映画を観る前に知っておきたいこと

おかあさんの木 息子を待つ母を通じて、戦争の悲劇を訴える感動作

投稿日:2015年5月5日 更新日:

おかあさんの木

児童文学者、大川悦生(98年没)著「おかあさんの木」の映画化。原作は小学校の教科書に採用され、戦争で7人の息子が次々と戦地に赴く中、その度に桐の木を植えて無事を祈った母を通じて、戦争の悲劇を訴え続けてきた。

それはある場所で起こった特別な物語ではなく、日本全土で同じ想いをした人がたくさん居たことだろう。今もう一度「おかえり」「ただいま」と言えるありがたみを、映画にして訴える。

  • 製作:2015年,日本
  • 日本公開:2015年6月6日
  • 上映時間:114分
  • 原作:児童文学者『おかあさんの木』大川悦生(98年没)著
  • おかあさんの木 (ポプラ社の創作童話 15) ([お]14-1)おかあさんの木 (ポプラ文庫) おかあさんの木 (ポプラポケット文庫 (032-1))

予告

あらすじ

現代―。
老人ホームに2人の役所の職員が訪れる。土地の整備事業のため、7本の古い桐の木の伐採許可を取るためだ。彼らを迎えた老婆・サユリは、時折朦朧とする意識の中で静かにつぶやく。
「あの木を切ってはならん・・・。あれは・・・おかあさんの木じゃ・・・。」
そう言って彼女は、戦時中の悲劇の物語を語り始めた―。

click ※ネタバレ

ミツと6人の子どもたち

おかあさんの木
この日、長野県の小さな田舎村で一組の夫婦の祝言が挙げられた。若く美しいミツと夫、謙次郎の結婚生活は村中から祝福され、ミツは一郎、二郎、三郎、四郎、五郎、と元気な男の子を出産。6人目の男の子・誠だけは、子宝に恵まれなかった姉夫婦に里子に出したが、末っ子の六郎も生まれ、家族は幸せに暮らしていた。

しかし、突然その幸せを壊す不幸が起こる。夫の謙次郎が心臓発作で急逝したのだ。愛する人の突然の死に、深く落ち込むミツ。それでも6人の息子たちに健気に支えられ、少しずつ立ち直っていく。

ミツと桐の木

おかあさんの木
それから数年が経った。世は戦争まっただ中。たくましく育った息子たちは、一人、また一人と戦争に奪われていく。ミツは「お国のため」と華々しく出征していく度に、1本ずつ桐の木を庭に植えてゆく。「一郎、二郎、元気でいるかい?今どこにいる?きっと生きてるだろうない?」無事に帰ってくるように・・・そんな願いを込めて、ミツは日がな桐の木に語りかけるのだった。

謙次郎の親友である昌平とその娘のサユリは、そんなミツをいつも気にかけ、心配していた。しかし、昌平は郵便局の職員で、ミツに息子たちの戦死の報せを告げねばならず、その辛い仕事に葛藤する。

一郎、二郎、三郎は戦死、そしてついに五郎にまで出征の命が下る。ミツは3人も息子を失った悲しみに耐え切れず、汽車で戦地に旅立つ五郎の足元にすがりつく。その行動が「非国民」として非難を受け、憲兵に蹴り上げられ尋問を受けることに。周囲の助けがなければ、とても無事に帰宅することは出来なかっただろう。

終戦

おかあさんの木
長い長い戦争がついに集結した。しかし、息子たちは誰一人として帰ってはこなかった。それでもミツは待ち続けた。7本の桐の木を大事に育てながら、いつか誰かは戻って来ると信じて、いつまでもいつまでも・・・。

「どんな事をしても、おめぇらを戦争に行かせるんじゃなかった。母ちゃんが悪かった。許しておくれ、みんな帰ってきておくれ」

翌年の冬、戦地に赴いた息子たちの中で、唯一安否が分からなかった五郎が戻って来る。戦地でいつも夢に見ていた我が家、待つ母の事を想い、五郎は傷付いた足を引きずりながら駆け出した。

「おかあさん!五郎は今、生きて帰ってきました!」

やっとの思いで家に帰り着いた五郎が見たものは・・・。

語り終えた老婆・サユリは、瞳を閉じてあの言葉を繰り返す。
「あの木を切ってはいかん・・・あれは、おかあさんの木じゃ・・・。」

映画を見る前に知っておきたいこと

戦争と教育

おかあさんの木
小学校初頭から中学校まで、先に起こった大戦争に関わる教育を受けたことは覚えている。特に僕は幼少時代を広島で過ごしたので、原爆にまつわる色んな話を、幼い頃から聞かされてきた。結果、「戦争は悪いことだ」という漠然とした価値観だけが底に残った。

だが、冷静に自分の心を内省してみると、そんなものも時が立つに連れて淡く色褪せてしまったように思う。大人になってみると、戦争の悲劇の側面を語るメディアは驚くほど少ない。近年、イスラム国が起こした事件に対するメディアのリアクションを見ていて特にそう感じる。悲劇は、戦争の一つの側面でしかないのだと。

そして事実、悲劇だけを捉えていても戦争は止まらない。国家間の主義主張の違い、民族の価値観の違い、様々な要因があるが、それをここで語るのはナンセンスな気がするので割愛する。それでも思うのは『良い、悪い』で人を、物事を判断するのは相当に危険だということ。それはある種の思考停止に他ならない。

戦争とは何か?

戦争は確かにたくさんの悲劇を生んだ。それを体験として知る世代がいなくなることを憂う声もある。しかし、戦争を体験していない世代だからこそ、悲しみに囚われず考えられる余地があると思う。

「おかあさんの木」は戦争の悲劇を描いた作品だ。これを見て「平和な日常はありがたいな」で終わるのはあまりにも勿体無く思う。戦争をしなければならなかった理由、戦争で失ったもの、戦争で得たもの、裏側には想像も出来ない事実がたくさんあるだろう。戦争を擁護する気はもちろんない。だが、桐の木に込められた想いや願いを心の中に大切にしまいながらも、僕らは戦争とはなにか?ということを改めて、俯瞰して考えてみる必要があるのではないかと思う。

-ヒューマンドラマ, 戦争

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