカ。政府は共産主義排斥活動“赤狩り”に力を入れ始めた。その理不尽な弾圧はハリウッドにも飛び火し、アメリカ共産党の党員だった脚本家ダルトン・トランボもその標的とされてしまう。彼は1940年『恋愛手帖』でアカデミー脚色賞にノミネートされ、脚光を浴び始めた矢先のことだった……トランボ ハリウッドに最も嫌われた男非米活動委員会の公聴会に呼び出されたトランボは言論の自由を盾に、自身が共産主義者であるかどうかという証言を拒否するのだった。その結果、議会侮辱罪で投獄されてしまう。トランボ ハリウッドに最も嫌われた男出所後、最愛の家族の元に戻ったトランボだったが、ハリウッドでは「アメリカの理想を守る映画連盟」が設立され“赤狩り”に協力的な姿勢を示していた。もはやキャリアを絶たれた彼には仕事がなかった。トランボ ハリウッドに最も嫌われた男しかし、友人にこっそり脚本を託した「ローマの休日」に続き、偽名で書いた別の作品でもアカデミー賞に輝いたトランボは、映画界で再起への道を力強く歩み出す。

映画を見る前に知っておきたいこと

“赤狩り”について

本作の重要な時代背景となっている“赤狩り”について簡単に説明しておく。

この“赤狩り”はハリウッドに暗い影を落としたことで、現在でもしばしば映画のテーマとして扱われる。

第二次世界大戦後、資本主義国家であるアメリカは共産主義国家だったソ連と世界を二分した冷戦へと突入する。これによりアメリカ国内では共産主義者とその支持者はソ連のスパイと言われ避難されることとなる。

引き金となったのは、中国大陸における共産主義政権の樹立、1948年から1949年にかけてのベルリン封鎖、1950年から1953年の朝鮮戦争におけるソ連や中国の圧力である。

世界の共産主義勢力の拡大により生まれた緊張に対して、“赤狩り”は加熱してゆく。

アメリカと友好的な西側諸国(ヨーロッパの資本主義国)でも“赤狩り”は行われた。

しかし1954年、“赤狩り”を強く推進していた上院議員ジョセフ・マッカーシーの違法なやり方がアメリカ国内のドキュメンタリー番組で取り上げられたことにより、世論でも批判の声が高まり“赤狩り”は終焉を迎えている。

アメリカ国内だけではなく世界で行われた“赤狩り”だが、それを象徴する出来事としてしばしばハリウッドがフォーカスされる。

上院議員ジョセフ・マッカーシーがハリウッドを中心とするショウビジネス界で共産党と関係のある人物のハリウッド・ブラックリストを作り、中でも“赤狩り”の餌食となり有罪判決を受けた監督、脚本家、俳優10人を指して俗にハリウッド・テンと呼ぶ。

もちろんその中にはダルトン・トランボの名前もある。世間に影響力の強いハリウッドスターも巻き込んだこの一連の事件は“赤狩り”の中でも特に有名なのだ。

ーハリウッド・テンと呼ばれる10人ー
アルヴァ・ベッシー (脚本家)
ハーバート・ビーバーマン (映画監督・脚本家)
レスター・コール (脚本家)
エドワード・ドミトリク (映画監督)
リング・ラードナー・ジュニア (ジャーナリスト・脚本家)
ジョン・ハワード・ローソン (作家・脚本家)
アルバート・マルツ (作家・脚本家)
サミュエル・オーニッツ (脚本家)
エイドリアン・スコット (脚本家・プロデューサー)
ダルトン・トランボ (脚本家・映画監督)

“赤狩り”がトランボを有名にしてしまった

「ハリウッドに最も嫌われた男」という邦題で思い出したが、去年『ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』という映画が公開されていた。

ロバート・アルトマンはシステムに頼らず、ジャンルを壊し、タブーを恐れず、撮影・録音方法に革命を起こし、自由に映画を撮り続けたことがハリウッドとは相容れない存在となってしまった“ア­メリカ・インディペンデント映画の父”と呼ばれる人物だ。

彼の場合は映画人としてその評価によってハリウッドに最も嫌われた男となったが、一方のトランボは映画とは関係ない部分でハリウッドに最も嫌われた男となっている。

正直、「ハリウッドに最も嫌われた男」という邦題には違和感を覚える。彼が受けたのは酷評ではなく迫害であるからだ。

しかし、その悲劇がトランボという名をより有名にしてしまっているのも事実だ。

『ローマの休日』や、スタンリー・キューブリックがが監督した『スパルタカス』(60)などの名作の脚本を手掛けながらもその名前が表に出ることはなく、結局『ローマの休日』でアカデミー賞を受賞したのも彼の死後1995年のことだった。(スティーブ・マックイーン主演の『パピヨン』(73)は実名復帰した後の作品)

言っても脚本家の名前なんて、一般的には殆ど知られないものだ。そんな中、ダルトン・トランボの名前を知る人は多い。

皮肉にも“赤狩り”がトランボをハリウッドで最も有名な脚本家の一人にしてしまったのだ。

あの時代に、彼の半生が映画化されるなんて誰にも予想できなかったのかと思うと笑ってしまう。しかもそれが、言論や思想の自由、差別問題、歴史などを知る格好の題材なのだから尚更だ。

-7月公開, 伝記, 洋画
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