映画を観る前に知っておきたいこと

【ヴィオレット−ある作家の肖像−】文学界のゴッホと言われた女流作家

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ヴィオレット−ある作家の肖像−

この映画はタイトルの通り、知る人ぞ知るある作家の半生を描いたものである。1940年代のパリで活躍した女流作家ヴィオレット・ルデュックは女性の生と性を赤裸々に綴り、当時のフランス社会に衝撃を与えた。しかし、それが受け入れられたわけではなく、彼女の心は次第に病んでいった。本国・フランスでも一時期は忘れられた作家であったが、本作の公開もあって時代を変えた作家として再評価され始めた。

ヴィオレットを演じるのはセザール賞女優であるエマニュエル・ドゥヴォス。実在のヴィオレットに似せるために「付け鼻」をつけての演技が印象的だ。そしてヴィオレットの友人・ボーヴォワール役には、同じセザール賞女優のサンドリーヌ・キベルラン。

『セラフィーヌの庭』(2008)でフランスの女流画家であるセラフィーヌ・ルイの半生を描き、フランスアカデミー賞であるセザール賞最優秀作品賞をはじめ、脚本賞・撮影賞・女優賞など7部門を獲得したマルタン・プロボスト監督が、今度は女流作家の深い内面と葛藤を映し出す。


  • 製作:2013年,フランス・ベルギー合作
  • 日本公開:2015年12月19日
  • 上映時間:139分
  • 原題:『Violette』
  • 映倫区分:PG12

予告

あらすじ

1907年、ヴィオレット・ルデュックは婚姻関係にない両親の間に生まれた私生児であった。彼女はそのことが原因で、母親に愛されていないと強く感じるようになってしまう。やがてヴィオレットは、その想いを小説に書き始めるのだった。ヴィオレット−ある作家の肖像−その後、ヴィオレットは作家であり哲学者でもあるボーヴォワールと出会う。彼女の助けもあって、ヴィオレットは1946年についに処女作「窒息」を出版するのだった。「窒息」は友人のボーヴォワールだけでなく、カミュ、サルトル、ジュネといった作家たちからも絶賛された。しかし、女性として初めてが自身の生と性を赤裸々に書いたその小説は、当時の社会には受け入れられることはなかった。ヴィオレット−ある作家の肖像−ありのままの自分を書いて受け入れられなかったことに深く傷ついたヴィオレットは次第に心を病んでいく。それでもヴィオレットは友人であるボーヴォワールの支えによって書き続けた。やがてヴィオレットはパリを離れ、南仏のプロヴァンスに移り住み、そこで自身の集大成となる新作「私生児」の執筆を始めるのだった。ヴィオレット−ある作家の肖像−母との確執、報われぬ愛、そしてボーヴォワールとの友情を越えた絆。彼女は作家として、人生のすべてを“書くこと”に注ぎ込んでいく……


映画を見る前に知っておきたいこと

実在の女流作家ヴィオレット・ルデュックの功績

本作で描かれる実在した女流作家ヴィオレット・ルデュックは、1940年代という時代にそぐわない才能の持ち主であった。当時のフランス社会にとって、女性の生と性を赤裸々に書いた彼女の作品を受け入れる免疫がなかったのだ。それも仕方ないことで、そうした試みをした作家は彼女が初めてだった。

ヴィオレットの才能は時代に埋もれていったわけだが、本作の公開もあって時代を変えた作家として再評価され始めた。しかし、自国フランスではその存在は人々の記憶に薄く、日本でも劇中でも語られる「私生児」が1966年に出版されたのと、1982年に出版された「ボーヴォワールの女友達」の2冊しか翻訳されていない。そんな彼女の境遇から、“文学界のゴッホ”と言われることもある。

僕も彼女の作品を読んだことがあるわけではないが、この映画に触れる事で作家という生き方を知ることになった。文学に限った話ではないが、その才能は“どれだけ人に知られているか”は関係ないのだと感じた。ヴィオレット・ルデュックはベストセラー作家でなければ、なんとか賞作家でもない。しかし、そんな作家たちより歴史に残るべき作家であると思う。

1940年代という時代に、初めて女性が自分のありのままの生き方を小説で表現することをやってのけたというのが彼女の一番の功績であり、それが現在のフランスの女性たちの立場に少なからず影響しているはずだ。

ゴッホ同様死んでから再評価されるというのは、作家人生としては辛いものだったのではないかと想像するが、そうした現象は本物にしか起こりえない。彼女の半生を見ていくと、生粋の物書きであるのがわかる。誇張なく人生を“書くこと”に捧げていた。これは評価された作家がそうするのとは、また意味合いが違う。

当時の社会に受け入れられなかったことに深く傷ついたことから、評価されたい気持ちがあったのはわかるが、それでも小説と向き合い続けることは、あくまで自分の中にある戦いだということを意味している。この戦いに挑む人たちを僕は本物と思うのだが、彼女は生前に評価されなかったことによって、僕の中でわかり易く本物になっているのである。ここに来て、報われない作家人生は強烈な光を発し始めるのである。

女性芸術家の深い内面を描くことを得意とする名匠マルタン・プロボスト監督がこの作品に挑んだことも彼女にとってはラッキーなことだったはずだ。今、彼女にこのことが伝わらないのはもどかしい。

-ヒューマンドラマ, 洋画
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