映画を観る前に知っておきたいこと

別離
解説/父と娘の別離

投稿日:2017年6月18日 更新日:

別離

はじまりは、愛するものを守るための些細な“嘘”だった ──

 離婚の危機を迎える夫婦、繋ぎとめようとする娘。そして、彼らの問題に巻き込まれていくもう一つの家族。それぞれが抱える秘密が複雑に絡み合い、2組の家族の運命を翻弄する。

 『セールスマン』(16)で二度目となるアカデミー外国語映画賞を受賞したイランの名匠アスガー・ファルハディが、初めて同賞を獲得した濃密な人間ドラマ。イラン社会独自の因習を絡ませながら、単なる善悪では割り切れない人間心理をサスペンスフルに描き出す。

 主人公夫婦を演じるのは共にイランの俳優ペイマン・モアディとレイラ・ハタミ。娘のテルメーにはファルハディの実娘サリナ・ファルハディ。2011年ベルリン国際映画祭では男優、女優陣に対して銀熊賞(男優賞・女優賞)が授与され、金熊賞(作品賞)と合わせての三冠は史上初の快挙となった。


予告

あらすじ

 テヘランに暮らす結婚14年目の夫婦、ナデル(ペイマン・モアディ)とシミン(レイラ・ハタミ)は離婚について話し合うため家庭裁判所にいた。11歳の娘テルメー(サリナ・ファルハディ)の将来を案じた妻シミンは国外移住を望み、夫ナデルは認知症を患う父を理由にそれを拒否した。お互いが譲らなかったため協議はそのまま物別れに終わったが、これをきっかけにシミンは実家で過ごすことを決めた。ナデルはやむなく父の介護のためラジエー(サレー・バヤト)という女性を雇うことに。

別離

© 2009 Asghar Farhadi

 しかし、介護初日にナデルの父が失禁した姿を目にしたラジエーは激しく動揺してしまう。敬虔なイスラム教徒である彼女は、ナデルの父の体を洗うことに罪の意識を感じていたのだ。そんなある日、ナデルとテルメーが帰宅すると、そこにラジエーの姿はなく、徘徊癖のある父はベッドに手を縛りつけられたまま床に倒れていた。ラジエーは程なくして戻ってくるが、頭に血が上ったナデルは事情も聞かず、彼女を手荒く追い出すのだった。

別離

© 2009 Asghar Farhadi

 その晩、ラジエーが入院したことを知ったナデルは妻と共に病院へと向い、そこで彼女が流産したことを聞かされる。これにより、ナデルは19週目の胎児を殺した殺人罪で告訴されてしまう。一方、ナデルもラジエーが父に行った行為に対して彼女を訴える。たった一つの真実を巡り二人の証言が食い違う裁判は、次第に多くの人々を巻き込んでいき……


解説

 合理性を重んじる法の庭においても度々口にされる神の名。厳格なイスラムの教えが根づくイラン社会では、神罰を畏れる敬虔なムスリムほど偽証をためらい、判事や弁護士よりもコーランが嘘を暴く。このイラン独自の法廷サスペンスを“探偵がいない探偵映画”だと語るのは監督のアスガー・ファルハディ。その驚くほど巧妙に練られた脚本はイラン政府の厳しい検閲をかわすためか。事実、この映画はミステリーの形式を借りた彼の社会批判が秀逸である。

 日本と同じように高齢化が進むイランでは、介護は家族の役割と考えられているため、高齢者用の介護施設が非常に少ないという。そして、親族ではない男性の身体に直接触れることを罪とするイスラムの教えが、女性の訪問介護すら困難な社会にしている。こうした社会の変化と伝統的な価値観の摩擦が主人公夫婦にも投写される。

 イランの中産階級に属するナデルの家庭。経済的にはある程度の余裕に恵まれているものの、認知症を患う父の介護は家族の情景に暗い影を落とす。銀行員として働きながら父の面倒を見るナデルは、献身的な介護の隙間に逃げ場のない苦悩を滲ませる。一方、欧米文化に感化された妻シミンは国外に自由な暮らしを求めた。現代イランにおける対照的な2つの価値観の衝突。その結末として描かれた夫婦の別離がイラン社会の病巣を鋭くえぐる。

 そして、敢えて観る者の想像力に委ねたもう一つの別離によって、ファルハデは社会批判を超えて僕たちの普遍的な感情を呼び起こす。やむを得ない選択の連続によって紡がれた物語の最後に、娘のテルメーに突きつけられた残酷な選択。それは母と娘の別離か、父と娘の別離か。極上のミステリーの裏側では、さらに複雑に人間の業がうごめく。

父と娘の別離

別離

© 2009 Asghar Farhadi

 この映画にある最初の嘘は、家庭裁判所で夫婦が言い争う幕開けのシーン。国外移住を望んだ妻シミンが、それを娘の将来のためだと言ったことだ。家族が祖父を置いて国外へ移ることが娘の教育上まっとうだとは到底思えない。彼女が自由を切望するのは、イランの因習や義父の介護問題から逃れたい自らのためのように見える。

 物語の中に散りばめられた幾つもの嘘は、嘘そのものよりも、その動機の部分にこそ重みが与えられる。父のため、娘のため、夫のため、家族を想うが故に半ば無自覚に発せられるそれぞれの嘘の動機。ファルハディは、敢えてその中に“自分のため”という利己的な動機を潜ませることで、悪意なき人間の狡猾さを浮かび上がらせる。

 19週目の胎児の命を奪った不運な事故。やがてそれはナデルの過失を巡り、イランの格差社会を象徴する2組の家族が争う裁判にまで発展する。争点はナデルがラジエーの妊娠を知っていたかどうかに絞られる中、ナデルは妊娠を知らなかったと主張。しかし、物語が進むにつれそれが偽証だったことが明らかになる。

 ナデルの偽証を最初に確信したのは娘のテルメーだった。真実を迫る娘の姿にナデルは自分の嘘を認めるが、結局彼が証言を覆すことはなかった。周囲の目を気にするイランの伝統的な価値観がナデルに自らの名誉を優先させる。しかし、その選択が我が娘まで証言台に立たせる結果に。父としてナデルが守ろうとしたものは何だったのか。真実を語ると誓ったテルメーとの約束を反故にした時、彼は“娘のため”という偽証を正当化する唯一の動機さえも失ってしまう。

 人は時として嘘をつく後ろめたさから、最もらしい理由で自分すらも納得させようとするものだ。気づかない振りか、あるいは本当に気づいていないのか。誰もが身につまされる嘘が心に痛い。家族の想い、そして失われた命の重さを顧みることなく勝ち取った自らの名誉。父に真実を語ることを求めた娘の真っ直ぐな眼差しが、何よりも父と娘の別離を思わせる。

あとがき

 映画の余韻が長く尾を引く一方で、観る者の中にはある疑問が残されたままだ。ラジエーに支払われるはずの消えた日当の行方である。実は映画の前半の何気ない描写の中にその答えが隠されている。シミンが自宅に戻る階段で、家具を運び出す業者と鉢合わせた時のやり取りを思い出して欲しい。「2階と聞いていたのに実際は3階だ」という業者のクレームに、彼女は不足分の料金を払うことを約束し、部屋の引き出しにあった金をその支払いに当てている。

 何のことはない、消えた日当の行方はこうもはっきりと描かれている。だが、ファルハディによって植え付けられた“盗まれた”という思い込みが、目の前にある真実から観る者の視線を巧みに逸らさせる。ラジエーの心やソマイェの鞄の中をいくら覗き込んでも、彼女たちの潔白が証明される以上の何かは出てこないわけだ。人間の悪意を一切描かず、犯人さえいない中で、これほど観る者の緊張感を引き出す映画を僕は他に知らない。

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