2011年1月26日から現在に至るまで、シリアでは政府軍と反体制派による武力衝突が続いている。その中でホムスという街は「シリア革命の首都」とも言われ、世界を騒がせた凄惨な事件が起こった街でもある。
この映画は、中東シリアで武器を持って戦う若者たちの姿を中心に、シリアという国が大きく変わった3年間を粘り強く追ったドキュメンタリーだ。監督は同じシリア人のタラール・デルキ。サンダンス映画祭ワールドシネマドキュメンタリー部門でグランプリを受賞した他、多くの国際映画祭で賞を獲得している。
- 製作:2013年,シリア・ドイツ合作
- 日本公開:2015年8月1日
- 上映時間:89分
- 原題:『The Return to Homs』
Contents
- 1 予告
- 2
あらすじ
- 2.1 歌で戦うバセット
- 2.2 映像で戦うオサマ
- 2.3 2人が武器をとるまで
- 3 映画を見る前に知っておきたいこと
予告
あらすじ
「アラブの春」と呼ばれる民主化運動の波は2011年に始まった。アラブと呼ばれる中東に位置する国々各地で民主化運動が巻き起こり、シリアもその例外ではなかった。
ドキュメンタリーは、シリアの革命の中心人物となった2人の青年を追いかけた。
歌で戦うバセット
革命が起こった当時19歳。サッカーのユース代表チームでゴールキーパーとして活躍していた。若者を惹きつけるカリスマ性を持って、平和を歌うシンガーとして民主化運動のリーダーとなっていく。
映像で戦うオサマ
有名な市民カメラマンであり、バセットの友人でもあるオサマは、デモの様子を撮影し、それをインターネットで公開することで民主化運動を世界中に波及させていこうとする。
2人が武器をとるまで
最初は平和的に、非暴力の抵抗運動を先導していく2人。バセットは歌で、オサマは映像で、それぞれ政府に民主化を訴えていた。だが2012年2月、政府軍は暴力で持ってデモを鎮圧にかかる。
後に「革命の首都」と呼ばれる街、ホムスでは170人もの市民が殺害された。そうしてバセットの歌は、オサマの映像は、人を殺す武器に変わり始める。
彼らはなぜ戦い続けるのか。戦争とは何なのか。生きることとは―。
映画を見る前に知っておきたいこと
革命の首都・ホムス
革命を訴えるデモはコンサートになり、映像になり、市民ジャーナリズムの力で世界中に発信された。その中心地となったのがホムスだ。ホムスは現在、18ヶ月に及ぶ包囲攻撃に苦しめられている。
2011年以来、少なくとも15000人もの人が殺害され、そのうちの10%は子供だった。40000人もの人が拘留され、拷問で亡くなった人も多くいる。解放された人は、国を捨てて国外へ逃げるしかなかった。
『それでも僕は帰る』のだ。バセットとその仲間たちは、ふるさとを取り戻すために、その包囲網の戦火の中に身を投げるのだった。
シリア内戦
内戦と言われてはいるが、実際にはシリア国外の勢力も多い。アサド政権と反政権派の対立、反政権派同士の衝突、ジハード主義勢力の過激派組織ISILとシリア北部のクルド人との衝突なども起こっている。
イスラム世界で敵対関係となるイスラエルと隣接していることや、アサド政権がアラウィー派であるのに対し、反体制勢力はスンニ派であるなど、宗派対立の形を見せていたりと、事情は日々複雑化。
シリア内戦は今なお激化の一途を辿っている。
戦争と自由
以前、僕は『おかあさんの木』に関する記事の中で、戦争はそれぞれの正義に基づいて行われているという趣旨の事を書いた(気がする)。インドの大虐殺をテーマにしたドキュメンタリー『ルック・オブ・サイレンス』では、悪とは何かという事を書いた(気がする)。
しかし、きっと正義と悪は対義する言葉ではないのだろうと思う。なぜならば、正義の為に悪を行いうるし、悪のために正義を行いうるからだ。
「人を殺す」「誰かの生活を踏みにじる」これは間違いなく悪だと確信できる。だがそれをも包括できる大義名分があれば、人は簡単に悪を遂行する。
中東の問題の難しさは、やはりその大儀が宗教にあることだろう。信じるものの違いはどこまで行っても折り合うことはない。お互いに認め合わなければ、対立は激しさを増すばかりだ。
バセットと仲間たちが戦う理由は「ふるさとのため」だとドキュメンタリーはそのタイトルで言及する。ふるさとであるホムスに戻ることは、夢であると。それでも、彼らは人を殺す。「ふるさとを取り戻すため」「みんなが自由な生活をできる世界を」という崇高で美しい理由のために人を殺すのだ。
そこのとを間違っているとか、殺すべきではないとかそういうことを言うつもりはないし、比較的平和な日本でぬくぬくと生活している僕にはその権利もない。しかし、誰かの世界が平和になれば、別の誰かの世界が窮屈になる。そんな螺旋に僕ら人類は囚われてしまっているのではないか。自由とは一体なんなんだろう。なんてことを考えさせられてしまう。