児童文学者、大川悦生(98年没)著「おかあさんの木」の映画化。原作は小学校の教科書に採用され、戦争で7人の息子が次々と戦地に赴く中、その度に桐の木を植えて無事を祈った母を通じて、戦争の悲劇を訴え続けてきた。
それはある場所で起こった特別な物語ではなく、日本全土で同じ想いをした人がたくさん居たことだろう。今もう一度「おかえり」「ただいま」と言えるありがたみを、映画にして訴える。
Contents
- 1 予告
- 2
あらすじ
- 2.1 ミツと6人の子どもたち
- 2.2 ミツと桐の木
- 2.3 終戦
- 3 映画を見る前に知っておきたいこと
予告
あらすじ
現代―。
老人ホームに2人の役所の職員が訪れる。土地の整備事業のため、7本の古い桐の木の伐採許可を取るためだ。彼らを迎えた老婆・サユリは、時折朦朧とする意識の中で静かにつぶやく。
「あの木を切ってはならん・・・。あれは・・・おかあさんの木じゃ・・・。」
そう言って彼女は、戦時中の悲劇の物語を語り始めた―。
「あの木を切ってはいかん・・・あれは、おかあさんの木じゃ・・・。」
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映画を見る前に知っておきたいこと
戦争と教育
小学校初頭から中学校まで、先に起こった大戦争に関わる教育を受けたことは覚えている。特に僕は幼少時代を広島で過ごしたので、原爆にまつわる色んな話を、幼い頃から聞かされてきた。結果、「戦争は悪いことだ」という漠然とした価値観だけが底に残った。
だが、冷静に自分の心を内省してみると、そんなものも時が立つに連れて淡く色褪せてしまったように思う。大人になってみると、戦争の悲劇の側面を語るメディアは驚くほど少ない。近年、イスラム国が起こした事件に対するメディアのリアクションを見ていて特にそう感じる。悲劇は、戦争の一つの側面でしかないのだと。
そして事実、悲劇だけを捉えていても戦争は止まらない。国家間の主義主張の違い、民族の価値観の違い、様々な要因があるが、それをここで語るのはナンセンスな気がするので割愛する。それでも思うのは『良い、悪い』で人を、物事を判断するのは相当に危険だということ。それはある種の思考停止に他ならない。
戦争とは何か?
戦争は確かにたくさんの悲劇を生んだ。それを体験として知る世代がいなくなることを憂う声もある。しかし、戦争を体験していない世代だからこそ、悲しみに囚われず考えられる余地があると思う。
「おかあさんの木」は戦争の悲劇を描いた作品だ。これを見て「平和な日常はありがたいな」で終わるのはあまりにも勿体無く思う。戦争をしなければならなかった理由、戦争で失ったもの、戦争で得たもの、裏側には想像も出来ない事実がたくさんあるだろう。戦争を擁護する気はもちろんない。だが、桐の木に込められた想いや願いを心の中に大切にしまいながらも、僕らは戦争とはなにか?ということを改めて、俯瞰して考えてみる必要があるのではないかと思う。