映画を観る前に知っておきたいこと

【わたしはマララ】少女とノーベル平和賞

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わたしはマララ

2014年、17歳で最年少となるノーベル平和賞を受賞した少女マララ・ユスフザイを追ったドキュメンタリー。彼女はタリバンに支配された教育や暮らしについてブログに綴ったことで、2012年にスクールバスで下校途中に銃撃され、頭に大怪我を負った。それでも教育を受けられない6600万人の少女を代弁して声を上げる。“声こそ最強の武器”と言い、本気で世界を変えようとした。

アカデミー賞作品『不都合な真実』のデイビス・グッゲンハイム監督が、イギリス、ナイジェリア、ケニア、アブダビ、ヨルダンと世界で活動するマララを18ヶ月以上取材し、そこにある家族との絆と普通の10代の少女の素顔を感動的に映し出す。


  • 製作:2015年,アメリカ
  • 日本公開:2015年12月11日
  • 上映時間:88分
  • 原題:『He Named Me Malala』

予告

あらすじ

1997年、学校経営をする詩人の父と文字の読めない母との間に生まれたマララ・ユスフザイ。その名前は、その昔イギリスに侵攻されたアフガニスタンを救うために戦った少女・マラライの名を父が付けたのだった。「奴隷として100年生きるより、獅子として1日を生きたい」と叫び自ら前線に立ち銃弾に倒れたマラライとマララの運命は、皮肉にも重なってしまう。わたしはマララマララの故郷はパキスタン北部にあるスワート渓谷。しかし2007年から次第にタリバンの支配が及ぶと、圧政により少女たちは教育を受けられなくなってしまった。マララはその実情をブログに綴っていくのだが、ニューヨークタイムズのドキュメンタリーへの出演をきっかけにタリバンに身元がバレてしまい、命を狙われることとなる。わたしはマララ2012年、15歳のマララは友人とスクールバスで下校途中に銃撃され、頭に大怪我を負った。昏睡状態に陥った娘を前に死も覚悟していたと語る両親。英雄・マラライとマララの運命はここで大きな分岐点を迎えることとなる。マララは奇跡的に一命を取り留める!わたしはマララマララの左目の辺りには、今もその時の傷跡が残る。過酷なリハビリを終え、マララは再びすべての少女が教育を受けられるよう活動を始めるのだった。男女共学の学校を設立し、娘と同じくタリバンに狙われている父もその活動を後押しし、読み書きできない母にとってもそれは悲願であった。わたしはマララ16歳になったマララが国連で行ったスピーチは、6600万人の少女を代弁して“声こそ最強の武器”と言い、本気で世界を変えようとした。普段はどこにでもいる普通の少女であるマララに対し「君の人生は、父親が選択したのでは?」という世界が投げかける疑問に、自ら真実を語るのだった……


映画を見る前に知っておきたいこと

マララの持つ純粋な想いとノーベル賞が合わさった時に生まれる力

ノーベル平和賞の定義について少し触れておきたい。それによってマララが最年少で受賞した理由も見えてくる。

ノーベル平和賞は5部門あるノーベル賞の一つで、他の部門とは違い少し特殊な存在である。平和賞の授与のみノルウェーで行われる。それは、スウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念したことに由来する。そして平和賞の選考基準となるのが「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」というノーベル賞創設者・アルフレッド・ノーベルの遺言である。

しかし、この選考基準は時代と共に少しずつ変わってきている。それは社会が多様化する中で平和の解釈も変化しているからだ。本来の国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進だけではなく、人権擁護、民主化、独立運動も含まれるようになってきた。

そして平和賞の特徴として素晴らしいのが、過去の実績による評価だけが対象ではなく、平和賞を受賞することで受賞者がより影響力のあるメッセージを発信することを期待して授与されることもあるということだ。僕はこの特徴こそが、マララが最年少で平和賞を受賞した最も大きな理由であると思っている。

もちろんマララの功績は平和賞に値する素晴らしいものだが、最年少で17歳の普通の少女が受賞することは大きな話題となり、世界中の注目を集めるからだ。ノーベル賞というのは世界で大きな権威を持つ。その力を少女に与えることで平和に大きく前進するというのが、この受賞の本質ではないだろうか。マララの持つ純粋な想いとノーベル賞が合わさることで、世界を巻き込む程の大きな力が生まれたのだ。

そういえば、今ミャンマーではアウン・サン・スー・チーが軍事政権打倒のために戦っているが、彼女も1991年にノーベル平和賞を受賞した一人だ。彼女は最大野党の国民民主連盟(NLD)党首として今、大きな力を持っているが、ノーベル平和賞が少なからず彼女の力を後押ししているのは間違いない。

マララのノーベル平和賞授賞式でのスピーチ全文

2014年、17歳で最年少となるノーベル平和賞を受賞した少女マララ・ユスフザイ。これは、授賞式でのスピーチの全文である。少し長いがぜひ読んでみてほしい。これは教育と平和に対する少女の純粋な願いである。

慈悲あまねく慈愛深きアラーの御名において。

国王、王妃両陛下、皇太子、皇太子妃両殿下並びにノルウェー・ノーベル委員会のみなさん、親愛なる姉妹兄弟のみなさん。今日は私にとって、素晴らしく幸せな日です。ノーベル委員会がこの貴い賞に私を選んでくださり、身に余る光栄です。

みなさんの絶え間ない支援と愛に感謝します。今も世界中から届く手紙やカードに、お礼申し上げます。みなさんの親切や励ましの言葉に元気づけられ、刺激を受けています。

両親の無条件の愛に感謝します。父は、私の翼を切り取らず、羽ばたかせてくれました。母は、がまん強く、いつも真実だけを語ろうという気にさせてくれます。これこそ、私たちが強く信じている、イスラムの真のメッセージです。

そして、私に、自分を信じ、勇敢に立ち向かうよう鼓舞してくれた、すべてのすばらしい指導者の方々に、感謝しています。

この賞をいただく最初のパシュトゥン人、最初のパキスタン人、そして最年少であることを、とても誇りに思います。また、まだ弟たちとけんかするようなノーベル平和賞の受賞者も、私が初めてだと確信しています。世界中が平和になってほしいと思っていますが、私と弟たちにとっては、まだ先のことです。

また、長年、私が生きてきた時間の2倍もの時間を、子供の権利を擁護してきたカイラシュ・サティヤルティさんとともに、この賞を受賞できることを光栄に思います。私たち、インド人とパキスタン人がともに活動し、ともに子供の権利という目標を達成することができることを誇りに思います。

親愛なる兄弟姉妹のみなさん、私は、パシュトゥン人のジャンヌ・ダルクともいわれる「マイワンドのマラライ」にちなんで名付けられました。「マララ」という言葉は「悲しみにうちひしがれた」とか「悲しい」という意味ですが、それに「幸福」の意味を加えようと、祖父はいつも私を、「マララ、世界で最も幸せな少女」と呼んでくれます。今日、この大切な目的のために、私たちが共に闘っていることを、とても幸せに思います。

この賞は、私だけのものではありません。教育を望みながら忘れ去られたままの子供たちのものです。平和を望みながら、おびえる子供たちのものです。変化を求めながら、声を上げられない子供たちへの賞なのです。

今、私は彼らの権利のために、そして彼らの声を届けるために、ここに立っています。今は、彼らを哀れんでいるときではありません。教育の機会を奪われた子供たちを見るのを、これで最後にするために、行動を起こすべきときなのです。

私は、人々が私のことを、いろんなふうに呼ぶことに気づきました。

ある人は、タリバーンに撃たれた少女と。

またある人は、自分の権利のために闘う少女と。

そして今は、「ノーベル賞受賞者」とも呼ばれます。

弟たちからは「うるさくて、偉そうなお姉ちゃん」と呼ばれているのですが…。

私が知る限り、私はただ、全ての子供たちが質の高い教育を受けることができることや、女性が平等な権利を持てること、そして世界の隅々まで平和であることを願う、熱心で頑固な人間でしかありません。

教育は人生の恵みの一つであり、生きる上で欠かせないものです。このことを私は、17年間の人生で経験しました。(パキスタン北部の)スワート渓谷にある故郷では、私はいつも、学校に通って新たなことを学ぶことを愛していました。何か特別なことがあると、私は友達と一緒に(植物染料の)ヘナで手を装飾したのを覚えています。花や模様を描くかわりに、私たちは数式や方程式を書いたものでした。

私たちは教育を渇望していました。なぜならば、私たちの未来はまさに教室の中にあったのですから。ともに座り、学び、読みました。格好良くて清楚な制服が大好きでしたし、大きな夢を抱きながら教室に座っていました。両親に誇らしく思ってもらいたかったし、優れた成績をあげたり何かを成し遂げるといった、一部の人からは男子にしかできないと思われていることを、女子でもできるのだと証明したかったのです。

ですが、こうした日々は続きませんでした。観光と美の地であるスワートが突如として、テロリズムの地と化したのです。400以上の学校が破壊され、女性たちはむちで打たれました。人々が殺されました。そして私たちのすてきな夢は、悪夢へと変わったのです。

教育は「権利」から「犯罪」になりました。女の子たちは学校に行くのをやめさせられました。しかし、私をとりまく世界が突如として変わったとき、私が優先すべきことも変わったのです。

私には二つの選択肢がありました。一つは黙って殺されるのを待つこと。二つ目は声を上げ、そして殺されることです。私は後者を選びました。声を上げようと決めたのです。

テロリストたちがいう正義を、ただ傍観することはできませんでした。すべての権利を認めず、無慈悲に人を殺し、イスラムを悪用するものだったからです。私たちは声を上げ、そして彼らに言おうと決めたのです。「コーランでアラーが『一人の人間を殺すことは、全人類を殺すのと同じである』とおっしゃっていることを学ばなかったのですか。ムハマドは自分を傷つけるな(自殺をするな)、他人もだと言っています」。そして、こうも言いました「コーランの中で最初に出てくる“イクラ”という言葉を知らないのですか」と。これは、「読め」という意味です。

2012年、テロリストは私たちを止めようとし、バスの中で私と今ここにいる友人を襲いました。しかし、彼らの考えや銃弾が勝利することはありませんでした。私たちは生き延びたのです。そしてその日から、私たちの声はさらに大きくなっていったのです。

私が自分の身に起こったこと話すのは、珍しい話だからではありません。どこにでもある話だからです。多くの少女に起こっている話なのです。

今日、私は彼女たちの話もします。私はオスロに何人かの「姉妹」を招きました。彼女らはパキスタンやナイジェリア、シリア出身で、この話を共有しています。私の勇敢な姉妹であるシャジアとカイナート・リアズは、あの日スワートで私と一緒に撃たれ、彼女らも悲惨なトラウマを経験しました。ひどい暴力と虐待を受けたパキスタン出身のカイナート・スームロは、兄を殺されましたが、屈しませんでした。

マララ基金の活動を通じて出会った少女たちも一緒にいます。彼女たちも今では、姉妹のようです。16歳の勇気あるメゾンはシリア出身で、今はヨルダンの難民キャンプで暮らし、テントからテントへと回って少年少女に勉強を教えています。そして、アミナの出身地であるナイジェリア北部では、少女たちが学校に行きたいと望んだというだけで、ボコ・ハラムがつきまとい、脅し、そして誘拐しているのです。

私は、たった身長5フィート2インチ(157.5センチ)の、単なる一人の女の子、一人の人間に見えるかもしれません。ハイヒールはいて5フィートというのでもよければ、ということなんですけれど…。 しかし、私の意見は、私一人の声というわけではなく、大勢の人の代弁者なのです。

私はマララです。そして、シャジアでもあります。

私はカイナート。

私はカイナート・スームロ。

私はメゾン。

私はアミナ。

私は、学校に行けない6600万人の女の子なのです。

今日、私は自分の声をあげているわけではなく、6600万人の女の子の声を代弁しているのです。

なぜ女子は学校にいくのかを、なぜ教育は特に女子にとって大切なのかを、人々が聞いてきます。しかし私は、なぜ彼女たちでは駄目だとされるのかという質問のほうが、より重要だと思います。なぜ彼女たちが学校に行ってはいけないのでしょうか。

今日、世界の半分では急速な進歩や発展がみられます。しかし、未だに何百万もの人々が戦争や、貧困、不正、という昔ながらの問題に依然として苦んでいる国もあります。

紛争も見られます。何千という無実の人々が命を奪われています。子供たちが孤児になっています。

ガザやシリア、イラクでは、多くの家族が難民となっています。アフガニスタンでは、自爆テロや爆弾で、罪のない人々が殺されています。

アフリカの多くの子供たちは、貧しさのために教育に触れることができません。ナイジェリア北部には、今も学校に行く自由がない女の子たちがいます。

カイラシュ・サティヤルティさんが言われるように、インドやパキスタンなどの国の多くの子供たちが、社会的なタブーから教育の権利を奪われており、または、幼くして結婚させられたり、児童労働にかり出されたりしています。

私と同じ年で、とても仲がいい級友の一人は、いつも勇敢で自信に満ちた女の子で、医者になることを夢見ていました。しかし、夢は夢のままなのです。彼女は12歳で無理やり結婚させられ、息子を産みました。たった14歳のときです。彼女なら、とてもいいお医者さんになれたと思います。

ですが、なれませんでした。なぜなら、女の子だったからです。

彼女の話こそ、私がノーベル賞の賞金をマララ基金に捧げる理由です。マララ基金は、女の子たちがどんな場所にいても質の高い教育を受けられられるようそして、声をあげるのを助けるものです。基金の最初の使い道は、私の心が残るパキスタンで、特に故郷のスワートとシャングラに、学校を建てるために使われます。

私の村には、今も女子のための中学校がありません。私の願いであり、義務であり、挑戦、それは、私の友達や姉妹たちが教育を受けることができ、そして夢を実現する機会を手に入れることができるようにすることなのです。

これは私にとっては出発点であり、立ち止まる場所ではありません。全ての子供たちが学校にいるのを見届けるまで、私は闘い続けます。

親愛なる兄弟、姉妹のみなさん。マーチン・ルーサー・キングやネルソン・マンデラ、マザー・テレサ、アウン・サン・スーチーのような、変革をもたらした偉大な人たちも、かつてこの舞台に立ちました。カイラシュ・サティヤルティさんと私のこれまでの歩みと、そしてこれからの旅もまた、変化を、それも持続的な変化をもたらすものであればと願っています。

私の大きな希望は、(子供たちの)教育のために闘わなければならないのは、これが最後になってほしい、ということです。この問題をきっぱり解決しましょう。私たちはすでに、正しい方向にいくつものステップを踏んできています。今こそ躍進するときです。

もはや指導者たちに、教育がいかに大切なのかを説くときではないのです。彼らは既にそのことを知っており、自分の子供を良い学校にいれています。今は行動を起こすときなのです。指導者たちにはぜひ、団結して、最優先事項に教育を掲げてほしいと思います。

15年前、世界の指導者たちは地球規模の目標「ミレニアム開発目標(MDGs)」を決めました。その後、いくらかは進展しています。学校に通えない子供の数は半分に減りました。とはいえ、世界が重点的に取り組んでいるのは初等教育(の拡充)ばかりですし、成果が全員に行き届いたわけではありません。

来年、2015年には、世界の指導者たちが国連に集い、次の一連の目標である「持続可能な開発目標」を策定します。これは、何世代にもわたる世界の目標になるでしょう。

世界は、基本教育だけで満足していいわけではありません。世界の指導者たちは、発展途上国の子供たちが初等教育だけで十分だと思わないでください。自分たちの子供には、数学や科学、物理などをやらせていますよね。指導者たちは、全ての子供に対し、無料で、質の高い初等・中等教育を約束できるように、この機会を逃してはなりません。

非現実的だとか、費用がかかりすぎるとか、難しすぎると言う人もいるでしょう。不可能だとさえいう人もいるかもしれません。しかし、今こそ世界はより大きく(このことを)考えるときなのです。

親愛なる兄弟姉妹のみなさん。いわゆる大人の世界であれば理解されているのかもしれませんが、私たち子供にはわかりません。なぜ「強い」といわれる国々は、戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすことにかけては弱いのでしょうか。なぜ、銃を与えることはとても簡単なのに、本を与えることはとても難しいのでしょうか。なぜ戦車をつくることはとても簡単で、学校を建てることはとても難しいのでしょうか。

現代に暮らす中で、私たちはみな、不可能なことはないと信じています。45年前に人類は月に到達し、おそらく火星にもまもなく降り立つでしょう。それならば、この21世紀には、全ての子供たちに質の高い教育を与えられなければなりません。

親愛なる姉妹兄弟のみなさん、私たちは動くべきです。待っていてはいけない。動くべきなんです。政治家や世界の指導者だけでなく、私たち全ての人が、貢献しなくてはなりません。私も、あなたたちも、私たちも。それが私たちの務めなのです。

みなさん、これで終わりにしようと決めた最初の世代になりましょう。

誰もいない教室も、失われた子供時代も、無駄にされた可能性も。

男の子や女の子が子供時代を工場で過ごすのも、もうこれで終わりにしましょう。

女の子が幼いうちに強制的に結婚させられることも、戦争で子供の命が失われることも、子供が学校に通えないことも、これで終わりにしましょう。

私たちで終わらせましょう。この「終わり」を始めましょう。今、ここから、ともに「終わり」を始めましょう。

ありがとうございました。

2014年12月10日ノーベル平和賞授賞式でのスピーチ マララ・ユスフザイ

平和と教育のありがたさ

僕たち日本人は、平和を愛する頭の良い民族だと思う。戦争もしなければ、教育の水準も高い。だが、僕たちはそれらを享受することが当たり前になっていないだろうか。この映画を遠い国の話として見てほしくない。マララとはまったく立場は違うが、余裕がある状況だからこそできることもあるはずだ。

僕には今年、高校受験をする息子がいる。情けない話だが、日々どうやって息子に勉強させようか頭を抱えている。気を使ってうるさく言えない自分がいたりするのだが、マララを見ていたら息子に勉強させるのも僕ができることの一つだと感じた。おかしな話かもしれないが、マララにこんな風に勇気をもらった大人がいるのだ。

平和と教育が普通にあることのありがたさを感じてほしい……

また、本作は社会派ドキュメンタリーであるが、家族の絆を描いた感動作という側面もあるので、改めて家族の大切さを考えてみるきっかけになるかもしれない。平和に比べるとずっと小さい話だが、それをそのまま大きくすればそれが平和ということだと思うので、映画に触れて小さな力がたくさん生まれてくれると嬉しい。

-ドキュメンタリー, 洋画

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