映画を観る前に知っておきたいこと

【徘徊 ママリン87歳の夏】認知症が怖くなくなった

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徘徊 ママリン87歳の夏

前代未聞!認知症の母とその娘、そして周囲の人々の姿を描いたドキュメンタリー。今や65歳以上の4人に1人が発症あるいは予備軍であると言われている認知症。そんな認知症と共に暮らすこと。老いとは。人間とは。そんな誰にでも起こること、起こりえることをテーマにした作品。不条理な現実をユーモアでしのぐ、その姿に勇気がもらえる。テーマとは裏腹に“笑える”という感想が多かったのも、この作品の特徴だ。

監督は、セクシャル・マイノリティを真正面から捉えたドキュメンタリー『ITECHO 凍蝶圖鑑』や大阪市西成区が取り組む新しい試みを追い第81回キネマ旬報ベスト・テン文化映画第3位になった『未来世紀ニシナリ』など、関西を拠点に数々のドキュメンタリーを手がける田中幸夫。


  • 製作:2015年,日本
  • 日本公開:2015年9月26日
  • 上映時間:77分

予告

あらすじ

大阪市北浜。自宅のあるマンションでギャラリーを営む酒井章子は、認知症の症状が進んだ母・酒井アサヨと6年前から同居を始めた。母・アサヨは夫を亡くしたあと、奈良で一人暮らしをしていたが、認知症となり、ご近所からも苦情が来るようになったので、娘の章子が自宅に連れて帰った。徘徊 ママリン87歳の夏昼夜の別なく徘徊する母を見守るの娘の姿は、近所の誰もが知っている。過去4年間でアサヨは1388回家出し、徘徊時間は1730時間、徘徊距離は1844km(大阪東京3往復分)、おせわになった交番・警察者は31カ所。しかし章子はアサヨを閉じ込めたり隠したりせず、落ち着いているときは母娘一緒に居酒屋やバーに出向くことも。徘徊 ママリン87歳の夏

「老いには勝てぬで、徘徊もショートになってきましたが・・・」

二人のやり取りは時折漫才のようであり、過酷な現実をユーモアでしのぎながら母を見守る章子を通し、認知症や老いに向き合っていく。
徘徊 ママリン87歳の夏母:酒井アサヨ(87歳)
昭和2年、福岡県門司市生まれ。
女学校を卒業後、大阪の町医院に住み込み看護婦免許を取得。 30代で恋愛結婚し、昭和44年から奈良在住。平成10年に夫が他界後は一人暮らし。平成18年に主治医より認知症と診断され、長女・章子が週2~3回実家に通うが、症状が進行。近所からの苦情もあり、 平成20年から章子と大阪市北浜で同居を始める。

徘徊 ママリン87歳の夏娘:酒井章子(55歳)
昭和34年、大阪市生まれ。大阪芸術大学入学を機に家出。情報誌の編集を経て昭和63年に独立、編集プロダクションを主宰。平成13年に北浜に移転し自宅の上階にギャラリー(10w gallery)を併設。6年前よりママリンがやってきて、現在に至る。


映画を見る前に知っておきたいこと

不条理な現実に立ち向かうための最大の武器

こんなドキュメンタリー映画があるんだ。僕がこの映画を知った時の最初の感想だ。幸い僕の母親は認知症ではない。だが、いつそうなってもおかしくないとは、心のどこかで覚悟している。だからこの作品はすべての人に勇気を与えると思う。ましてや同じ境遇の人には、なおさら励ましになるだろう。

べつにこの映画を見て勇気をもらえとか、現実を前向きに捉えろとか言うつもりはない。ただ、そんな境遇に立たされた時、人間の視野はどうしようもなく狭くなる。介護に疲れて、それが事件に繋がってしまうことも高齢化社会が抱える問題だ。映画が実際に社会問題を解決してくれることはないが、人間の心の持ちようは変えてくれる。

この作品は、人生にユーモアが必要なことを教えてくれる。それは本当につたない武器だが、不条理な現実に立ち向かうための最大の武器でもある。視界が開ければ、人はユーモアを手にすることができるはずだ。

僕の好きな社会派監督ケン・ローチも、リアリティの追求と同時にこのユーモアを重要視する。それはありのままの現実を切り取るだけでは、救いがないことをわかっているからだ。本作で、「本当の決断とは、状況そのものを引き受けること」と言っていたが、僕たちはその状況の中に、常にユーモアを忍ばせるのだ。

劇中で、母と会話をしながら娘の章子がタバコを吸っているシーンがある。僕はその絵を見た時、ごく自然な日常の風景のように感じた。章子にとっての日常は不条理な現実なのは間違いないはずなのに、悲観させないユーモアがそこにはあった。不条理な現実とユーモアを日常に同居させているのだ。

この映画の感想の中に、「認知症が怖くなくなった」というのがあった。これはこの作品の成功を凝縮した一言だと感じた。観客がそう感じたのは、制作者側からすればこれ以上ない評価であると同時に、撮った意味のある作品だったと思えるはずだ。しかし、この感想のいいところはそれだけではない。きっと章子と母・アサヨにも勇気として還元されただろうということだ。こんな生産的で意味のある映画はなかなかない。

-ドキュメンタリー, 邦画

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