映画を観る前に知っておきたいこと

50年後のボクたちは
かつて14歳だった全ての僕たちへ

投稿日:2017年8月27日 更新日:

50年後のボクたちは

未来なんて、クソくらえ

 臆病でクラスに馴染めない14歳のマイク。そんな彼の隣の席にやってきた、見るからにヤバそうな転校生チック。はみ出し者同士、二人はオンボロの“ラーダ・ニーヴァ(70年代後半にヨーロッパで人気を博したロシアのオフロード車)”に乗って南へと走り出した。かつて14歳だった全ての大人たちにとって、ノスタルジックなひと夏の冒険がここにある。

 映画の原作となったのは、今は亡きドイツ人作家ヴォルフガング・ヘルンドルフによる児童文学『14歳、ぼくらの疾走』。ドイツ国内で220万部以上を売り上げ、26ヶ国で翻訳されるなど世界中で親しまれてきた。そんな大ベストセラー小説を実写映画化したのは、これまで世界三大映画祭の全てで主要賞を獲得してきた名匠ファティ・アキン。美しい映像とエモーショナルな音楽によって生まれ変わった原作の世界は、新たな青春ロードムービーの傑作となって、この夏の終わりに日本へ届けられる。

 主人公マイクを演じたのはドイツ映画界期待の新鋭トリスタン・ゲーベル。そして、これがスクリーンデビューながら無鉄砲かつ繊細なチックの役柄を見事に演じ切ったアナンド・バトビレグ・チョローンバータル。二人の瑞々しい演技が、この作品に14歳の等身大の感情がもたらした。


予告

あらすじ

 14歳のマイク(トリスタン・ゲーベル)はクラスのマドンナ、タチアナの誕生日のことで頭が一杯だった。しかし、クラスメイトから変人扱いされる彼の元にパーティーの招待状が届く気配はない。家に帰っても、アル中の母親と若い愛人に入れ込む父親が待つ憂鬱な毎日。そんなある日、彼の隣の席にロシアからの転校生チック(アナンド・バトビレグ・チョローンバータル)がやってくる。初日からアルコール臭をプンプン漂わせる見るからにヤバそうな奴だ。

50年後のボクたちは

© 2016 Lago Film GmbH. Studiocanal Film GmbH

 やがて夏休みに入り、迎えたタチアナの誕生日。母親は断酒の専門病院で療養中、父親は200ユーロを置いて愛人と出張旅行。家で一人やきもきと過ごすマイクの前に、突然オンボロのオフロード車ラーダに乗ったチックが現れる。車は借りただけだと言い張るチックは、嫌がるマイクを無理やりタチアナの誕生日パーティーに連れ出した。チックに背中を押されたマイクは、意を決してタチアナにプレゼントを渡す。颯爽とパーティー会場を後にした二人は俄然勢いづき、そのまま旅に出ることを決めた。

50年後のボクたちは

© 2016 Lago Film GmbH. Studiocanal Film GmbH

 目的地はチックの祖父が暮らすという遥か南の地“ワラキア”。昼間はラーダでトウモロコシ畑を爆走し、夜には満天の星空が見える風力発電機の下で語り合った。やがて残り少なくなった燃料に旅の終着が二人の頭をよぎる。いや、この旅はまだ終わらせない! ゴミ山の中からガソリンを盗むためのホースを探し始める二人。すると、そんな彼らを汚い言葉で罵る女の声がゴミ山に響き渡った。伸び放題の髪にボロボロの洋服、おまけに悪臭まで放つ少女イザ(メルセデス・ミュラー)との出会いだった……


映画を観る前に知っておきたいこと

 2013年に48歳で早世したドイツ人作家ヴォルフガング・ヘルンドルフ。脳腫瘍が発見された直後の2010年春に、彼は元々短編として書いていた『14歳、ぼくらの疾走』の加筆を決めたという。死を間近に見据えたヘルンドルフが向き合った14歳という年齢。それは多くの人にとっても、きっと特別で、そしてかけがえのない季節だったのではないだろうか。そんなヘルンドルフが命の最期に紡いだ青春小説に惚れ込み、映画化してみせた名匠ファティ・アキン。彼の深い理解と愛情を感じさせる演出に彩られ、原作の世界はスクリーンの中で新たな輝きを放つ。

 心を無防備にした満天の星空も、はしゃいで飛び込んだ貯水池も、少女と出会ったゴミ山さえも、全ての風景が輝いて見えるアキンの映像。それはまるで、14歳の少年の目で眺めているかのように美しい。さらにアキンは多彩なジャンルの音楽を用いて物語を彩っていく。印象的なフィルム・スコアと世代を超えた新旧様々なアーティストの楽曲、その自由な選曲はどれも不思議と物語によく馴染む。中でもカーステレオから流れ出すリチャード・クレイダーマンの「渚のアデリーヌ」は、アキンがこの映画でみせた最高の演出の一つだ。

 70年代後半、作家ヘルンドルフが少年時代を過ごした西ドイツで大ヒットした「渚のアデリーヌ」。このバラードは現代を生きるマイクたちの心を優しく包み込むと同時に、ヘルンドルフの少年時代にまで思いを馳せたアキンの優しさを感じることで、さらに切なく響き始める。ヘルンドルフがマイクとチックに自分自身を重ね合わせながら『14歳、ぼくらの疾走』を書き上げたように、アキンもまたスクリーンの中にヘルンドルフの原風景とも言うべき世界を映し出そうとしたのではないだろうか。

永遠に失われた少女の物語

50年後のボクたちは

© 2016 Lago Film GmbH. Studiocanal Film GmbH

 この映画は物々しい事故現場で、血まみれのマイクがチックの名前を叫ぶところから始まる。マイク自身の回想と独白によって、あらかじめ悲惨な結末を迎えることが告げられた少年たちの旅。遥か南に実在するはずの“ワラキア”の地は、14歳の少年にはあまりにも遠いゴールだった。しかし、本当に大切なものはゴールより先にやってくる。いつしかマイクの中で心の旅に変わっていたひと夏の冒険。そこに孤独を抱えた14歳同士が出会った奇跡に勝る収穫はない。

 物語の中にはチックとの出会いの他に、もう一つ特別な出会いが描かれている。映画の真のヒロインとも言うべき少女イザだ。腹違いの姉が住むプラハを目指しているということ以外は一切語られない彼女。どんな痛みを抱えて、どこからやってきたのか。大事そうに抱えた木箱や意味深な寝言から、少女の孤独だけがそこはかとなく伝えられる。マイクが出会ったばかりのイザのことを知らないように、映画は少女についてあまりにも言葉足らずな物語を紡いでいく。

 実はヘルンドルフには、イザを主人公にした未完の小説がある。映画の中で明かされることのないイザの痛みが綴られたその物語は、彼の死によって永遠に失われてしまった。しかしそれは、劇中でイザの痛みを知ることができなかったマイクと同じ寂しさを僕たちにもたらしてくれる。それでも僕たちに悲しさはない。やがて夏が終わり、いつかはイザとの出会いも思い出に変わってしまうことを大人たちはもう知っているのだから。永遠に失われた少女の物語が、何よりも14歳という季節の短さを告げている。

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